第6回 NEC インドで拓く 新しいBOPビジネスの形


国際環境経済研究所理事・主席研究員

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 NECが沖縄県の宮古島で培ってきた、廃校や空港跡地を利用した施設農業のノウハウを活用した支援にヒントを感じていたものの具体案が出ず悩んでいた時に、東日本大震災が発生、社員参加型の復興ボランティア活動に取り組むようになったと言います。
 特に被害の大きかった宮城県南三陸町にはグループ会社も含めて延べ1,000人以上の社員ボランティアが参加し、その活動によって町から表彰も受けたそうです。そんな中、南三陸町の人に「面白い人がいるから」と紹介されたのが、宮城県山元町の農業生産法人GRA代表の岩佐さんでした。

震災ボランティアでの出会い

 宮城県山元町は高品質のイチゴの産地として有名で、震災前は129軒のイチゴ農家があったそうです。しかし一帯を襲った津波で、そのうち125軒の農家が流されるという壊滅的な被害を受けました。
 この山元町出身で、東京でITベンチャー企業を経営していた岩佐さんは、故郷の町の復興に貢献したいと、山元町に戻ってGRAを立ち上げました。それまで農家の勘や経験頼みであったイチゴ生産に、ICT(情報通信技術)が取り込まれ、それによって均質で安定的なイチゴの供給が可能となったのです。
 そのGRAとNECが出会い、日本のイチゴ生産技術をさらに海外で展開するアイディアが生まれました。
 糖度が高く、ジューシーな高品質の日本種イチゴは、固くて酸味の強いイチゴに慣れたインドの人たちには必ず歓迎されるはず。
 水や温度の管理をICT技術によってコントロールすることで、経験のない方でも高品質なイチゴを安定的に生産することができ、安定収入を得ることができる。
 東日本大震災からの復興を支えたイチゴ生産へのICT利用が、インドの貧困問題解決に資するのではないか。
 NECは、インド農村の低所得者層を共にビジネスに取り組むパートナーと捉え、根本的な課題解決に資する、究極のBOPビジネスに乗り出すこととなりました。
 とはいえ、インドでこのビジネスを展開するには様々な苦労があったといいます。日本のイチゴの苗をインドに持っていくところからすべて初めての経験。また、日本では想像できないほどの悪路や通信事情。インドのでこぼこ道を数時間トラックで走れば、日本の柔らかなイチゴは傷だらけになり、潰れてしまうのではなかろうか。その懸念を払しょくするため、イチゴを守る梱包についても研究、耐衝撃性実験を重ねたと言います。