今そこにある危機:英国のグリーン政策で鉄鋼産業は絶体絶命に


国際環境経済研究所主席研究員、JFEスチール 専門主監(地球環境)

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カーボンリーケージの悪夢

 4月1日付のTimes紙はこうした状況につき、皮肉まじりに「議会気候変動委員会の委員長デーベン卿によれば、英国の気候変動政策は世界の多くの国の羨望の的だそうである。グリーン系の集まりの場では・・」としたうえで、同じデーベン卿が、エネルギー多消費産業へのインパクトについて問われて「エネルギー多消費産業はエネルギー多消費でなくなる方策を見つけねばならない」と答えたと紹介している。魅力的なアイディアだが、現実に起きているのは、鉄鋼労働者を温室効果ガスを排出しない年金生活に追いやることでこれを実現しているにすぎない。そしてその雇用と生産は、石炭依存が高くエネルギー効率の悪い中国の工場に移動することで、地球規模で見てGHG排出が増えるという皮肉な結果を招いている。デーベン卿は「気候変動政策によって(生産の)海外移転がおきている証拠はない」と発言しているが、是非これをウェールズ州民の前で言ってほしいものだ、とTimes紙は皮肉を込めて書いている注6)
 ウェールズ州にはタタ・スチールが持つPart Talbot製鉄所がある。粗鋼生産能力500万トンの英国最大の高炉一貫製鉄所である。タタ・スチールはこの製鉄所だけで4000人余りを雇用し、関連事業を含めると15000人の雇用を提供しているというが、気候変動政策がもたらすエネルギー(電力)コスト上昇によって価格競争力を失いつづければ、安価な中国鋼材に市場を奪われ続けることは容易に想定される。タタ・スチールは4月11日に英国鉄鋼事業の売却に関してKPMGとファイナンシャル・アドバイザー契約を結び、5月28日までという期限を決めて世界中から買い手を探すと発表しているが、目下のような状況の中で果たしてPort Talbot製鉄所の買い手はあらわれるだろうか?注7) 仮に買い手がつかなければ、製鉄所は閉鎖され従業員が失業する・・しかも地球規模でCO2排出は増えてしまうことになる・・まさにTimes紙の書いたシナリオ通りの展開になりかねない。
 英国政府はこうした事態を深刻に受け止め、あらゆる手立てを使って事態の打開策を模索しているようである。政府による一時的な国有化の可能性もささやかれているようであるが、保守党政権下で民営化された鉄鋼事業を再び保守党政権が国有化するという動きは考えにくい。ただ、4月12日付のFinancial Times紙によれば、英国政府もErnst&Youngをファイナンシャル・アドバイザーに雇ったといい、またジャビド産業大臣は「製鉄所の買い手と共同で、(政府も)商業的に正当化できる条件の投資を行うことはありうる」と発言したということである。

EU離脱に向けた国民投票にも飛び火

 英国政府とキャメロン首相にとって本件がとりわけ深刻なのは、英国のEU離脱の是非を問う国民投票が6月に予定されていることである。さまざまな報道に見られるように、EU離脱の是非に関しては英国民の意見は割れており、予断を許さない状況にある。そこにタイミング悪く表面化したのがこの鉄鋼危機である。
 これがEU政策とどう絡んでいるかというと、まず中国からの鋼材輸入の急増に対して、緊急輸入規制やアンチダンピング関税の賦課といった通商規制措置を導入しようと思っても、EUの一員である英国政府は、独自の判断でそうした緊急対策を実施することができない。あくまでブリュッセルの欧州委員会における時間のかかる手続きを踏まないと輸入規制は実施できないのである。
 また気候変動政策の下に課されている再エネ賦課金等の負担について、鉄鋼産業のような特定産業に対して減免するといった措置も、同様に英国政府独自の判断で下すことはできず、欧州委員会の承認が必要となっていて、その審査に時間がかかることになる。そもそも英国の実施しているグリーン政策の多くは、再生可能エネルギー指令をはじめ、ブリュッセル(EU)発のものが多い。英国がEUの一員である限り、EUが割り振る再エネ比率や省エネ目標を達成する義務を負うことになる。
 さらに悪いことに、4月10日で付けのSunday Express紙は、英国鉄鋼業に甚大な被害をもたらしている中国からの鋼材ダンピング輸出の背景には、欧州投資銀行(EIB)による中国への金融支援があり、その資金は英国民の税金が使われていると、痛烈に批判している注8)。欧州投資銀行はその温暖化対策の一環として、「中国気候変動フレームワークローンⅡ」というスキームを設定し、中国の温暖化対策を資金的に支援しているが、5年前には武漢鋼鉄のコンバインドサイクル発電所建設資金として5000万ユーロを低利で融資している。また広東鋼鉄に対しても08年にエネルギー効率改善を支援するための資金として3500万ユーロを融資している。武漢鋼鉄の大株主は中国政府であり、しかも同社は、欧州に鋼材をダンピング輸出してEUの鉄鋼業を危機に追い込んでいるとして、まさに欧州委員会の反ダンピング審査の対象になっている。同記事は「タタ・スチールが英国での鉄鋼製造にかかわるエネルギーコスト高騰を批判している一方で、このEIBによる低利融資が中国鉄鋼会社のエネルギーコスト低減に使われているとの批判がある」とし、「これは英国国民が見たくない税金の使われ方だろう」というレッドウッド元環境大臣のコメントを紹介している。Business for Britain の南東部委員長は「EUは中国の国有鉄鋼会社に融資を行い、その結果EUに向けてコスト以下の価格で輸出が行われている。・・われわれは毎週3.5億ポンドもの資金をブリュッセルに貢いでいるが、その金は中国の鉄鋼にではなく我々(英国の)優先事項に使われるべきだ。」としている。
 既に問題となっているEUの移民政策問題に加え、英国がEUの一員であるために、危機に際して行使できる自国政府の裁量権が奪われているという上記のような問題の顕在化は、6月のEU離脱の是非を問う国民投票に、いっそう深刻な影を落とすことになるかもしれない。

日本への教訓

 最後に日本に対する警鐘である。先に紹介した英国議会の委員会報告では、2014年の英国の産業用電力料金が気候変動政策の結果9.1ペンス/kwhと、EU平均の5.1ペンス/kwhの倍近くになっていて、これが英国の産業競争力を阻害していると指摘している。しかし同じ英国政府がIEAのデータをもとに行った国際的な電力料金の比較調査注9)では、日本の産業用電力価格は2014年に10.4ペンス/kwh(16.7円/kwh)とされていて、高いと批判されている英国よりもさらに高くなっている。ちなみに同レポートでは米国の産業用電気料金は4.1ペンス/kwhと日本の半分以下である。日本の電気事業連合会の電力需要実績確報によれば2014年度の産業用電力料金は18.86円/kwhとされているので、上記の推計より若干高くなっているが、為替レートの変動などを考えると推計誤差の範囲だろう。
 しかし、日本の電力料金の場合でも、英国と同様に温暖化対策税、FIT賦課金といった気候変動対策コストが上乗せされており、しかも再エネFIT賦課金は14年度の0.75円/kwh から16年度は2.25円/kwhへと大幅に拡大しており、また温暖化対策税も段階的に引き上げられてきており、本年4月にも増税が実施されている。原発の再稼働が遅れ、再エネ賦課金が急拡大している現状を放置していくと、日本産業が負担する電力料金が20円/kwhを軽く超えていく事態も想定される。英国のエネルギー多消費産業が競争力を失うと言っている電力価格を、大きく上回る電力価格を日本の産業界は課せられていくことになるのである。気候変動政策によって瀕死の事態に追い込まれている、本稿で紹介した英国鉄鋼産業の現状は、日本の産業界にとって「明日は我が身」の問題なのである。電気料金を含めたエネルギーコスト上昇に歯止めをかけ、抑制を図っていくことを求める声を高めていく必要がある。

注6)
“Race to go green is killing Britain’s Heavy Industries”, Matt Ridley, The Times, 4 April 2016.
注7)
タタ・スチールは同じ4月11日に英国に持つ今一つのScunthorpe製鉄所を含む条鋼部門を、Greybull Capitalに1ポンド(160円!)で売却することを発表している。
注8)
“Green Madness; EU Climate Finance Subsidises Chinese Steel Industry”, Sunday Express, 10 April 2016
注9)
“Industrial Electricity Prices in the IEA”, Department of Energy&Climate Change, 31 March, 2016

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