私的京都議定書始末記(その29)

-コペンハーゲン(1)-


国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授

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デジャヴ

 今(2013年11月18日)、ワルシャワで開催中のCOP19でCOP17(ダーバン)で設置が決まったADP(Ad Hoc Working Group on the Durban Platform for Enhanced Action)の議論を聞きながら、この原稿を書いている。ADPは「2015年までに全ての締約国に適用される議定書、その他の法的文書あるいは法的効力を有する合意された成果を作るために」設置されたものであり、今度こそ、先進国、途上国の二分法を克服した枠組みができるものと期待されていた。

 しかし今、ADPの議論を聞いていると、恐ろしいことに、前回書いたAWG-LCAの議論とほとんど同じである。途上国曰く、先進国の緩和は義務、途上国の緩和は支援を条件とした自主的行動、資金、技術支援、適応について先進国は約束を果たしていない等々・・・。目をつぶって聞いているとタイムマシンに乗って4年前に戻ったかのごとくである。

 COP13(バリ)で設置されたAWG-LCAは全ての国が参加する公平で実効ある枠組みを交渉する場として期待されていたが、結局は先進国と途上国の対立の渦に飲み込まれてしまった。ADPも同じ運命をたどるのだろうか。考えてみればどんなに良いプロセスができたとしても、それに参加する交渉官の面子が変わらなければ同じ議論の繰り返しになるのは当然でもある。プロセスを生かすも殺すも人次第だとつくづく思う。ここで時間を再び4年前のコペンハーゲンに戻したい。

コペンハーゲン

 2009年12月5日、私を含む日本政府代表団はコペンハーゲンに到着した。空港にも街中にもHope(希望)とCopenhagen を組み合わせたHopenhagen の文字が躍っていた。デンマークがこの会議にいかに威信をかけているかがうかがわれた。

 日本代表団の宿舎は市中心部のホテルである。もともとデンマークは物価の高い町だが、「COP15相場」でホテル代は一泊5万円近くに跳ね上がっていた。この時期、コペンハーゲンに入った会議参加者は一様にコペンハーゲンのホテル価格に悩まされたはずだ。街中でちょっとしたチャーハンを食べても3000円近くするので、経産省作業室では、冷凍ピザでも食べられるようにと現地の電気屋で電子レンジを買ってきたのだが、ホテル側から「勝手に調理するな」と文句が来た。それだけではない。COP交渉時は昼食をとる時間もないことがままある。このため各自、朝食ブッフェを活用して手製のサンドイッチを作り、会議場に持ちこむことが多いのだが、2-3日目にブッフェのところに立て札が立っており「ランチボックスを作るな」とある。ボンの退屈なマリティムホテルでもそんなしみったれなことは言わなかった。極めつけは交渉最終日、ぼろぼろに疲れてホテルに帰るとシャワーから温水が出なかったことだ。このホテルの名前はあえて書かないことにするが、我々のCOP15の印象を悪くしたことは間違いない。

 ホテルにチェックイン後、早速、会場のベラセンターで出席登録をしてバッジを受け取る。後から考えれば早々とバッジを受け取っておいてよかった。COP15への期待値が極限まで高まっていたたため、週明けから出席登録に長蛇の列ができることになるからだ。それに加え、条約事務局のミスか、デンマーク政府のミスかはわからないが、会場のキャパシティが1.5万人程度であるにもかかわらず、4万人程度の人数が登録されていたという。このため、雪のちらつく寒空の中で何時間も待たされたあげく、バッジが出ずに風邪を引いた人も出た。冗談にならないのは中国の解振華副主任にすらバッジがすぐに出なかったことだ。解振華副主任は大人風の人であるが、さすがの彼も激怒したらしい。

 12月7日のオープニングセレモニーでは大スクリーン上に幼い女の子が干上がった地表に立ちすくむイメージが映し出され、我々の世代が行動を起こさねばならないという雰囲気を盛り上げる。続いてコペンハーゲンの女声合唱団が厳かに歌を歌い、パープルのドレスに身を包んだヘデゴー大臣が現れ、COP15の開会を宣言し、「ついにこの日がやってきた。世界が待ちわびる合意を作り出すのはあなた方だ」と最大級の檄を飛ばした。

 だが、前回も書いたように、デンマークの意気込みとは裏腹にCOP15の道行きはとても楽観できるものではなかった。コペンハーゲンで条約、議定書のような法的枠組みの署名ができると考えている者は誰もいなかった。クタヤール議長はコペンハーゲンでは法的枠組みそのものではなく、その要素となる政治合意を目指すとしていたが、AWG-LCAでの議論は一向に収斂しておらず、200ページを超えるテキストは交渉の土台にはなり得ないものであった。

 もちろん議長国デンマークもそんなことは十分にわかっていた。こうした交渉の常として各国が自分の主張に固執し、テキストが制御不可能な状態になれば、議長が適切なタイミングで議長テキストを出してくる。デンマークもそうしたテキストを用意していたらしい。不幸なことにそのデンマーク議長テキストなるものが交渉2日目の12月8日に英紙ガーディアンにすっぱ抜かれた。それによると温室効果ガス削減の長期目標として、「世界の平均気温の上昇が産業革命前と比べ2度を超えてはならないという科学の指摘を認識する」とし、実現のために「世界全体の排出量を2050年までに90年比50%減」などを挙げている。先進国全体の削減率は、2020年までの中期目標は空欄で、2050年までの長期目標は「90年比80%減」とした。また国別目標を添付文書の中に記載し、2020年までの削減目標や排出権購入分なども盛り込むとした。途上国も国ごとに削減の取り組みを義務付けるとし、排出を頭打ちにする時期を明記する段落も設けられていた。このテキストの作成過程は承知していないし、その真贋や、誰がリークしたのかも今となってはわからない。しかし報道された内容を見る限り、落としどころとしてはリーズナブルなものに思えた。だからこそ、このリーク記事に対して途上国は強く反発した。彼らの山のようなコメントをオプションの形で盛り込んだ200ページのAWG-LCAテキストをないがしろにしている、プロセスが不透明であり、締約国主導(これをこの世界ではParty-drivenという)ではない、というわけである。このため、ただでさえぎすぎすした交渉の雰囲気がますます険悪なものになった。

 もともとCOP交渉の1週間目は事務レベル交渉であり、議論が収斂するはずがないことはわかりつつも、延々とそれまでの議論を繰り返すのが「通過儀礼」のようなものである。事実、AWG-KPでもAWG-LCAでも1週間目は11月初めのバルセロナと代わり映えのしない議論が続けられていた。

 小沢鋭仁環境大臣をはじめ、週末には各国の閣僚もコペンハーゲンに入り、週末の12月13日には非公式閣僚会議も開催されたが、会合から戻ってきた小沢大臣は対立の激しさと雰囲気の険悪さに驚いていた。週明けにはAWG-LCA、AWG-KPの主要対立点について閣僚レベルのファシリテーターが指名され、翌週の前半も「調整」が行われたが、その実は議長席に閣僚が座っているものの、各国の席に座っているのは私のような交渉官であり、しかもプレナリールームのような大きな部屋での議論である。話がまとまるわけがなかった。私は「こんな議論をしてもなあ」と思いつつ、いずれかのタイミングで「議長テキスト」を出すための通過儀礼だろうと思って参加していた。

 確か16日の水曜日だったと思うが、COP議長であるヘデゴー大臣によるストックテーキングの際に、彼女は「もうすぐ議長テキストを出す」と発言した。これに中国を初めとする一部途上国が「我々の交渉テキストはこれまでAWG-LCAで議論してきたものである」として激しく噛み付いた。ガーディアンにリークされたテキストがこれから出てくる「議長テキスト」であるとすれば、京都議定書の先進国・途上国二分法と異なるアプローチを取るものであり、彼らにとって受け入れられないものだったのだろう。しかし、ここでヘデゴー議長は踏ん張るべきであったと思う。会議の合意を確保するため、議長がテキストを出すことは十分に有り得ることだし、これまでのCOPでも何度もそういう局面があった。私にとっては良い思い出ではないが、COP6の際のプロンクペーパーもその一例である。しかし、ここでヘデゴー大臣は途上国からの反発に譲歩し、現行テキストに基づく不毛な交渉を続けることにしてしまった。これによって貴重な時間が不毛な交渉によって更に空費されることになる。翌日から首脳レベルのハイレベルセグメントが始まるにもかかわらず、である。COP15が失敗に終わった要因は色々あるだろうが、2週目中盤のこの足踏みは致命的だったのではないかと思う。

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