第3回 王子製紙グループ「2012王子の森・自然学校」と苫小牧工場


国際環境経済研究所理事・主席研究員

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 7月下旬、猛烈な暑さの東京から、人もうらやむ避暑地北海道に降り立ちました!「2012王子の森・自然学校」を見学させていただくためです。
 王子製紙グループは、国内に700箇所、約19万ヘクタールの社有林を維持・管理しており、豊かな森林を活用した社会貢献活動として、2004年から「王子の森・自然学校」を開校しているそうです(2011年は休校)。製紙工場見学、植林や間伐、紙すき体験など、森林の育成や活用に関連したプログラムに加えて、それぞれの社有林の特徴を活かして、自然観察・ハイキング・ツリークライミング・川遊び・スノーケリング・キャンプを盛り込んだ密度の濃い、本物の自然体験型環境プログラムであり、今回の北海道校には定員の8倍を超す応募があったそうです。確かに自分に子供がいたら、ぜひ参加させたいと思う充実したプログラムですね。

苫小牧社有林。森と水、空気の美しさは格別でした。東京が暑かっただけに森の涼しさが身に染みました! 王子製紙株式会社の社有林管理を任されている王子木材緑化株式会社苫小牧営業所の三浦所長と竹田さん。自然学校のサポーターとして、大忙しです。

 私がお邪魔した北海道校2日目の午前中は、子供たちがツリークライミングに挑戦するクライマックス!生徒のほとんどが「木登りなんてしたことがない」そうで、緊張の面持ちでサドルやヘルメット等の装具を身につけ、ロープの扱い方を練習。30分ほど経ったところで、いよいよツリークライミングのスタートです。
 こういう時に先に行くのは女の子なんですね(笑)。慎重にロープの扱いを練習したり、「のどが渇いた」といって何度も水を飲みに行ったりしてなかなか登ろうとしない男子を尻目にひょいひょいと登っていく女の子たち。彼女たちの楽しそうな様子に引っ張られるように男子も樹上の人に。子供たちの輝く笑顔と弾けるような笑い声が木洩れ日のように樹上から降り注ぎ、下から見ていてまぶしいほどでした。自分の体が宙に浮いている感覚や、間近で見たことのなかった木の枝、葉っぱが目の前にあることが楽しくて仕方ないようで、全員を地面に戻ってこさせるにもまた一苦労なのでした。

20人の子供たちがツリークライミングに挑戦している様は壮観!子供たちの笑い声がシャワーのように降り注いできました。 ツリークライミングをやっているすぐそばに王子製紙グループの王子サーモン株式会社が販売する「支笏の秘水」のボトリング工場があり、工場長さんから差し入れをいただきました!森の恵みがしみこんだ絶品の水、ごちそうさまでした!

 ツリークライミングでほぐれた後は森の仕事のお勉強。クイズ形式で樹種選定をし、実際に間伐(かんばつ)作業も行います。木を伐ることをためらう子供たちも「100年かかる森づくりを50年でできたら、効率良くたくさんの森の恵みを受けられる。そのために人間が少し手を入れてあげるんだよ」と王子製紙の社有林管理を行う王子木材緑化の竹田さんのレクチャーを受けると俄然張り切りだしました。「木を植えることが自然保護、木を伐るのは自然破壊」ではなく、森の成り立ちや状態によって、人と森の付き合い方が変わることを知り、その奥深さに強い興味を持ったようでした。
 「最も美しい森林は、また最も収穫多き森林である」とは、ドイツの林学者アルフレート・メーラーの言葉ですが、それぞれの森の特色を見極め、あるべき姿を思い描き、それに向けて適切な整備を行うには、長い知識と経験、そして自然との共生についての深い見識が必要になります。私は東京電力在職時代に尾瀬の自然保護活動を10年強担当させていただき、今も一般社団法人フォレストック協会で森林保全に携わっていますが、知識も経験も見識もまだまだ足りません。子供の頃にこうした本物の自然体験をする機会に恵まれた「王子の森・自然学校」の生徒さんが心底うらやましくなりましたし、この自然学校を提供できる王子製紙グループの「底力」にも感動しました。

毎年ここから本物の自然体験をした子供たちが巣立っていくんですね。 間伐(かんばつ)にもチャレンジ!

 それもそのはず。王子製紙グループの歴史は1873年(明治6年)、渋沢栄一らにより前身の王子製紙株式会社の設立された時までさかのぼります。苫小牧工場の創業は1910年(明治43年)。この地で100年以上、原料の源である森林と向き合ってこられたのですから、「底力」も当然かもしれません。

 苫小牧工場で紙づくりの現場も見せていただきました。案内してくださったのは、苫小牧工場事務部の田畑さん。1972年に江別工場に入社され、1987年に苫小牧工場に転勤してこられたという、生き字引です。
 田畑さんと一緒に工場の中を歩いていると、1929年(昭和4年)から丸太を効率よく工場内の製造設備に運搬しつづけている送木水路や、稼働開始から85年以上経った今も現役として活躍するドラムバーカー(丸太からパルプ化に不向きな樹皮を取り除く機械)など、いくつも経済産業省の「近代化産業遺産群」に指定された設備を見ることが出来ます。

1917(大正6)年建造の赤レンガ事務所と田畑さん。この事務所は1998(平成10)年まで現役の事務所として使われていたそうです。 水の流れだけで木を運ぶため、究極の「エコ」。木の香りが鼻をくすぐります。

 明治時代の末期においては、紙はほとんどが海外からの輸入品だったそうです。「紙は文化のバロメーター」として、国内で自給したいという高い志が、地域ぐるみでの発展を支えたのでしょう。1907年(明治40年)から始まった苫小牧工場の建設は、コンクリートに混ぜる砂利が不足して中断したものの、当時の苫小牧村の方々が海岸で砂利を拾い集め、それによって工場が完成したという秘話も伺いました。
 現在苫小牧工場は、世界有数の新聞用紙生産工場となっているそうで、1日なんと1300万世帯分もの大量の新聞用紙を製造しているそうです。
 皆さんのお手元に届く新聞も“苫小牧生まれ”かもしれませんよ。朝、新聞を手にしたら、一度目をとじて王子製紙の苫小牧社有林を想像してみてください。豊かな湧き水が流れ、たくさんの動植物と子供たちの笑顔がある森です!

苫小牧工場の煙突は苫小牧市のシンボル。市内のどこからでも見えるランドマークとして親しまれているそうです。

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