新著『脱炭素現実主義』
――理念から現実へ、揺り戻す世界のエネルギー政策
有馬 純
国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院客員教授

・発売日予定日: 2026年10月21日
・著者:有馬 純
・出版社:電気書院
・発行形態:単行本
・ISBN:9784485301357
10月下旬、電気書院から『脱炭素現実主義――現実から乖離した気候変動政策の代償』を上梓することになった1。本書は前著「亡国の環境原理主義」以降のエネルギー温暖化をめぐる国際情勢を、国連交渉(第1章)、トランプ第2期政権(第2章)、欧州の苦悩(第3章)、「環境優等生」中国の虚実(第4章)、中国の重要鉱物支配(第5章)、グローバルサウスの論理(第6章)から鳥瞰し、その上で第7章で脱炭素、エネルギー危機、重要鉱物が示したエネルギー転換の難しさを論じ、最後に第8章で激動する国際エネルギー情勢の下で日本がとるべき道を提起した。
私が本書を書こうと思った原点は、2021年11月のCOP26(グラスゴー会議)にある。閉会間際、石炭火力の「段階的廃止(phase-out)」を求める議長国英国に対し、インドが「段階的削減(phase-down)」への修正を強く求めた。COP26を契機に、世界の気候変動政策では「1.5℃目標」と「2050年カーボンニュートラル」が事実上の標準となった。まず将来のあるべき姿を定め、そこから逆算して現在の政策を決める「バックキャスト」の考え方が支配的となり、化石燃料から再生可能エネルギーへの急速な転換が唱えられた。しかし、その後の5年間に起きたことは、このシナリオ通りには進まなかった。
ウクライナ戦争、イラン戦争、そしてAI
2022年のウクライナ戦争は、エネルギー安全保障という古くて新しい問題を世界に突きつけた。ロシア産天然ガスへの依存を急速に高めていた欧州は、供給途絶と価格高騰に直面し、LNG調達、石炭火力の再稼働など、それまでの脱炭素政策とは必ずしも整合しない対応を迫られた。さらに2026年のイラン戦争は、中東からの石油、LNG、石油化学製品、海上輸送などが依然として世界経済の生命線であることを改めて浮き彫りにした。同時にAIとデータセンターの急拡大によって、これまで想定されていた以上に電力需要が増加している。世界のエネルギー問題は「いかに化石燃料を減らすか」だけではなく、増大する需要を満たすため「いかに十分なエネルギーを確保するか」という問題に変わりつつある。
2026年3月に私が参加したCERAWeekでは、こうした変化を象徴する二つの言葉が頻繁に聞かれた。一つは「エネルギー転換(Energy Transition)からエネルギー追加(Energy Addition)へ」、もう一つは「イデオロギーからプラグマティズムへ」である。世界のエネルギー需要が増え続ける中、新しいエネルギーが既存エネルギーを直ちに置き換えるとは限らない。再生可能エネルギーや原子力などを増やしながら、石油、天然ガスなど既存のエネルギーも必要に応じて使う。まさに「エネルギー転換」だけではなく「エネルギー追加」が起きているのである。
脱炭素が生んだ新たな中国依存
もう一つ、本書で大きく取り上げたのが中国と重要鉱物である。太陽光パネル、蓄電池、EV、永久磁石、そしてそれらに不可欠な重要鉱物の精製・加工。脱炭素技術のサプライチェーンでは中国が圧倒的な存在感を持つ。化石燃料への依存を減らすことはエネルギー安全保障を高める、としばしば言われる。しかしロシアや中東への依存を減らす一方で、中国への依存を高めるのであれば、安全保障問題がなくなるわけではない。依存対象が変わるだけである。
もちろん中国依存を減らすことは可能だ。しかし供給源を多角化し、国内生産を増やし、備蓄を積み増し、代替技術を開発すれば、当然コストは上昇する。脱炭素、エネルギー安全保障、経済性、産業競争力は、それぞれ独立した問題ではなくなっている。エネルギー転換とは、一本の方程式を解くような単純な作業ではない。複数の制約条件を同時に満たさなければならない、いわば多変数の連立方程式なのである。
「脱炭素原理主義」でも「脱・脱炭素」でもない
同時に筆者はそういう時であっても脱炭素に向けた努力は継続しなければならないと考える。「亡国の環境原理主義」(2021年)、岩田温先生との共著「エコ・ファシズム」(2022年)を執筆した当時、筆者は実現可能性やコストを度外視した理念先行型の環境原理主義的議論を強く批判してきた。特にバイデン政権のジョン・ケリー気候特使がさまざまな国際会議で世の正義を独占したかのような物言いをしていることには強い違和感を感じてきた。それだけにトランプ第2期政権が誕生して前政権の行き過ぎが覆されていくことにある種の小気味よさを感じたことも否めない。しかしトランプ第2期政権がパリ協定のみならず枠組条約からも離脱し、国務省の関係部局を廃止し、国連総会で「温暖化問題は今世紀最大の詐欺」と言い放つなどの挙に出ていること、さらには日本国内でも「トランプ政権に倣え」という言説が出てきていることに「環境原理主義も問題だが、脱・脱炭素も問題だ」と考えるようになった。
世界にはさまざまな課題があり、脱炭素だけですべてを律することには無理がある、一般国民が受け入れられないような高コストの脱炭素化政策はかえって有害であると考えるが、それと温暖化問題の存在や脱炭素の必要性を否定することはまったく異なる。気候変動の科学に不確実性があるのは事実だが、筆者は方向性としての低炭素化・脱炭素化は正しいと確信している。
本書のタイトルを『脱炭素現実主義』とした理由はここにある。必要なのは、脱炭素を放棄することではない。脱炭素をエネルギー安全保障、手頃な価格、産業競争力、技術的実現可能性、地政学と整合させることである。理想から出発して現実をそれに合わせようとするのではなく、現実を直視し、その中で可能な限り理想に近づいていく。これが私の考える「脱炭素現実主義」である。
日本こそ「現実主義」が必要である
この考え方は、とりわけ日本にとって重要だ。日本は資源に乏しく、エネルギーの多くを海外に依存する島国である。欧州のような国際連系線もなく、中東へのエネルギー依存度も高い。さらに中国とは地理的に近接し、重要鉱物やクリーンエネルギー技術のサプライチェーンでも深い関係を持っている。その日本に、エネルギー政策の「実験」をする余裕はない。再生可能エネルギーか原子力かといった二者択一ではなく、利用可能な選択肢を総動員する必要がある。再生可能エネルギー、原子力、LNG、CCUS、水素・アンモニア、省エネルギーなど、それぞれの長所と限界を冷静に見極めながら組み合わせるべきである。そして国際的には、AZECやPOWERR Asiaなどを通じ、アジア各国の発展段階やエネルギー事情を尊重した現実的な協力を進める必要がある。
気候変動問題は消えたわけではない。しかし、エネルギー安全保障、地政学、産業競争力、AIによる電力需要増大、重要鉱物をめぐる競争もまた消えることはない。だからこそ必要なのは、「脱炭素原理主義」でも「脱・脱炭素」でもない。方向性は維持しつつ、時間軸と手段には柔軟性を持たせる。そして理念ではなく、現実に根差して一歩ずつ前に進む。筆者が本書で一番、訴えたかったのは、そのような「エネルギーのコモンセンス」である。
本書がエネルギー・温暖化問題に関心を有する方々にと何らかの示唆を与えることになれば望外の幸せである。
脚注











