電気事業連合会発足の時代背景
…マッカーサーと電事連
桝本 晃章
元東京電力副社長
1945(昭和20)年8月15日、太平洋戦争は日本の敗戦で終戦した。
その月の月末:30日に、ダグラス・マッカーサー連合国軍最高司令官が戦勝将軍として厚木飛行場に降り立った。
その年の10月に、マッカーサーは日本の非軍事化・民主化を進めるよう、五大改革を幣原喜重郎首相に提示した。
五大改革の五項目。
① 婦人の解放、
② 労働組合の結成促進、
③ 教育の自由主義的改革、
④ 治安維持法をはじめとする圧政的な諸制度の撤廃、
⑤ 農地改革など経済の民主化。
日本政府はマッカーサーの提示を受けて、産業界に組合結成を要請し、産業界では組合結成が進んだ。
<電気事業の労働組合結成と活動過激化>
電力業界は石炭鉄鋼業界と並んで職員が多いこともあって、これら産業の労働組合は社会的影響力が極めて大きかった。
電力業界の組合=電気産業労働組合=“電産”の組合員数は最盛期:15万人だった。
“電産”は組合員数が多いだけにとどまらず、会社側に職員の給与体系を提示するほどの力もあった。
“電産”は組合の意思を通そうと、1946(昭和21)年11月14日に“停電ストライキ”を実施した。
更に、国鉄労組(50万人)、全逓信従業員組合(40万人)、電産など民間労組(70万人)は、翌1947(昭和42)年2月1日に、二・一ストとして知られるゼネラル・ストライキを計画した。
この大ストライキの報を耳にしたマッカーサーは、停電ストの社会的影響があまりに大きいということで、スト決行の前日:1月31日にスト中止命令を出した。
余談だが、この電源ストがきっかけとなって、1953(昭和28)年8月7日に、現在の「スト規制法(電気事業及び石炭鉱業における争議行為の方法の規制に関する法律)」が制定されている。
<電気事業連合会発足>
一方、経営者達は“電産”に対応しようと経営者の意見や情報交換の場をつくった。
それが電力会社経営者の集まり“電気事業経営者会議”=“電経会議”だった。
この“電経会議”は1952(昭和27)年11月に、電気事業連合会 = 電事連として改組・改称された。
電事連各部の中で最初に出来た部が労務部なのだが、そのことが電事連発足の時代背景を示している。
当然のことだが、電事連の役割は時代と共に変質してきている。
ちなみに、高度経済成長期以降、次のような課題が出てきたのだった。
- ①
- 電気の急速な普及に応じた諸規制への業界としての行政への意見出し。
政治向きへの業界の状況説明。 - ②
- 国内炭の電力業界全体での引き取り
(石炭火力発電所を持たない会社も含めて全電力会社で国内炭の引き取りをしようということで、関係費用を各社の販売電力量の規模に応じて比例按分をした)。 - ③
- 環境問題への対応のための情報収集や調査。
- ④
- 原子燃料サイクル事業三施設の立地確保
(青森県六ケ所村むつ小川原開発予定地域に使用済原子燃料再処理事業施設、ウラン濃縮事業施設、低レベル放射性廃棄物埋設などを建設するための立地確保)。
なお、この原燃サイクル三施設の六ヶ所村への立地は、国内石炭引き取りと並んで、全国の電力会社が共同して一つの課題に取り組んだ大きな仕事だった。 - ⑤
- 諸事業についての社会的理解獲得とそのための広報
(原子力広報はPA : Public Acceptanceと言われる)。 - ⑥
- その他
結果的に、筆者は電事連に5回派遣され、累計12年間仕事をした。東京電力在籍45年間の内、4分の1強の日時は電事連で仕事をさせてもらったのだった。
⦅i総務部秘書課長、ii広報部副部長、iii原子燃料サイクル三施設事業立地渉外部長、iv広報部長、v常勤副会長⦆












