2030年度電源構成のなかの再生可能エネルギー(再エネ)比率の意味を考える(その5)

究極のエネルギーとしてメデイアが煽る水素エネルギー社会の不可思議


東京工業大学名誉教授

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 水素エネルギー利用でのさらにもう一つの効用として、水素が資源量として無限に存在する水からつくることができるとの科学的な錯覚が加わり、それが、「水素エネルギー社会」にまで発展したと言ってよい。しかし、無限に存在する水から水素をつくるには、エネルギーが必要である。これが、水素はエネルギーでなくエネルギーキャリアと言われる所以である。化石燃料が枯渇した後に使えるエネルギーは、再エネあるいは原子力エネルギーしかないが、これらは現在、主として電力に変換・利用されている。したがって、この再エネ電力を使って水素をつくり、その水素を使って再び電力をつくるのであれば、上記したように、もともとの再エネ電力をそのまま使ったほうが、その利用効率が良いのは余りにも自明である。
 なお、不安定な電力源である太陽光や風力発電の利用で、この水素キャリアを蓄電用に用いて、電力の平滑化を図ろうとの試みがあるが、その実用化の可能性は、他の蓄電方式とのエネルギー効率、コストの比較で、いずれを選ぶかが評価されるべきである。

“はじめに燃料電池ありき”に導かれる水素エネルギー社会は幻想に過ぎない

 では、どうして、いま、エネルギー政策のなかに、水素エネルギー社会が迷い込んだのであろうか?それは、水素をエネルギー源とした燃料電池利用の設備・システムの実用化を、夢の水素エネルギー社会への途を拓くものだと決めつけてしまった、この国のエネルギー政策の混迷に原因があると言ってよい。
 確かに、水素をエネルギー源とした燃料電池は、高い電力変換のエネルギー効率(発電効率)を持っている。しかし、それに目を奪われて、“はじめに燃料電池ありき”となってしまった結果、実用化にとって重要な原料水素の製造を含めた燃料電池利用のシステム全体のエネルギー効率、および経済性に関する検討などの可能性評価研究(フィージビリテイスタデイ)が行われないままに、税金を使って進められる国のエネルギー政策の重要課題とされてしまった。
 実は、これと同じことが、つい最近も、この国のエネルギー政策のなかで進められたことを付記したい。それは、本稿(その4)に述べた、バイオ燃料を主体とするバイオマスのエネルギー利用・普及のための国策「バイオマス・ニッポン総合戦略」の推進であった。メデイアが中心になって、猫も杓子も、バイオ、バイオと騒ぎ立てた結果、多額の税金が消えて行った。
 いま、日本のエネルギー政策にとって最も大事なことは、エネルギー利用での経済最適化の原点にもどって、当面は、化石燃料の輸入金額が最小になるように、化石燃料の種類を選択する(火力発電には安価な石炭を使うなど)とともに、徹底した省エネを図りながら、やがて来る輸入化石燃料の枯渇に備えて、国民に経済的な負担を強いるFIT制度を適用しないで、国産の再エネ電力に依存できる、経済成長を抑制した「電力化社会」への移行を図ることでなければならない。

引用文献

5-1.
久保田 宏、伊香輪 恒男;ルブランの末裔、東海大学出版会、1978年
5-2.
久保田 宏、平田賢太郎;資源エネルギーと高分子材料、化学経済、2015・2月号、p.71~78
5-3.
久保田 宏 編著; 選択のエネルギー、日刊工業新聞社、1987 年
5-4.
久保田 宏、松田 智;幻想のバイオ燃料~科学技術的見地から地球環境保全対策を斬る、日刊工業新聞社、2009 年

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