オバマ政権の環境・エネルギー政策(その10)

ブッシュ政権で進んだ原子力政策


環境政策アナリスト

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 2000年、ジョージ・W・ブッシュ氏が大統領に就任してから、米国の原子力政策は格段に進んだ。
 2001年5月にチェイニー副大統領が座長として取りまとめた「国家エネルギー政策」は、原子力を「温室効果ガスを発生しない大規模なエネルギー供給源」であると評価し、エネルギー政策の主要な柱として原子力発電を位置づけた。カリフォルニア州の電力危機や、原油価格の高騰を受けたものだ。

サウステキサスプロジェクトライセンス申請にあたり記者会見するドメニチ議員(共和党・2008年引退)(2007年9月25日上院内にて、筆者撮影)

 「国家エネルギー政策」を受けてDOEは2002年2月、「原子力発電2010計画」をまとめた。この計画では、原子力発電プラントの許認可プロセスのデモンストレーションや新規建設サイトの確定、新型原子炉の開発を、国と産業界でコストを分担して行い、2005年までに事業者が建設を決定。2010年までに新型原子力発電所の運転を開始しようという青写真を描いた。
 さらに2005年8月には、2005年エネルギー政策法が成立した。これはニュー・メキシコ州出身のピート・ドメニチ上院議員が尽力した法案で、外国石油への依存度を軽減し、国内エネルギー供給の拡大を目指すブッシュ政権のエネルギー政策を法的に裏付けるもの。原子力発電の利用拡大を供給力拡大の柱として位置づけ、政府による新規建設の支援策を盛り込んだ。
 具体的には新規原子力発電所への支援策として、連邦融資保証(loan guarantee)、発電税控除(production tax credit)、規制リスク保険プログラム(standby support)を打ち出した。融資保証はプロジェクト・コストの最大80%までを、仮にプロジェクトが成立しなかった場合でも連邦政府がその債務を保証しようというもの。発電税控除は600万キロワット分(6基程度と想定されるがキロワットで表現)まで1キロワット時1.8セントを法人税から控除しようというもの。規制リスク保険プログラムは先進的原子力プラントについて6基までを対象に、仮に規制の問題で建設が遅れたら連邦政府がその損失を補填するというものだ。
 2005年エネルギー政策法の審議の際、実際に法案に記載されていたのは上記のうち債務保証と発電税控除の2つだけであった。両院協議会の過程の中で電力会社の支援を得るために議員からさらに要求はないか、主な電力会社に照会があったという。それに対して電力の中から規制が理由で遅れることに対する不安が表明され、それを受けて議会側は急遽、両院協議会の中に規制リスク保険プログラムを加えることになった。いかに時の議会は、原子力の促進に強い意気込みがあったかを物語るエピソードである。
 筆者は、ドメニチ上院議員が議会に関係者を招き、1992年のエネルギー政策法(COLコンバインドライセンス 建設・運転一括許認可を導入)では動き出さなかった原子力を、2005年エネルギー政策法でようやく動きださせることができたという趣旨のことを満足気に語っていたのを聞いたことがある。そのときドメニチ上院議員はすでに2008年上院選で立候補をしないことを表明していたので、出席者からはこの発言をある種の感慨をもって受け止められた。と同時に、ドメニチ上院議員引退後、原子力は一体だれが率いてくれるのか、原子力関係者の中に漠然とした不安が過ぎったのも事実である。
 この厚い支援に対し、ようやく電力会社は原子力新設に動きだした。最大で、米原子力規制委員会(NRC)に対し、18地点、27基のプラントがCOL(コンバインド・ライセンス 建設運転一括許可)を申請した。結局、原子力2010計画の青写真からは5年程度遅れているが、2010年には新設原子力発電所の認可が行われ、サザンカンパニーのボートル3,4号、サウスカロライナエレクトリック&ガスのVCサマー2,3号の建設が始まることになった。先行するボートル3,4号は米国では30年来の新規建設となった。
 融資保証の対象には、NRGエナジーなどが推進するサウステキサスプロジェクト(ABWR2基)をはじめとする4プロジェクト7基が最終選考に残った。しかし、現在では、リーマンショック、福島第一事故などを含む種々の経緯を辿り、結果的にはプロジェクトとしては断念する結果となっている。
 COL(コンバインドライセンス 運転建設一括許可)申請をしながら融資保証の適用対象には入っていないプロジェクト13件・19基については、当時金融危機に直面した米国では、選考にもれたプラントの建設についての資金調達は当面難しいとみられた。実際に、いくつかのプロジェクトは計画の延期を発表している。金融危機による資金調達難と、建設資機材の高騰により予算が膨張していることが原因であるといわれている。原子力ルネサンスという言葉が使われた頃の強いモーメンタムは今は色あせたが、個々のプロジェクトは淡々と進むモードに変わっている。
 他方、米国の商用原子炉のうち、実にその半数が10年以内に、初期の運転認可期間である40年を迎える。20年以内に範囲を広げれば、9割以上の発電所が40年を迎えてしまうのだ。発電所は続々と運転期間を20年延長する認可を原子力規制委員会から受けている。
 一部経済的でなくなった原子力発電所については廃炉も進んでいる。地球温暖化防止への積極的な対策を考えるとき、原子力発電所のリプレースを火力でまかなうわけにはいかない。再生可能エネルギーでは増加しているが、系統面でのボトルネックが表面化している。
 2005年エネルギー政策法には国益電力送電網構想も盛り込まれた。送電線建設が長く行われず、送電線混雑が多く発生するようになっており、系統の安定性に懸念が生じたため特に州を越えた送電建設を促す必要があったからだ。2007年国益送電線路指定地域が発表された。しかし、指定された地域の住民からは強い反対が表明されており、今後も紆余曲折が予想される。国益送電線路指定は連邦、具体的には連邦エネルギー規制委員会が関係各者との調整を行うことになっており、場合によっては公聴会も実施するが、先に述べたように連邦エネルギー規制委員会の調整は常にきわめて困難である。実際いくつかの国益送電線路が指定されたが、地元との調整が連邦エネルギー規制委員会によって図られ、実際の建設につながったプロジェクトはない。

GNEPと廃棄物処理への取り組み

 2006年2月、ブッシュ大統領は一般教書演説で、国際原子力エネルギー・パートナーシップ(GNEP)構想を提唱した。米国、日本、フランス、ロシア、中国の5カ国をGNEPパートナーシップ国として、原子燃料サイクル国と定義。開発途上国はGNEPパートナー国から発電用の原子燃料を供給され、原子力発電のみを行うとするものだ。濃縮や再処理などの核兵器につながる機微な技術の流出を防ぐととともに、原子力発電の世界への普及を図ることで、エネルギー資源問題や地球環境問題も同時に解決していこうというのが狙いだ。
 米国内部のエネルギー政策から見ると、GNEP構想は、カーター政権以来、再処理路線を放棄してきた米国政府が、廃棄物処分技術の確立を目指す方向に方針転換したものだったといえる。
 この背景には2010年までに操業を開始していたネバダ州ユッカマウンテン処分場の建設計画に遅れが生じており、さらに、仮にユッカマウンテンの処分場が建設できたとしても、2015年ごろから使用済み燃料処分場が不足するという現実があった。
 しかし、2006年11月の中間選挙で、民主党が上下両院での多数党に返り咲いた。これによりGNEP予算が削減され、計画が遅れた。また2007年10月29日、全米科学アカデミーの研究チームはGNEP計画に対して「技術と資金の両面でリスクが大きい」として計画の見直しを求める報告を発表。ブッシュ政権も終盤に近づいたころには、GNEP計画は先がみえない袋小路に追い込まれ、オバマ政権になって燃料サイクル関係の研究開発は途絶えた形となっている。
 ここで示した原子力の諸課題は次章で詳しく述べたい。