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漁港の活気再び


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 福島県の漁業は、東日本大震災による太平洋沿岸の直接的な被害、福島第一原子力事故による放射性物質の飛散と漁業者を含む住民の長期避難により大きな打撃を受けました。

 福島県の統計によると、H30年の漁獲高は5,889トン(他県船分「廻船水揚げ含む」)で、これはH22年の38,657トン(同)の約15%にとどまります。
 それでも震災から10年目を迎える2020年になり、2月にコモンカスベの出荷制限指示解除により、福島県海域における水産物の出荷制限指示がなくなるなど、明るい話題を目にすることができるようになりました。

 そんな中、地域に大きな喜びをもたらしたのが、浪江町・請戸漁港での卸売市場の再開でした。請戸地区は小学校が震災遺構に決定するほど津波で甚大な被害を受け、漁港も漁船を係船することができない状況となりましたが、漁港の復旧工事、荷捌き施設の整備を経てR2年4月8日に9年ぶりに競りが行われるに至りました。


請戸荷捌き施設:筆者撮影

 またこれに合わせて地元の水産会社が津波による工場被災を乗り越え事業を再開しました。
 この水産会社が競り落とした魚は、近所の大手スーパーにも出荷されており、水揚げ後数時間で店頭に並びます。にぎり寿司としても売られており、水揚げされたばかりの新鮮な味をランチタイムに楽しむこともできます。
 量的にはまだ小規模ですが、請戸で水揚げされた魚が請戸の水産会社から出荷され、近所の店に並ぶという、港町らしい姿が実現したのです。浪江町の居住者はこの春の時点で全体の8%ほどにとどまります。また請戸地区も漁港の後背地には津波の爪痕が色濃い更地が広がり、国道6号線北側の町の中心部との連続性は見られません。復興への道のりは長いものになりそうですが、漁港の活気は復興を実感できるものとして町全体の力になることでしょう。


地元スーパーの販売コーナー:筆者撮影

 請戸漁港の活気は、漁港が属する相馬双葉漁協ホームページにも共通しています。見やすくきれいにまとめられたホームページでは、水揚げ情報に合わせて「漁協職員の食卓」として魚料理が写真で紹介されていたり、また「浜料理レシピ」なるコーナーや魚の捌き方の動画もあり、魚料理を身近に感じられる工夫がちりばめられています。震災直後は「漁業の灯を絶やさない」という思いが強かったようですが、今では「漁業を復活させる」という力強い決意を感じることができます。
相馬双葉漁業協同組合:https://www.soso-gyokyo.jp/

 明るい話題は、浪江町から50kmほど南のいわき市久之浜町にも。
 久之浜町は、元々は漁業が盛んな町として知られていましたが、東日本大震災後は県内の漁業の低迷と共に元気を失っていました。そんな中、令和2年2月にオープンしたのが、おさかなひろば「はま水」です。「はま水」は水揚げされたばかりの鮮魚販売や、魚料理をメインにした弁当配達販売などを行っていますが、漁業の町を取り戻すべく、住民との接点を増やす取り組みを積極的に行っています。
 新型コロナウイルス感染拡大を受け実施が難しくなってしまいましたが、2月には魚拓やお絵描きのワークショップが開催されるなど、子供たちが漁業を身近に感じられる機会の提供も行っています。
 復興ボランティアをきっかけにいわき市に移住した女子大学院生が立ち上げた取り組みとしても大いに関心を集めました。

 このように少しずつ前へと歩み始めた福島の漁業ですが、福島第一原子力の廃炉が傍らで進む現実を避けて進むことはできません。
 福島県の漁業にとってつらい現実ではありますが、30年から40年かかるとされる廃炉作業が軌道に乗らなければ、漁業復活の足下は安定しないでしょう。長期的な視点と短期的な対応策を組み合せながら「廃炉を進めつつ漁業の復活の芽を育てていく道」を探ることが必要です。
 これは社会全体で考えていくべき大きな課題です。その一方、「自分たちの魚を正当に評価してほしい」ということこそが福島で漁業に関わる皆さんの願いだとすれば、試験操業など安全性を担保する取り組みを知ること、実際に食べて美味しさを知ること、そして苦境にあっても漁業に誇りを持って取り組む人たちを知ることなど、消費者ひとりひとりができることもいろいろとあるのではないでしょうか。



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