澤昭裕さんと国際環境経済研究所
Akihiro Sawa and International Environment and Economy Institute
小谷 勝彦
国際環境経済研究所理事長
(一般社団法人日本動力協会 機関紙 「エネルギーと動力」2026年春季号(No.306) より転載)
澤昭裕さんと国際環境経済研究所を2011年に設立
2026年を迎えて、私どもの国際環境経済研究所(https://ieei.or.jp)は設立15年になる。
また、設立者の一人である澤昭裕さんが亡くなられて10年になる。
これについては、「澤昭裕氏没後10年追悼シンポジウム」が、公益事業学会主催で1月16日に開催されたので、動力協会の関係者の方々も参加されたと思う。
澤さんの国際環境経済研究所での発信は、研究所のアーカイブスでご覧いただけるが、2016年1月4日の「私の提言―総集編―」は、澤さんがエネルギー政策に関して最後に述べられた絶筆であり、ご一読いただければ幸いである。
https://ieei.or.jp/category/sawa-akihiro-blog/
さて、私は、2001年から新日鐵環境部長、併せて経団連温暖化WGの座長も務めたことから、経産省環境政策課長の澤さんとは、温暖化問題について、喧々諤々の意見交換をさせてもらった。
NPO法人国際環境経済研究所(IEEI)は、澤昭裕さんと何人かの有志の方々と2011年に設立したものである。
「温暖化や環境問題、リサイクルなど」に関して、HP上で、産業界や研究者が意見を発信する。
皆さんが、ローマ字でieeiと検索してもらうと、我々のHPをご覧いただける。ほぼ隔日ごとに新しい論考を掲載している。
メルマガ会員は1万人を超え、執筆者も延べ200人以上、論考はアーカイブスに2,000本超になり、「エネルギーと温暖化」に関するSNSのプラットフォームとして、多くの方から参考にしてもらっている。マスコミからの問い合わせも多い。
ボランティア組織なので、理事長と言っても、雑用係、兼、編集長である。
始めたきっかけは、私が2009年に新日鐵北京事務所長を終えて帰国した時、澤さんが東京・門前仲町で歓迎会を開いてくれた時だった。「環境に関して苦労している産業界の意見を社会に伝えることは難しいね」という話になり、温暖化問題に関して「経済と環境のバランス」の取れた意見を発信するボランティア組織を作ろうと決めた。
特定非営利活動促進法が1998年に施行され、営利を目的としないNPOが作りやすくなっていた。
当時、環境省の審議会(中央環境審議会)は、環境NPOや環境派の大学教授などが中心で、企業代表は少数派だった。特に、環境派の人たちはいつまでも代わらないが、サラリーマンは人事異動で代わり、折角の論客が雲散霧消。
産業界や研究機関、行政、メディアなどの環境に精通したオピニオンリーダーを糾合した言わば水滸伝の「梁山泊」のようなものを作ろう、という話になった。
澤さんをはじめ、鉄鋼、電力、自動車、電機、マスコミ、研究所、大学などの人たちでNPO法人を立ち上げた。動力協会の「エネルギーと動力」の「談話室」に登場したことがある有馬純さん(元・ METI)、手塚宏之さん(JFE)、山本隆三さん(元・ 住友商事)も仲間である。
理事長には、桝本晃章さん(元・東京電力副社長、動力協会の前・会長)にお願いした。私が、経団連温暖化WG座長をしていた時の、地球環境部会長をされておられた。
澤さんが研究所長となり、主として発信を担ってもらった。電力をはじめ、自動車、鉄鋼などの業界を回り、協力を仰いだ。
ところが、オピニオンリーダーとして盛んに発信していた澤昭裕さんが2015年9月ごろに体調不良を訴え、翌年1月にがんで亡くなった。澤さんから「後を頼むよ」と言われ、当時理事長だった桝本晃章さんとも相談して、私が理事長。澤さんの後任の研究所長には、山本隆三さん(常葉大学教授、元・住友商事)が就任した。
きっかけは何か?
当時の環境省にはアンチ企業の考えの方もおられ、産業界の意見が反映されにくかった。
その例として、水質規制の話があった。
環境省が2003年に水生生物を保全するために亜鉛の水質環境基準案を出してきた。1ℓ当たり10~30μgという非常に厳しい環境基準で、排水規制は、環境基準値の10倍程度に設定されることが多いので、この案が通ると、規制値は1ℓ当たり100~300μgに設定される可能性があった。
当時の亜鉛の排水規制は5,000μg。規制が1ケタ以上も厳しくなる可能性もあり、環境省と経団連が激しく対立した。
環境基準値は、専門委員会で決められるが、川の清流に住むヒラタカゲロウという昆虫が「亜鉛濃度が高いと動きが悪くなる」というたった一本の学術論文のみを根拠に、亜鉛の水質基準が決定された。
亜鉛の環境基準案がこのまま通ると、亜鉛を使用する鉄鋼、鉱山、化学、電力、下水道など幅広い業界に大きな影響が出るため、広く産業界に呼びかけて論陣を張った。鉄鋼連盟に川釣りの名人がおられ、鉛川という亜鉛濃度の高い川に行って、ヒラタカゲロウが元気に育っていることを確認してもらった。
翌日の水環境部会で、産業界の委員に、焼酎付けのヒラタカゲロウを持参してもらい、学術論文のみに準拠した原案に対して、実例を提示した。
マスコミにも、話を持ちかけたが、こんな地味なテーマは取り上げてくれなかった。
NPO法人国際環境経済研究所を設立したのは、自分たちの意見を直接、社会に訴えなければと思ったからである。
現在では、SNSが発達し、われわれ自ら発信ツールを持てる時代になっているが、当時は、「環境・エネルギー」という地味な話題に関して、自分たちの意見を発信するプラットフォームはなかった。
サラリーマンよ、発言しよう
企業の現場で、科学や技術の豊富な知見を持ちながら「なぜ、こんな実態に合わない規制が決められたのか」と悩みながら環境対策に取り組んでいるビジネスマンは少なくない。
そこで、“環境と経済の両立を目指す企業人の参画を期待する”とHPで呼びかけた。
https://ieei.or.jp/2011/02/opinion110209/
以前、中国に駐在していた時、帰国するたびに感じたのは、日本の美しさ、環境の素晴らしさだった。日本を訪ねる中国人も同じ印象を持っているようだ。
もっとも、その日本も1960年代には公害に悩まされた。しかし、政府の環境政策と企業の技術開発、環境投資の努力が相俟って、今日の素晴らしい環境を達成できたのである。
環境政策は大気や水などの伝統的な環境規制に加えて、地球温暖化、廃棄物処理など多岐にわたる。政策立案にあたっては、環境省の中央環境審議会、経済産業省の産業構造審議会などで審議される。さらに、下部機関として専門委員会が環境基準等を定める。
その専門委員会について、経済産業省は学識経験者、NGO(非政府組織)、産業界の委員が入り、実現可能性のある制度設計を行う傾向にある。一方、環境省の専門委員会は、「あるべき基準値を決める」というスタンスから、専門知識を持った学識経験者を中心に構成される。過去に「産業界の人たちは偏っている」という批判があったためか、産業界出身の委員がまったく議論に加わらないことも多い。
審議会になると、各分野の意見を徴する必要から、環境省の所管の場合でも、学識経験者やNGOなどとともに、産業界からも委員が入るようになる。ただし、経産省が所管する産業構審議会の委員がバランスよく配置されているのに対して、中央環境審議会では約30人の委員のうち、産業界代表は2、3人にとどまっている。一方で、学識経験者やNGOの委員は、長年にわたり顔ぶれが変わらないことも多い。
環境保全は、「あるべき環境基準」を定めると同時に、これを実行する企業の技術力、経済合理性がバランスして初めて実現する。国際レベルとかけ離れた規制が行われたり、技術力や経済合理性に基づく実現可能性が伴わなかったりすれば、効果的な環境政策とはなりえない。
人気映画『スター・ウォーズ』に例えるなら、強大な“環境帝国軍”と戦う“共和国連合軍”の気概だった。
われわれは何を頼ればよいのか
温暖化について、グテーレス国連事務総長は「地球は沸騰している」と危機感を煽るが、一方で、トランプ米国大統領はパリ協定から脱退した。
温暖化問題は、科学・技術、外交・政治、経済・社会と多くの分野にまたがる“総合科学”だ。
温暖化対策を進めるには、地道だが技術開発を進めてエネルギー効率を向上させる必要がある。
また、パリ協定などの国際的な温暖化対策の枠組みは、各国の利害がぶつかる外交の問題である。温室効果ガス排出量の削減には、エネルギーを消費する産業の活動がかかわっており、家庭の省エネを進めようとすると、人間一人ひとりの生き方にもかかわる。
現実は、環境面だけが突出して議論される傾向がある。
しかも、専門家の意見にも偏りがある。温暖化については、懐疑派と推進派に分かれる。
考えなければならない論点を提示すること
情報が氾濫する中で、論点が整理されれば、市民は冷静に判断してくれると信じ、 “専門家と市民をつなぐアマチュアリズム”という主張をした。
https://ieei.or.jp/2016/09/special201608006/
余りにも専門化している温暖化問題について、「専門家と市民をつなぐアマチュアリズム」の視点で述べたい。
ちょうど、安保法制の議論について、東大の牧原出教授が、以下の論を展開されていた。少し長いが、引用させていただく。(「安倍一強」の謎」(牧原出、朝日新書、2016))
「憲法学者を中心とする法案への「反対派」と、安全保障政策をフィールドとする国際政治学者を中心とする「賛成派」という対立構造を見ると、冷戦期に見られた「護憲派対改憲派」という対立の構図とは異なる姿が浮かび上がってくる。それは東日本大震災による福島第一原発事故後、先鋭に意識された「原子力ムラ」批判と通じる問題、すなわち専門家の見解をどう社会が受け止めるのかという問題として現れたのである」(p164)
「一般への浸透度は「違憲論」のほうがはるかに深い。まず、平和と戦争のイメージが、法案への反対、賛成とそれぞれ張り付いているのが大きい。さらに、憲法の平和主義は小学校以来、多くの人が聞かされてきた内容であるのに対し、東アジアの安全保障上の脅威などという話は、ほとんどの人にとってなじみが薄い。換言すれば、憲法と比べると、安全保障について基礎知識を身につける機会は、多くの国民にはあまりないのである。」(p165)
「安全保障関連法案を作成する前段として、第2次安倍政権は安全法制懇を設置して検討を重ねていた。検討内容について議事録はなく、議事要旨がウェブ上に公開されているにとどまるが、その最終回の締めくくりに次のような意見が掲載されている。」(p167)
「この問題を真剣に考えるようになったのは湾岸戦争の時であり、その頃、日本が何かをすべきだと言っていたのは本当に少数で、孤独な戦いをしていた。その頃から24年が経つが、この4半世紀のうちにようやく真っ当な安全保障論議ができる環境になってきたと思う。」(p168)
「ここにこそ、アマチュアリズムの課題がある。つまり、憲法論と安全保障論がそれぞれ、どのようにして良質なアマチュアリズムに支えられ得るのかという問いである。」(p168)
「憲法学者を中心に、大学研究者や弁護士集団が安保法制への反対論・慎重論の声をあげることになる。人数としても相当な数にのぼる。憲法学者を取り巻く、憲法を専門としないが、これについて語れる集団の厚みが世論に与える影響は、やはり大きいと言わざるを得ない。
これに対して、安全保障のほうはどうだろうか。たしかに専門家は、外務省、防衛省、さらにはアメリカの国務省や国防総省とのコミュニケーションが密である。そこで様々な機密情報に取り巻かれてもいる。ただ、この種の専門家はあまりにも高度な情報を知っているせいか、一般市民から見ると、「あなたたちは何も知らない」という態度をとっているように映りがちである。
だからこそ、こうした専門家と市民をつなぎ、一定の専門性を保ちつつ市民が理解できるようなコミュニケーションをとるアマチュアリズムが不可欠である。」(p169 ~ 170)
安保法制を温暖化問題に置き換えてみると、構図は極めて似ている。
環境学者、環境NGO、環境マスコミ等による「環境至上主義」論に対して、産業界は、1970年代以来、経済成長と、これと両立する公害対策や省エネルギーを地道に実行してきた。まさに「環境と経済の調和」を実践してきたのである。
一方、資源リサイクルを考えたごみの分別や、低燃費自動車、低電力家電を使用すると言った「エコ」意識は市民に十分に定着している。当初は受け身だった企業も、積極的にエコプロダクツ、エコソリューションを提供するようになっている。
しかしながら、「環境至上主義」論に対して、「環境と経済の調和」の大切さを市民レベルで丁寧に説明してこなかったのではないかという反省がある。さらに、IPCCやCOPなどの議論も専門家だけの議論になっている。
われわれ国際環境経済研究所は、温暖化対策やエネルギーを担当してきた企業、大学・研究所、官庁、ジャーナリズムの実務家のVoluntary Associationである。
ともすれば理念的な議論になりがちな温暖化問題に関して、企業等の実態をふまえ、実務家(アマチュア)の観点から、「専門家と市民をつなぎ、一定の専門性を保ちつつ、市民が理解できるようなコミュニケーションをとる良質なアマチュアリズム」というスタンスを提唱した。
「温暖化対策を目指す」理念は大切だが、目標に向けての道筋は一本ではない。各国の置かれたエネルギー状況も異なる。
抜本的な温暖化対策には、技術革新を進めるとともに、経済合理性に基づく投資が伴わなければならない。
アリストテレスが「政治学」の中で、「家の住み心地を決めるのは建築技師ではなく、その家に住む人だ」と言っている。
丸山眞男も「デモクラシーとは、素人が専門家を批判することの必要と意義を認めることの上に成り立っている」(「ファシズムの現代的状況」(昭和28年))と言っている。
分断の時代
分断はトランプだけではない。わが国にも「分断」 が存在する。
温暖化に関しては、マスコミも二項対立である。特に原発については、新聞も懐疑派(朝日、毎日、東京)と推進派(サンケイ、読売)に分かれ、自分の取っている新聞では、他紙の意見の異なる論調は読めない。
若者は新聞を読まず、SNSで情報を手に入れるが、自分と同じ意見しか見ない。いわゆる「エコーチェンバー」といわれる現象が「分断」を一層激化させる。
マスコミで温暖化問題をとりあげる場合、環境・科学・社会部の記者が担当し、経済や政治部の人が書くことはほとんどない。環境学者も環境が他の分野より上位という発想がある。しかし、環境はあくまで対象であって、経営学や政治学、工学などのアプローチが必要だ。
例えば、自然エネルギーの推進のために、民主党政権下で太陽光発電が20年間にわたって40-42円/ kWhという価格が設定され、今も維持されている。現在の市場価格が10円を切るレベルまで下がっているのに、最初に参入した事業者は高い価格で販売できる。
さらに、推進のための再エネ補助金は、国民に負担を強いている割には、太陽光パネルが中国製に席巻され、日本の産業競争力強化には繋がらなかった。
極端なイデオロギーでの理想の追求は災いに
自由主義哲学者のアイザイア・バーリンは1987年に行った講演で、「保守であれ、リベラルであれ、極端なイデオロギーの下に『理想の追求』を急ぐ時に大きな災いがもたらされることは、歴史の証明するところである」と述べている。(塩野七生『海の都の物語〈3〉』(新潮社、2009年)の渡辺靖の解説より)
環境保全に関しても、あまりにも極端な理念に基づいて、強行するのは危険だ。
国際環境経済研究所では、経済など様々なテーマとのバランスをとって問題に取り組んでいる。
地球にとって人間は小さな存在で、自然の摂理はそれよりずっと大きい。
他方で、中国で起きた環境汚染などを見ると、人間はこれだけ環境を破壊することもできるのだと感じる。人間がすべてできると考えるのは、傲慢だ。
理念的な考え方だけでなく、自然における人間の存在を捉え、実行していくことが必要だろう。
ボルテールの「寛容論」
われわれは、分断化のなかでも、「環境と経済の調和のとれた」発信をしていく。
意見が異なる方々にも門戸を開いている。我々の主張にクレームをつけられた人に、投稿してもらったこともある。
フランスの哲学者ボルテールの「私はあなたの意見に反対だが、あなたがそれを主張する権利は守る」を基本的な姿勢にしたいと思っている。












