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双葉町レポート(2):避難と記憶


相馬中央病院 非常勤医師/東京慈恵会医科大学臨床検査医学講座 講師


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爆発音を聞きながら:ヘルスケアーふたば

 しかし、放射能への恐怖という点で、もっと緊迫した状況で避難した人々もあります。
 「ヘルスケアーふたば」はトレーニングルームやサウナ付きの温泉プールが完備する福祉施設であり、津波の後には多くの住民がこの場所に避難しました。
 「ここには設備が十分あったので、すぐに他の避難所の炊き出しを開始したんです」
とHさんが見せてくれたホワイトボードには10か所ほどの避難所のリストと、炊き出し予定の印。その印が12日午前で途絶えています。厨房には作りかけの食事や米袋が放置されていました。


12日の午前で途切れた炊き出しのスケジュール

 「これ、買ったお米じゃなくて地元の方が持ってきてくれたものですね」。
 山積みにされた60㎏の米袋を見て、見学者の一人がつぶやきました。たしかに米袋には農協の印などがなく、おそらく震災直後に避難された方が持ち寄ったのでしょう。まだ全袋調査など想像もつかない当時のお米。物も心も豊かな町なのだから、お互いに助け合って乗り越えられる。この時には皆がそう信じていたのではないでしょうか。
 この施設では車の手配に時間がかかったため、実際に入所中の方避難できたのは12日の午後になりました。1号機の水素爆発は12日の15時36分ですから、まだ人が施設にいるうちに爆発音が聞こえただろう、と推測されます。
 デイサービスの部屋は、まるで突然人が蒸発したかのように何もかもがそのままでした。飲みかけのコップ、食べかけのお菓子、めくれたままの布団、ティッシュ、タオル…。車いすも机に向かったままの状態で放置されています。この散らかりようからも、当時の切迫感がうかがえます。
 もし自分が今ここで爆発音を聞いて、移動するための車がなかったとしたら。この静まり返った空間で耳を澄ましても、十分に想像できたとは言えません。それでも、よく一人もとり残すことなく避難できた、と、鳥肌が立つような感動を覚えざるを得ません。


エレベーターが止まっていたため、車椅子の患者さんは乗せたまま数人が抱え階段を下りて運ばれたという

 震災のすぐ後、避難区域にある病院で、医師が患者を置いて先に避難した、ということがニュースとして取り上げられたことがありました。その医師は戻れないということなど知らずに患者の避難に付き添った結果患者を置き去りにしたことになってしまった、という事情があります。しかし、では、もし戻れないと分かっていたら医師はこの爆発音の聞こえる避難区域に最後までとどまるべきだったのでしょうか?いくら人の命を守る仕事とはいえ、自分自身の命を危険にさらすことが当然とされることはあってはいけない、と思います。ではこれから医師になる学生にどのように教えればよいのか。私の中では決着がつかない命題です。
 このような事態は世界のどこでも起こり得ます。例えばハリケーンカトリーナの後、メモリアルホスピタルという病院では、避難の状況を考え、助けられないと判断した患者さんを安楽死させた、というニュースがありました。恐怖と混乱が起きる災害という状況であれば、自分のために他人を見捨てなくてはいけない現場も、少なからず存在します。そしてそのような体験は、どれだけ時間がたっても、現場にいた人間からお話を聞くことは難しいでしょうし、聞くことはあまりに酷なことです。人々が語ることのできない避難の困難さを、何もかもがそのままに残されたこの現場は雄弁に語っていると思います。

過去は未来のために

 双葉で見た3種類の避難状況を紹介したのは、当時の悲惨さを強調して誰かを責めるためではありません。このような「物の記憶」こそが、人の記憶以上に災害時の困難と将来の災害対策のために知らなくてはいけないことを教えてくれるのではないかと考えたためです。
 Hさんのように行政にかかわってきた方ばかりでなく、震災当時の人々は、常に何らかの後悔を抱えています。誰かを置いてきてしまった、誰かに声を掛ければよかった、あれを持って避難していれば…。避難時の切迫した状況において何があったのか。現場に残されたものを見るほどに、体験者にそれを思い出させる質問をしてよいのか、という疑問が生まれます。
 もちろん、災害を語り継ぐという大切な役割を果たすことで自身を癒された方々もいらっしゃいます。しかし被災された方の全てが当時起きたことを記憶し、語れるわけではありません。あるいは、Hさんのように、町の職員としてかかわりながらも、情報過多によりその日の記憶がどうしても思い出せない、という方もいるのです。双葉町に今も残される物の記憶。それは、そのような方々を、代弁し補完してくれる貴重な記憶なのではないでしょうか。
 人の記憶が風化し、噂が風化する中、物はそこに残っています。しかし物自体に意思や意味はありません。そして物もいずれは風化し、あるいは撤去されるでしょう。私たちができることは、できるだけ多くの人がそれを記憶し、残された物のなかに未来へ残せる意味を見つけていくことなのではないか。置き去りにされたランドセルを眺めながらそう思いました。



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