PM2.5連載企画 スペシャルインタビュー
東京女子医科大学 名誉教授 香川 順氏

「PM2.5問題の今」を聞く
大気汚染と健康影響:PM2.5による健康影響は全身に及び死亡率を高める


国際環境経済研究所理事、東京大学客員准教授

印刷用ページ

――こうした事態に、国は具体的な対策に乗り出したのでしょうか?

香川:石炭使用に伴う煤煙・煤塵を規制するために1962(昭和37)年に煤煙規制法(煤煙の排出の規制等に関する法律)が制定されましたが、深刻化する煤煙・煤塵やSOXに対して、政府は、総合的な汚染防止対策を進めるために1967(昭和42)年に「公害対策基本法」を制定し、翌年「大気汚染防止法」が成立しました。1969年には我が国最初の環境基準である「いおう酸化物に係る環境基準」(1973年に二酸化硫黄に係る環境基準に改正)が制定されました。これらによって、原油の低硫黄化や液化天然ガスへの燃料転換、排気ガスの脱硫装置を工場に設置するなどの対策が進み、7~9年後にはほとんどの地域で環境基準を達成しています。
 一方、深刻化する大気や水質汚染に係る健康被害を救済するために1969(昭和44)年に「公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法」が制定され、その後、同法に代わって1973年には「公害健康被害補償法」が施行されました。この法律は、大気汚染系疾病に関しては、大気中のSO2の年平均値が0.05 ppm以上(SO2の環境基準の約2~2.5倍に相当)の地域で、慢性気管支炎・気管支喘息・肺気腫、喘息性気管支炎の4つの指定疾病が空気のきれいなところに比べて増えている地域(実際は、慢性気管支炎の基本症状である持続性せき・たん症状の有症率が空気清浄地域に比し、おおむね2~3倍以上で評価)を指定して、指定疾病に罹患している者の療養費、生活費等を補償する制度で、汚染原因者(企業)が補償費用を負担しました。
 政府は、公害対策を一層推進するために、1970年の暮れの国会は「公害国会」と呼ばれ、公害対策基本法、道路交通法、騒音規制法などを一部改正し、公害対策を一層充実させました。そして、1971(昭和46)年に環境庁(2001年に中央省庁再編に伴い環境省)を発足させました。

――東京でも大気汚染の問題は起きましたか?

香川:東京でも私が医学生の頃(1955(昭和30)年~1961(昭和36)年)は、冬になると煤煙・煤塵によるスモッグで視界が悪くなり100 m位の先がかすんでよく見えない日がみられましたが、事件と呼ばれるような事件は発生していませんでしたが、1970(昭和45)年に「光化学スモック事件」が東京で発生しました。7月に杉並の東京立正高校で運動中の高校生が目や咽頭の刺激症状、咳、呼吸困難、頭痛、しびれ感を訴え、一部の者は高度の呼吸困難、痙攣発作や意識障害などを起こし救急病院に搬送される者もでて、大騒ぎになりました。この発症原因について、硫酸ミスト説など様々の説がでましたが、後の研究(香川らの調整された人の曝露研究)で、目、咽頭や気道の刺激症状は光化学オキシダント(オゾン(O3)やperoxyacetyl nitrate(PAN)など)で説明できることが分かりました。痙攣発作や意識障害については目や気道刺激症状から不安を引き起こし、過呼吸(過剰換気)が誘発されて過剰換気症候群が発症したためという説などがだされましたが、未だに真因は分かっていません。二年後には練馬区の石神井南中学校でも類似の症状が観察されています。目や気道刺激症状などは、現在でも一般の地域住民でも観察されています。
 光化学オキシダント(OX)は、NOXと炭化水素に太陽の紫外線が照射することにより光化学反応で二次的に形成されるもので、このとき微小粒子も形成されるので光化学スモッグと呼称されますが、主成分はO3です。そこで、国は、固定発生源のNOXに対しては1973(昭和48)年の排出基準設定で産業型公害規制を順次強化し、自動車排出ガスからのNOXに対しても1978(昭和53)年から本格的な規制が開始されました。炭化水素に対しても大気汚染防止法に基づいて規制に取り組んでいます。
 光化学スモッグ事件を契機に、NOXへの関心が高まり、自動車排出ガスに係る公害訴訟が1976(昭和51)年から各地で発生し、1996(平成8)年には、国、東京都、首都高速道路公団およびディーゼル自動車メーカーを相手に東京訴訟が提訴(2007(平成19)年に和解)されたりしています。
 また、光化学スモッグ事件が発生した1970(昭和45)年には、あるグループの健康診断機関が、新宿区牛込柳町の交差点付近の住民の健康診断でかなり多くの者が鉛中毒に罹患している疑いがあり、その鉛は自動車排出ガスに由来していると公表し、牛込柳町鉛害事件として取り上げられました。しかし、その後の別の機関による再検査で、血中鉛の測定手技に問題があることが分かり、鉛中毒の心配はないことが判明しました。この騒動の経過中に国会で、この問題が取り上げられ、時の大臣の「それならガソリンに鉛を入れないようにすれば良いではないか」との鶴の一声で、ガソリンの無鉛化が進み、レギュラー・ガソリンは1975(昭和50)年に無鉛化、プレミアム・ガソリンは1987(昭和62)年から完全に無鉛化されました。ガソリンの無鉛化は先進諸国のなかで一番早くなしとげられ、怪我の功名(?)といえます。

「日本の大気汚染による健康影響問題は解決した」という誤った認識が広がっている。

――日本は公害や光化学スモッグ対策として、厳しい環境基準を課してきたのですか?

香川:1969(昭和44)年に我が国最初の環境基準である「いおう酸化物に係る環境基準(1973年に二酸化硫黄に係る環境基準に改正)」を設定後、1970年に一酸化炭素(CO)、1972年に浮遊粒子状物質(SPM)、1973年に光化学オキシダント(OX)とNO2の五つの主要大気汚染物質の環境基準が設定されました。しかし、NO2に係る環境基準はあまりにも厳しく、達成することが困難なため、産業界からも最新の医学的な知見に基づき見直すべきだという動きが起こりました。見直しの結果、1978(昭和53)年に基準値は2~3倍に緩められ、緩和の基になった疫学データの統計解析手法などを巡り、旧環境基準が正しいのだというNO2論争などがおこったりしました。
 大気汚染対策によりOX以外の主要大気汚染物質濃度は減少していっているなかで、公害健康被害補償法(公健法)で認定されている喘息患者数は増え続け、補償費用も増え続けました。補償費用を負担している産業界から、喘息患者が増えているのは大気汚染以外の要因で増えているのではないかと、公健法のあり方を見直すべきだという要望が出ました。
 そこで環境庁は、公健法制定時の高濃度のSO2濃度は著しく改善されていることを踏まえて、1983(昭和58)年に中央公害対策審議会(中公審)に我が国の大気汚染の様態の変化を踏まえ、公健法の大気汚染系疾病に係る第1種地域の今後のあり方について諮問しました。中公審の環境保健部会は「大気汚染と健康影響との関係の評価等に関する専門委員会」を設置し、そこでの検討結果を3年後の1986(昭和61)年に専門委員会報告として中公審に提出しました。検討結果は「現在の大気汚染は、総体として慢性閉塞性肺疾患の自然史に何らかの影響を及ぼしている可能性は否定できないが、昭和30~40年代とは同様のものとは考えられなかった」というものでした。つまり、簡潔に述べると、「現在の大気汚染は、補償しないといけないような呼吸器疾患を発症させるような状況ではない」という結論である。
 この結論に基づき、公健法の第1種地域の地域指定に該当する地域がなくなり、新たな患者も認定しないことになりました。行政も産業界も「日本の大気汚染に係る公害問題は片付いた」と考えたわけです。
 但し、専門委員会報告では、一般環境よりも濃度の高い局地的汚染(自動車沿道汚染を念頭においた表現)と感受性の高い集団の存在を考慮する必要があると注意を喚起しています。これを受けて環境庁は、局地的汚染の研究班(後に、そら(SORA:Study On Respiratory disease and Automobile exhaust)プロジェクト)と大気汚染による健康影響を早期に発見するための環境保健サーベイランス検討班を発足させ今日に至っています。そらプロジェクトは、2005(平成17)年から自動車排出ガスと学童の喘息および成人の慢性閉塞性肺疾患(COPD)との関連の追跡調査を行い、2011(平成23)年に結果報告書が出されています。その結果は、自動車排出ガスへの曝露と喘息やCOPDの間で一貫性のある関連は認められないが、学童の喘息では、元素状炭素とNOX個人曝露推計値との間で一部関連が認められたというものでした。

――この1986(昭和61)年の専門委員会報告は大きな影響を与えたのでしょうか?

香川:報告の結果、上記の注意を喚起する事項が指摘されているのにもかかわらず、大気汚染問題に関する研究費は大幅にカットされ、新たにオゾン層破壊や温暖化問題などの地球環境問題に世間の関心がシフトしました。大気汚染に関する研究者、特に医師で健康影響問題を研究する者がほとんどいなくなってしまいました。
 一方、環境汚染問題は複雑化・多様化・広域化しています。環境基準が定められている物質にSO2・SPM・CO・NO2・光化学OXの5つの大気汚染物質がありますが、この他にも健康に悪影響を及ぼす大気汚染物質はたくさんあります。固定発生源から出てくる排出物や移動発生源の自動車の排気ガスに含まれるベンゼンなどを含む有害な有機化合物などによる健康影響にも対応しなければなりません。1993(平成5)年に「環境基本法」が成立(これに伴い公害対策基本法は廃止)していますが、これは、法的な規制ばかりでなく事業者等は自主管理をして、自主的な排出量の低減を求めています。