手元に置きたいエネルギー辞典、ダニエル・ヤーギン著「探求」

書評


国際環境経済研究所主席研究員、(一財)日本原子力文化財団 理事長

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(一般社団法人日本動力協会/世界エネルギー会議日本国内委員会発行 ニュースレター NO.38  2014年8月号からの転載)

渾身の大作

 5年をかけて執筆された分厚い大著である。原書は721頁、日本語訳本だと918頁もある。
 著者は、エネルギーの主役:石油・天然ガスを語らせたら世界の第一人者:ケンブリッジ・エネルギー研究センター創設者のダニエル・ヤーギンである。それだけに、エネルギーの持つ根源的な役割、そして、世界の時代変化とエネルギーとの関わりを見事に捕らえている。また、紹介される逸話も驚くほど豊富で、ピューリッツアー賞・受賞者の面目躍如だ。大変に面白く読める。
 もっとも、執筆に掛けた五年という年月は、長いだけでなく、時代の流れが速く激しいだけに、この間、地球上では社会的にも自然災害の面でも、多くの激動が見られた。特に、エネルギーについては、エネルギー資源生産地域、流通、消費各面で、激しく大きな動きがあった。著者ヤーギンは、そうした激動の底流を捉えようとしたに違いない。その意味で、本書は、著者:ヤーギン渾身の大作である。

最終頁の“索引”を使って、エネルギーに関する“辞典”として読もう

 ところで、この本を読みたいと思うであろう読者の皆さんは、大変に忙しい。そこで、忙しい皆さんのために、この本の読み方についてちょっとした提案をさせていただく。それは簡単なことだ。この本については、初めから順々と読むのではなく、エネルギーに関する“辞典”として使おうという提案である。幸い、最終頁にある用語“索引”が上下巻合わせて12頁にも及び充実している。この索引を頼りに“エネルギー辞典”として使おうということだ。現実的で効果的な読み方だと確信し、座右において、利用することをお勧めしたい。なお、索引は、上巻下巻別々になっていることに注意を要する。
 また、本書で上下合わせて32頁にわたって掲載されている写真にも、ぜひ、目を向けてほしい。歴史的場面や人物が、多く並べられている。見る価値のある貴重なものばかりで、写真を見るだけでも楽しい。

ビル・ゲイツも高い評価

 マイクロソフト創設者:ビル・ゲーツは、“Gates Notes”と題するブログを書いている。ブログの中に「私の本棚(My Bookshelf)」コーナーがあり、読了した本の表紙写真を載せると共に、一部の本については読後感(review)を寄せている。本書については、2012年5月16日付けで取り上げ、「800頁を超える大力作で、世界のエネルギー需要、供給、価格を形作る複雑な諸要素についての価値あるガイドブックだ」と称賛している。このブログには、ゲーツとヤーギンのやり取りもある。大物二人だけに、興味深く読める。

独特な語り:ヤーギン調

 本書は、六部構成になっている。
 本論六部の前に“序”、そして、“プロローグ”があるが、ここにまず目を通したい。続く本論がここで触れる“ダニエル・ヤーギン調”とでも言うべきトーンで全章にわたって書き進められているからだ。ヤーギン調とは、或る出来事を説明するに、関連の歴史的逸話を、関係した人物も登場させ周辺の動きも紹介しながら、興味深く語る記述のし方である。蘊蓄を披歴していると受け取る人もいようが、その蘊蓄たるや生半可のものではない。
 本論の構成は、全編を貫いて35の章建てになっていて、次の六部に大きく区分けされている。第一部:「石油の新世界」。第二部:「供給の安全保障」。第三部:「電気時代」(日本語版では、ここで上巻から下巻に移る)、第四部:「気候とCO2」、第五部:「新エネルギー」、第六部:「未来への道」。

生き生きと紹介される歴史的動きと関わった人達

 過去から今日に至る石油、天然ガスの開発に関わる記述ついては、まさに、著者の専門フィールドであるだけに、全て興味深く読める。イラクのクエート侵攻、サウジアラビアの状況など、生々しい。ホルムズ湾の海底に眠りイランとカタールに区分される巨大ガス田の開発で先んじて成功したカタールの状況も生き生きとしている。
 その他、特に、ロシアについての詳細な記述やカスピ海周辺地域からのパイプライン・ルート問題などの記述は、今日現在の動きを理解するのに、大変に役に立つ。 
 掘削技術の革新についても説明があるが、メキシコ湾での深い海底油田開発の難しさなどに触れつつ、BPの石油漏出事故の紹介をする。この部分は真に迫るところがある。
 また、ベネゼラのチャベス大統領を引き合いに出しつつ「石油国家」を説明する。中国、ブラジル、ベネゼラ等は、国営石油企業を中核に、地球上の資源開発を進めている「新興勢力」だ。
 著者がピューリッアー賞を受けたのは著作「石油の世紀」(1991年刊)だった。それだけに、各章に見られる石油ガス開発メジャーを書いた部分は、特に読み応えがある。また、石油枯渇論に対して、現実の動きと石油開発に関わった人物を登場させ、反論をしている。そして、エネルギー安全保障の重要性も幾つかの事例を引き合いに出しつつ訴えている。“エネルギー安全保障が国家安全保障につながっている”ことを忘れた日本の政治家や一部有識者に読ませたいところだ。

自然災害とエネルギー

 興味深いのは、自然災害が及ぼしたエネルギー供給への影響についても、将来への警告を込めて触れていることだ。巨大台風や巨大地震などが多い昨今だけに現実味を感じつつ読める。一つは、2005年夏にアメリカ東部・フロリダ周辺を襲った巨大ハリケーン:カトリーナのメキシコ湾石油関連設備に及ぼした災害である。エネルギーの「流通」における課題を指摘している。石油・電力の流通支障については日本も東日本大震災で直面したところだ。また、日本の2007年の新潟沖地震による影響にも触れている。東京電力柏崎刈羽原子力発電所が甚大な被害を受け、800万KWの電力が欠落した。欠落発電分を補ったのはLNG火力発電のフル稼働だった。ヤーギンが触れているのは、この代替措置が、LNG調達急増という形で国際市場へ与えた影響についてだ。同様の状況が2011年東日本大震災により福島第一原子力発電所を始めとする日本の原子力発電所に生じたのだが、この点に触れることも忘れてはいない。

専門家とは一味異なった視点で描かれる気候変動問題

 気候変動問題についても、環境専門家とは一味違う形で語っている。天然ガスの利用増加傾向や再生可能エネルギーの開発の復活が紹介される。再生可能エネルギーでは、カーター大統領に始まり、現在のオバマ大統領に至るまでを俯瞰して書く。見出しは、「再生可能エネルギーの再生」である。ところで、気候変動問題における気候状況の把握や想定には大きな地球モデルが使われている。このモデルの性能の精度が良くなったのは、言うまでもないが、コンピューターの驚異的性能向上である。その性能向上に大きく貢献したのは、物理学者でもあり数学者でもある“フォン・ノイマン”なのだが、著者は、この科学者の紹介に数ページを使っている。面白いところだ。勿論エネルギーの効率利用についても触れられている。
 その他、再生可能エネルギーについては、太陽光や風力発電、バイオ燃料から藻に至るまで等幅広く紹介される。風力発電に関連して、「“間欠性”という難問」を詳しく書いてもいる。
 勿論、効率向上についても的確に触れている。

電気…今や空気のようになっているという指摘も

 電気エネルギーと電力事業についても、歴史を語りながら興味深く記述が進む。「交流電気」、「核燃料サイクル」、「価格統制の崩壊」、「燃料の選択」と言う章建てである。
 まず、電気事業の勃興が、書かれる。主役は、当初発明王エジソンだった。エジソンが興した電気事業は直流システムだった。しかし、エジソンは、結局、テスラが発明しウエスチングハウスが買収・事業化した技術・交流システムに敗北する。良く知られたことである。この間に交流派と直流派は、様々な攻防戦を展開する。この点について、如何にもヤーギン調で語られるのは、エジソンが資金源のモルガンをしっかりと押さえつつも、交流勢力に相当な意地悪をしたという逸話だ。そんなことが面白く書かれる。ヨーロッパの電気事業初期の状況についても触れられる。続いて、自然独占、価格統制と記述が進み、原子力発電の章を挟んで、電力自由化へと話は展開する。
 この第三部「電気時代」で、特に記憶に残るのは、書き出しの部分だが、次のような記述がある。
 「電気は普及している。しかし同時に、あるのがあたりまえだと思われている点では、石油をしのぐだろう。ガソリンの使用には、週に一度か二度、ガソリンスタンドに行って給油するという、意識的な活動をともなう。電気の場合は、だれでもスイッチを入れればいいだけだ。人々が電気のことを考えるのは、せいぜい、毎月の請求書が届くときか、たまに、嵐か電力システムの故障で不意に電気が消えるときだけだ。」
 この文章は、極めて、唐突に出て来る。しかし、昨今の電気事業に対する社会一般の目や雰囲気を思うに、その根底にある大きな課題を指摘しているように思う。評者の意見では、要は、電気エネルギーの有効性・メリットが、一般の人達には感じられていないのだ。一方、一般の人達が日常的に接するのは、電気料金の値上げであり、原子力発電の事故や放射能に関する情報ばかりなのだ。この点は、何とかして、コインの両側を思ってもらうように、バランスを回復すべく、関係者は工夫しなければならないと思うのだが、いかがなものだろうか。

本書に書かれた日本人…真鍋淑郎氏から上田隆之氏

 ところで、本書には、日本も出て来るし、日本人も紹介される。ここでは、“人”についての記述を拾ってみたい。
 まず、真鍋淑郎氏:東大からアメリカのプリンストン大学・地球流体力学研究所に移られた氏を気候の地球モデル作成の先駆者として紹介し、二度に及んで氏の言葉を引用している。
 天谷直弘氏:この人らしい言葉が紹介されている。日本がエネルギーの脆弱さを思い知らされたのは石油ショックだったが、その数年後に、日本が備えをしていることを強調した天谷氏の言葉:「私たちは、地面の中の資源ではなく、頭のなかの資源を使う」。
 堺谷太一(池口小太郎)氏:通産省に入省し、昭和40年台半ばにエネルギー資源担当部門に配属された氏が日本のエネルギー供給の脆弱性に気づき驚いたことが語られる。その後、官僚作家として昭和50年に「油断」を上梓したことが紹介される。さらに、発足直後のNEDO「新エネルギー・産業技術総合開発機構」でサンシャイン計画を主導したことも紹介されている。
 川口順子氏:“もったいない”という日本的な思いを語ったようだ。この記述に続いて、日本の省エネルギー法やトップランナー制度が紹介される。しかし、2011年3:11によるその後の電力不足に直面した状況を著者は、次のように書く。「日本の一部地域は深刻な電力不足に直面した。そういう状況のもとで、“もったいない”は、選択肢ではなく、責務になった。」
 内藤正久氏:日本のエネルギーの特徴を語ったことが書かれている。
 上田隆之氏:経産省官房審議官時代、“電池三兄弟”を語ったようである。

政治家の判断が重要

 さて、本書は、大著だが、本評も相当に長くなった。著者:ダニエル・ヤーギンが、結論…“偉大な革命”で書いていることの一部をご紹介して、本評を終わりにする。
 著者は言う。「“エネルギー政策”はしばしば、“エネルギー”を対象にしているとさえ思えない政治によって定められる。だが、未来に決断を下すのに役立つ原則が確かにあることを、歴史が示している。」
 続いて、著者は、その幾つかの原則を何点か記述している。
 政治あるいは政治家の重要性が強調されている。
 最後に、重ねて書かれている言葉を引用する。
 「エネルギーの責任ある使用と効率、適切な判断、絶え間ない投資、政治家の見識と手腕、協力、長期的な思考、環境へのしんしゃくとエネルギー戦略の思慮深い統合が求められる」

book

「探求――エネルギーの世紀(上)、(下)」 
著者:ダニエル・ヤーギン(出版社: 日本経済新聞出版社)
(上)ISBN-10: 4532168317
   ISBN-13: 978-4532168315
(下)ISBN-10: 4532168325
   ISBN-13: 978-4532168322