IEA勤務の思い出(3)

-国別審査はなぜ有益か-


国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授

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 前回は国別エネルギー政策審査がどのように行われるかをご紹介した。今回は、国別審査がなぜ有用かを論じたいが、その前に、思い出に残るエピソードを2つ、3つ紹介したい。

 国別審査の1つのハイライトは審査チーム内の議論であるが、ある国の再生可能エネルギー固定価格全量購入制度(FIT)をめぐってドイツ環境省出身の専門家と激しく議論したことを思い出す。ドイツは既に固定価格全量購入制度(FIT)を導入しており、その効果に自信を持っていた。他方、IEAはその当時からFITの費用対効果に懸念を有しており、より市場メカニズムを活用した施策にシフトすべきとの意見だった。このため、当該国のFITの評価、勧告内容をめぐって意見が対立したわけだ。ドイツがエネルギー政策全般は経済省が管轄していながら、再生可能エネルギー推進策だけは環境省が管轄していたことも原因だろう、彼の議論は「再生可能エネルギー推進のためにはFITが最も有効だ」という、他のエネルギー源や他の政策との比較の視点を伴わないものに思われた。特定のエネルギー源の推進が自己目的化することは、政策全体のバランスをゆがめるという思いを強くしたものだ。

 言語が問題になったこともある。フランスは国別審査中の全てのミーティングをフランス語で行うことに強くこだわった。こんな要請が来たのはIEA26ヶ国中、フランスだけで、他はすべて英語だった。このため、審査チームを選定する際も、メンバーの専門性に加え、フランス語ができることを考慮要素にせねばならなかった。私もフランス審査に関心があったが、朝から晩までフランス語だけで通す自信はなく、英、独、仏に堪能なオランダ人の局長に参加してもらった。ちなみにOECDの文書は全て英仏二ヶ国語で作られる。これを英語一本にすれば相当部分の予算節約になるはずだが、この話が提起されるたびにフランスの反対で潰されている。

 地図で冷や汗をかいたこともある。委員会で配布されたトルコの審査報告書ドラフトの中にトルコの地図が入っていたが、どういう間違いか、キプロスが全てトルコと同じ色になっていた。これに気づいて激しく抗議したのが、ギリシアの委員会メンバーだった。彼はすっかり興奮して、トルコが北キプロスでいかなる蛮行を働いたかについて長広舌をふるい、事務局サイドがミスプリントを詫び、エネルギー政策に集中した議論をするよう促しても、容易に矛を収めなかった。地図というものの重要性、センシティビティを学んだ一幕だった。日本のレビューを行うときは、北方領土、尖閣、竹島にまで細心の注意を払わねばならないだろう。

 お恥ずかしいエピソードを1つ。フィンランド審査のときのことだ。チーム内会合が夜9時を過ぎ、コーヒーブレークになった。スモーカーの私にとってニコチンを補給する大事な時間である。長い議論に疲れていたこともあり、チーム会合が行われていた産業省の建物から出て、タバコに火をつけ、思わず、後ろ手にドアを閉めてしまった。建物からロックアウトされたと気づいたときはもう遅い。既に勤務時間は終わっており、チームメンバーと産業省の担当官くらいしか残っていない。2-3月で外は雪の氷点下20度。しかもタバコ一本吸うだけだからと、コートも着ていなかった。たまたま残業していた別な人がドアを開けなければ、凍えてしまっていただろう。あの時だけはスモーカーの自分を呪った(今はケロリと忘れているが)。

 こんな思い出話は国の数だけあるが、ここで国別審査がなぜ有用なのか、私の考えを述べてみたい。

 第1に、5年に1度程度の頻度で、加盟国のエネルギー政策の現状及び課題について包括的な報告書ができることは、極めて有益な情報の蓄積になるということだ。部門別の報告書、批評(Critique)や勧告(Recommendations)を伴わない資料であれば、他にも色々な情報ソースがあるだろう。しかしエネルギー政策を全般的にカバーし、しかも各テーマ毎に問題点と改善の方向性が示される報告書は、IEAの審査レポートをおいて他にはない。例えば英国では様々な温暖化、グリーン政策の重畳が費用対効果の悪さを招いているが、こうした問題点は既に2006年の審査報告書で指摘されている。

 第2に中立的国際機関の勧告であるが故に、政策見直しのきっかけになり得ることである。各国のエネルギー政策の中には、きちんとした政策論の積み上げを伴わずに政治的にトップダウンで決められるものもある。「赤緑政権」の下でのドイツの脱原発はその事例だが、2002年の審査報告はドイツの脱原発がエネルギー安全保障、エネルギーコスト、気候変動にもたらす影響をきちんと評価するよう求めた。2007年の審査では、より明確に原発フェーズアウトの見直しを求めている。この勧告はドイツのカウンターパートからは思いの外、抵抗無く受け入れられた。エネルギー政策のプロからすれば、使える原発をフェーズアウトすることの非合理性に割り切れなさを感じていたのだろう。ちなみに2007年審査のチームリーダーは、国策として原発を持たないデンマークの出身だったが、自国の国策とは峻別して原発フェーズアウト見直しを求めたことは、エネルギー専門家としての矜持を示したものと思われた。

 第3に審査プロセスを通じて、お互いに他国のポジティブ、ネガティブ両方の経験を学べることだ。審査チームには各国でそれぞれの分野の政策を担う専門家が参加し、自分の経験に照らしながら、質問・コメントする。被審査国は外部のフレッシュな視点に立った指摘を得られるし、審査チームも被審査国のアプローチから学べることが多々ある。私の場合、建築物における省エネ基準については、日本は欧州からもっと学ぶべきだと思ったものだ。

 第4に審査プロセスはネットワーキングの得がたい機会になることだ。5日間とはいえ、文字通り寝食を共にして審査プロセスに参加すると、チーム内に連帯感が生まれてくる。審査団長には、IEA理事会メンバー(局長、長官クラス)も多く参加するが、審査プロセスを通して、その人柄に触れ、その後非常に親しくなった人もいる。また審査団の訪問をアレンジしてくれた被審査国のカウンターパートも「戦友」のようなものである。こうした人脈は今でも私にとって大事な財産になっている。

 このようにピアレビュープロセスには種々のメリットがある。もちろん、手間もかかるプロセスであり、私が国別審査課長の際、IEAである種の「事業仕分け」があり、加盟国の一部には国別審査の廃止、大幅縮小を主張する意見もあった。しかし大多数の国は国別審査の有効性を高く評価していた。今後もOECD、IEAのコア活動であり続けてほしいと思う。

 私はIEA出向から戻って資源エネルギー庁国際課長になった際、このピアレビュープロセスをAPECにも持ってこられないかと思った。国の発展段階が似通っており、種々のレビュープロセスを経て、外部の第三者からの建設的批判への受容性の高いOECD諸国と、APECの非OECD諸国では事情が異なり、「内政干渉になるのではないか」と渋る加盟国の説得に苦労したが、当時、エネルギー需要の急増がエネルギー輸入依存度の上昇や環境負荷の増大につながることを懸念していたアジア諸国にとって、省エネは共通の課題だった。このため、省エネに特化したピアレビュープロセスを提案し、ようやく第一歩を踏み出すことができた。

 気候変動の世界においてもプレッジ&レビューが将来枠組みの中核になる可能性が高い。その際、いかに被審査国にとっても有益な、支援的(facilitative)なレビューができるかがカギになる。レビューの目的は被審査国の批判や「つるし上げ」ではない。審査プロセスを通じてお互いに学びあうところにある。こうしたピアレビューの文化がしっかりと根付き、相互信頼が醸成されれば、それを土台に国際枠組みをレベルアップしていくことも不可能ではない。逆にピアレビュー文化も根付かないようであれば、厳格な国際枠組みなど「絵に描いた餅」であろう。将来、どこかの国のレビューに専門家の一人として参加できたらいいな、というのが、国別審査プロセスOBとしての私のささやかな夢である。

写真は4年間毎日通ったIEA事務局の正面玄関。
私が勤務を始めて3年目に館内禁煙になってしまい、
それ以降、この写真の彼のように、タバコを吸いたくなる度に
玄関前に行った・・・

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