ごあいさつがわりに、今感じていることを


国際環境経済研究所前所長

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 ブログ、第一回目だ。

 文章はいろいろなメディアに発表してきたし、ツイッターでも発信している(@sawaakihiro)が、ブログというものは書いたことはない。なので、どうしても肩に力が入ってしまうし、ぎこちない文章になりそうだ。そこで、まとまったものを書くより、ここでは時事的なネタにコメントをすることにしようと思う。

 ここ最近、いろんな場所で「反原発派」とか「自然エネルギー派」と言われる人たちと対論させられてきた。その人たちは、今の政権が組織しているさまざまな公的審議会や委員会にも参加している。しかし、意外や意外(でもないか)、元官僚だからか、今の政権に対して批判的だからか、私はどの集まりにもお招きを受けていない。そのうえ、原子力を選択肢として残すべきだとか、発送電分離は政治的ゲームではなく政策論を闘わせるべきとか発言すると、すぐにネット上などで「御用学者」だの「天下り」だのとレッテルを貼られる。発言の内容に対する冷静な批判ではなく、これまでの経歴でしか議論の当否を判断しない人たちのいかに多いことか。

 まあ、私は天下りしているわけでもなく、「政権の政策を科学的根拠なくサポートする」という意味での「御用」でもなく、「学者」でもないので、あまり気にならない。しかし、尊敬できるアカデミシャンたる研究者までが、そのようなレッテルを貼られて、公の場で発言することを忌み嫌うようになってきていることは問題だ。世の中には、自分でいろんな情報に接して、自分なりの判断をしたいと思っているひとはたくさんいるのに、こうした立派な研究者が口をつぐんでしまうと、良質な情報がまったく流通しなくなるからである。

 エネルギー・環境会議という政府の会議がある。これからのエネルギー・環境政策の根本を議論する最も重要な組織だ。ここでの議論がひどいらしい。そもそもある種の方向性を出そうとする会議であるからには、結論ありきの議論がされる。とすれば、冷静かつ科学的・論理的な議論は期待できないという考えから、私自身は関心がなかった。しかし、例えば昨年出た同会議の中間報告の目玉である発電コストの試算の考え方について、ある研究者が指摘していた点を見て驚いた。原子力や火力発電は現在設置するとしたら発電コストがいくらになるかというベースで弾き出されている。ところが、再生可能エネルギーは、今はコストが高いが将来は下がるというまとめ方になっていて、期待値でしかないコスト低下分も含めて、大規模電源と比較しているという。

 これによって全量固定価格買取制度による再生可能エネルギー導入への国民負担の正当化したかったのだろう。しかし、ベースが違う数値を隣同士にして、同じグラフに並べて書くなどというのは、まるで詐欺である。中学や高校の授業でさえ、そんな人をだますようなデータの取り扱いはしてはいけないと習うだろう。

 ドイツでも、こうした国民負担は将来下がると過度かつ意図的に楽観的な予想を国民に示して、太陽光その他の再生可能エネルギーを導入してきた。ところが国民負担は予想を超えて急上昇し、政治的に問題化した結果、全量固定価格買取制度が破綻し、とうとう太陽光は「全量」買取を止めることが政府から提案されるに至ったのである(IEEI竹内純子主席研究員の論考を参照)。

 もし、エネルギー・環境会議の発電コストの試算が、ドイツと同じ運命を辿ったとしたら、誰が責任をとるのだろうか。

 この話を聞いて、もう少しこの試算の問題点を探ってみようかという気になった。正式なパブコメも募集しているようだが、試算方法自体には文句を言うな、方法論は変えない範囲で自分のデータで試算してみろということらしい。こうしたパブコメのやり方もどうかと思うが、こうしたパブコメ自体は専門の研究者に任せるとして、私は普通におかしいと思う点を掘り下げていこうと思う。