「いかに育まれたか」深い洞察

書評:北 康利 著『白洲次郎ー占領を背負った男(上・下)』


国際環境経済研究所理事・主席研究員

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(「電気新聞」より転載:2023年4月14日付)

 日本資本主義の父と呼ばれる渋沢栄一や、戦後最大の難事業、黒四ダム建設を成功へと導いた太田垣士郎の評伝を読んで、著者の評伝のとりこになった方も多いだろう。私もその一人で、様々なエピソードから浮かび上がる魅力的な人物像、その人物が生きた時代背景への深い洞察に多くの示唆を得てきた。特に今スポットライトを当てたいのが白洲次郎である。

 初めて白洲次郎の存在を身近に感じたのは、東京電力で尾瀬の自然保護活動の担当になった時だ。尾瀬は大正時代に水力発電所の建設計画が持ち上がり、1915年に当時の電力会社(利根発電)が民有地だった群馬県側の土地を取得した(福島・新潟県側は当時も今も国有林)。22年には関東水電が水利権を取得したが、たび重なる戦争や震災で大規模な開発が難しかったこと、当時から尾瀬の自然は守るべきだという声が強かったことなどがあり、計画が実現しないまま、尾瀬は1951年の東京電力設立時に、前身の会社から引き継がれたのである。

 しかしこれに猛烈に抗議したのが当時東北電力の会長を務めていた白洲次郎だった。「尾瀬の水は東北のものだ」と東電本店に怒鳴り込んできたという逸話を聞いて、強く興味をひかれた。確かに尾瀬の水は只見川を走り、日本海側に向けていく。東北を潤すべき水を関東に持っていく横暴は許さないという主張は正しい。

 それから白洲の評伝は数々手に取ってきたが、本書ほど「白洲次郎とはいかに育まれたのか」について優れた洞察を行ったものには出会っていない。戦後日本の最も深刻な状況は太平洋戦争の敗戦からの復興だったろう。GHQと渡り合い、日本国憲法制定や講和条約締結に奔走、戦いで一番つらい殿を見事に務めた。

 GHQに対して指示は文書で出すよう求めたエピソードは、ガバナンスについての深い理解に裏打ちされたものだろう。現在の行政・政治の関係者にも改めて認識されるべきだ。近年動画配信をすれば公開しているような向きがあるが、文書で端的に示すべきで、それでなければEBPM(証拠に基づく政策立案)の検証は不可能だ。本書の白洲と「電力の鬼」松永安左エ門の絡みなどは出色だ。

 当時白洲次郎が日本にいてくれたことを感謝すべきなのか、今の世に白洲次郎がいないことを嘆くべきなのかはわからない。本書が描いた「白洲次郎とはいかに育まれたか」を改めて学びたい。


※ 一般社団法人日本電気協会に無断で転載することを禁ず

『白洲次郎ー占領を背負った男(上・下)』
北 康利 著(出版社:講談社
ISBN-13:978-4062762199(上)、978-4062762601(下)