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松井英生・石油連盟専務理事に聞く[前編]

震災に強いサプライチェーンづくりに転換目指す


国際環境経済研究所理事、東京大学客員准教授


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東日本大震災直後は、東北、関東地方で「ガソリンがない」とパニックのような現象が発生した。こうした緊急時に石油業界はどのように対応したのか。松井英生・石油連盟専務理事に、震災後の対応と今後のエネルギー政策で果たす化石燃料の役割について聞いた。

現場の情報が入らない中、元売の系列を越えて皆で協力して対応することを決めた

――震災直後はどのように対応されたのでしょうか。

松井英生氏(以下敬称略):地震があったとき、建物の1階(石油連盟)におり、エレベーターが全部止まりました。電話は全く通じませんでした。テレビを見て、これは大変なことだと初めてわかりました。

――急いで緊急対策本部の立ち上げをされたのですか。

松井:東北地域における石油の途絶の問題は必ず起きてくる。そう判断して、早速、石油連盟会長をヘッドとする対策本部を震災当日の3月11日に立ち上げました。ところが、立ち上げたのはいいが、全く情報が入らない。

 石油元売会社は、東京に本社があります。東北地方は油槽所という石油タンクがたくさんある配送基地のほか、原油から処理をしてガソリンや灯油を作る施設である製油所が、仙台に1カ所ありました。3月11日から12日は、まず電話が通じない。さらに末端までいけば、タンクローリーでガソリンスタンドに石油製品を供給していますが、タンクローリーやガソリンスタンドがどうなっているかもわかりませんでした。

――では、現場の被害を予想しながら初動の対応をされたのですか。

松井:テレビで見る限りでは大変なことが起きているので、これは必ず石油製品の供給要請が来るに違いないと判断しました。3月13日に、元売、いわゆる石油の卸しをやっている企業全員に集まってもらい、系列を越えて一致団結して協力し、求めているところに一番早く対応できる会社が石油供給を行うということを決めました。二つ目は、精算の話は後にしようと。モノを納めることを優先し、精算は後でいいと合意しました。

 三つ目は、12日頃から大量に入ってきた石油製品供給要請への対応です。特に多かったのが、官邸経由で来る緊急供給要請ですね。石油連盟の職員だけでは足りないので、原則、各石油会社から2人ずつ担当者を出していただきました。会議室を1部屋全部潰してオペレーション・ルームにして、そこに12~13人の職員が24時間態勢で詰めて、特に官邸中心に下りてくる供給要請に対して、個別に供給することを始めました。

松井英生(まつい・ひでお)氏。1975年に通商産業省(現在の経済産業省)に入省。外務省在連合王国大使館参事官、資源エネルギー庁長官官房原子力産業課長、中小企業庁次長、商務流通審議官、国際協力銀行理事などを経て、2010年3月石油連盟専務理事に就任

6つの製油所が停止。日量130万バレルの生産能力を失い、タンクローリーを大量投入

――何が一番大変でしたか。 

松井:電話が通じないのが一番大変でした。○○病院に灯油を何リットル出してくださいと要請が来るのですが、病院に電話を何度かけても繋がらない。通信がだめになったことで非常に混乱しました。

 次の問題は、一時的に玉(ぎょく。石油製品のこと)が無くなったことです。東北と関東地域には、合わせて9つの製油所がありますが、そのうちの6つの製油所が止まってしまいました。そのうち3つは地震発生による自動停止でしたので大きな被害は受けていませんでしたが、残りの3つは大変な被害を受けました。そういう状況で3月12日、13日は、あっという間に在庫を出してしまいました。ガソリンスタンドでも、関東地方は12日、13日には石油製品がなくなって閉店せざるを得ませんでした。

――東北はさらに混乱したのではないでしょうか。

松井:東北地方は太平洋側の油槽所が全部被害を受けてしまいましたので、日本海側の秋田、酒田、新潟などから石油製品を太平洋側に送らなければならない状況でした。被災地に向けて石油製品を送る手段としては、東京湾岸からのルートと、日本海側から山を越えていくルートしかなくなりました。ところが両ルートの道路が全て寸断されていたため、非常に苦労しました。タンクローリーで送って戻ってくるのに、最大37時間かかった。それだけでなく、灯油を運んでも、行ってみると必要だったのは軽油だったとか、そうした混乱もたくさんありました。

――被災地にはたくさんのタンクローリーが入りました。

松井:タンクローリーにも10kl位から30klまでいろいろあります。普段から輸送を行っている所ならいいのですが、残された油槽所から初めての供給先に届けることになります。30klローリーになると狭い道は入れないなど、被災地ではこうしたロジスティックで大混乱が起きました。

 関東地方の3つの製油所、JX日鉱日石エネルギーの根岸と東燃ゼネラル石油の川崎、極東石油工業の千葉の3つは地震が起きて自動停止しましたが、自動停止した後、安全確認のためのチェックをするわけです。ガスがどこかに溜まっていると再稼動した際に爆発の危険があります。問題がないと判断するまでに約1週間かかり、17日に東燃・川崎と極東・千葉、この2つが再開し、JX・根岸が21日に再開しました。21日以降はマクロレベルでは石油製品の需要に対して供給がなんとかカバーできるようになりました。

――震災直後、製油所の被害はとても心配でした。

松井:東日本の地震が起きる前の原油処理量は日量約400万バレルだったのですが、6つの製油所が停止し、約130万バレルが一気に無くなりました。オール・ジャパンの需要はだいたい1日当たり330万バレルですが、供給能力が400万バレルから一気に270万バレルに減ったわけですから、明らかに震災直後は足りなくなりました。

 首都圏でもガソリンスタンドの多くが閉じてしまった。21日までにようやく、安全確認が済んだ製油所が日量約80万バレルの生産能力を回復し、原油処理量が270万バレルから350万バレルになり、マクロの量としてはなんとかカバーできる状況になりました。

 しかし、まだサプライチェーンの末端は被災していて、通常の状態で消費者に届けるまでにはいきませんでした。震災直後から、官邸からの緊急供給指示がたくさんきました。全部まとめると最終的に1500件弱の要請がありました。大きな所だけでも、病院や公共施設、上下水道、NTT、また福島原発の冷却装置のための燃料や福島の原発避難地域から避難される方の輸送用の燃料なども供給していきました。

 タンクローリーが非常に長距離輸送になり、それに加えて東北地方にあったタンクローリーの多くが津波で流されてしまった。正確な数字はわかりませんが、約150台流されたような状況でした。ガソリンスタンド自身も、岩手県、宮城県、福島県の3県では半分近くが営業停止しました。

――かなり厳しい状況下で緊急対応を迫られたわけですね。

松井:輸送手段が限られたなかで、緊急供給要請に一生懸命対応しました。その際に大きな問題となったのが、タンクローリーが高速道路を通行するための通行証を国から頂くのに時間がかかったことです。現地に入るには、運転手、車番、どの高速に乗り、どこに運ぶのかを登録しなくてはなりません。政府からOKが出ると運転手は最寄りの警察署に行き通行証をもらいますが、そこに連絡が来ていないこともありました。

 通行証が出るまでに時間がかかったり、出ても高速道路でチェックされて、また連絡が来ていないと止められたりしたこともありました。官邸の官房副長官にお願いして、緊急対応ということで、17日にはタンクローリーは目視で確認できれば許可して頂けるようになりました。

松本真由美・国際環境経済研究所主席研究員

関東地方ではガソリンの買いだめが起きた
情報発信が遅かったのは反省点、誤った情報がツイッターで拡散も

――他にどんな問題がありましたか。

松井:次の問題が電源でした。ガソリンスタンドの給油機は電気で動いているので、電気が止まった瞬間に作動しなくなってしまった。油槽所も電気が止まったので手動で給油したのですが、時間がかかって仕方がない。自家発電も流されてダメになり、油槽所から出るアクセス道路も壊れていた。

 もう一つの問題は、油槽所への供給でした。普段は大きな船で海から入れるのですが、港も桟橋も壊れていたため、補給ができなくなりました。JR東日本が貨車を動かしてくれましたが、塩釜にある東北地方最大の油槽所群と八戸の油槽所群の2つを、系列を越えて、皆で協力して対応しました。

 約5000kl積載の大きな船が入れるように、港の浚渫や道路も官邸に頼んで直してもらいました。3月20日以降になると、配電盤の修理も終わり、電気もようやく通じるようになり、各社が協力して、石油製品を払い出していった。タンクローリーは、さらに西日本から約300台投入して、配送体制を整えました。

 ガソリンスタンドも段々と復旧が進んだのですが、東北の海沿いは流されてしまい、物理的にスタンドがない。また、経営者や従業員が被災されていることもあり、うまく供給体制が取れませんでした。そういう中で、限られたガソリンスタンドが供給を開始すると、今度はそこに延々と長蛇の列ができた。

――そのことは、ずいぶん報道されましたね。

松井:長蛇の列でも整然としていればいいのですが、暴力事件がたくさん発生してしまいました。例えば「救急車の割り込みはけしからん」と言って、給油所の従業員に暴力を振るうようなことまで起きた。タンクローリーがスタンドに向かって出発すると、そこに車が集まり、タンクローリーを止めて運転手を引きずり下ろし、自分の車に注げとかいう問題が多発しました。

 タンクローリーの運転手が怖がって行きたがらなかったり、ガソリンスタンドの経営者が、従業員が殴られることを恐れて店を開けるのを嫌がったりといろいろな問題がありました。警察にも警備をお願いしましたが、被災者への対応で手一杯で、なかなか手が回らなかった。それでも、業界を挙げて協力して油槽所を直し、電気も回復させ、タンクローリーも増やし、3月末までには一部地域を除いて何とか供給できる状態にさせました。

――震災直後は「ガソリンがない!」と、東京にいる私の周りも大騒ぎでした。

松井:その頃に起きた次の問題が、買いだめのような状況になったことです。ガソリンがちょっとでも減るとガソリンスタンドに並び、5l、10lを入れる。半分位の方がそういう状況でした。

――関東で買いだめしてしまうと、東北被災地にガソリンが行かないと心配されました。震災直後の情報発信についてはどうですか。

松井: 我々の情報発信に関しては遅かったと思っています。ちょっとガソリンが減ると10lでも入れる消費者の方がいたことは、我々の情報発信が遅かったからだと思います。

 NHKなどのテレビ番組で、3月14、15日にインタビューを受けました。そのときに、「首都圏に向けてメッセージを出してください」と言われましたので、21日過ぎにはだいたい製油所が立ち上がるという見込みから、「25、26日には問題なくなるので、皆さん買いだめに走らないでください」と話しました。

――首都圏向けのメッセージのつもりだったのですね

松井:そうしたらツイッターで、その情報が東北にも飛んでいるんですね。石油連盟の専務理事が26日頃になれば供給が来ると言っていると。これは大丈夫だと安心してくださったのはありがたいのですが、実は東北の方はとても無理でした。間違ったメッセージが東北に流れてしまいましたが、そのあたりをもっと踏まえていくべきでした。東北地方に向けて、4月の2週目になれば何とか供給できるというメッセージを早く出すべきでした。

 実際に私のところに、佐竹敬久秋田県知事から3月15日頃に電話がかかってきました。知事が「ガソリンはいつ来ますか」と尋ねられたので、私はとっさに「ロジスティックが回復すれば、4月10日過ぎには供給できると思うので安心してください」と答えました。知事は「わかりました」と。その後、佐竹知事は県内でそのことを事ある毎に人に伝え、秋田県内では買いだめパニックというような問題が少なかったそうです。テレビでは製油所は燃えていますし、もうガソリンは無くなってしまうと思われてしまった。それに対して、我々がうまいタイミングでメッセージを出せなかったのは反省点でした。

震災に強いサプライチェーンの構築へ、国にも協力をお願いしたい

松井:少々遅れましたが、我々もラジオ広報や、ポスター、新聞広告などで、「もうしばらく経つと石油は届きますから、買いだめはしないでください」と広報に努めました。整理券を配ったりして、4月10日過ぎにはそういう混乱も殆どなくなり通常の状態になりましたが、周辺にガソリンスタンドが無い空白地帯が残されました。

――それはどこでしょうか。

松井:岩手県の大槌町と陸前高田市、宮城県の南三陸町の3カ所は被害が非常に大きく、ガソリンスタンドが全く無くなってしまった。そこで自衛隊にお願いしてドラム缶にガソリンを詰めて、車への給油をお願いしました。

 これは、実は極めて危険なことでした。被災直後、灯油や軽油はドラム缶から給油しましたが、ガソリンは注ぐ時に金具が当たって火花が散ると爆発する危険がある。あるいは、ドラム缶が空になったとそのままにしておいて、タバコを吸ったら爆発という事態もありうるわけです。安全に給油するため、我々は自衛隊の駐屯地まで持って行き、それから先は自衛隊にお願いしました。この3カ所を中心に、約1000本のドラム缶を自衛隊に買い上げていただきました。

――ドラム缶がとても役立ったわけですね。

松井:ところがドラム缶による供給は、今、普通のビジネスでは全く使われていない。ドラム缶で急に持って来いと言われても、ドラム缶に充填する設備がほとんどない。製油所や油槽所ではタンクローリーに、短い時間に一気に給油する大型の設備しかないわけです。震災直後は限られた設備を使って、徹夜で灯油、軽油、ガソリン合わせて9000本以上のドラム缶に入れました。これも本当に苦労しました。

――ドラム缶出荷設備を装備することも含めて、平時から震災対応力を強化する必要があるということですね。

松井:私が申し上げた問題点が、これからの課題になってくるわけで、震災に強いサプライチェーンを作らないといけません。通信設備も然りです。元売の本社は衛星電話を持っていますが、油槽所にはありませんから、繋がらなかったわけです。ですから、衛星電話も必要になるでしょう。

 全国の在庫がどうなっているかという情報も、リアルタイムで元売の本社に届くようにすることが必要です。タンクローリーにGPS(全地球測位システム)を付けて、今どこを走っているか、どこのスタンドに今どのくらいあるかなど、その情報がIT(情報技術)を活用して把握できるようになるといいですね。

 震災対応力を強化するためには、自家発電も海沿いでなく、少し高いところになければいけない。タンクローリーの出荷レーンも少し高架にする必要があるでしょう。また、石油製品の備蓄を国に持っていただきたい。我々が持っているのはビジネス上で使う操業在庫ですので、余分な在庫は持っていません。一方、国の備蓄は原油で、だいたい拠点で持っていて、末端に近いところにはありません。今後は、民間のタンクを借り上げて製品備蓄をして頂くことを国に提言しております。サプライチェーンの強化とあわせて国にお願いしたいと思います。

ドラム缶を運ぶトラック(出典:石油連盟ホームページより)

(次回につづく)

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