多数の公衆相手のリスクコミュニケーションは不可能、逆効果もある


東京大学名誉教授、前・内閣府原子力委員会委員長

印刷用ページ

1.公衆は主観的にリスクを認知する

米国の著名なリスク心理学者のP.スロビックは1987年に”Science”に発表した「リスクの認知」と題した論文の結論で、「公衆のリスク認知は合理的になされない」と述べている(参考文献1)。スロビックは公衆のリスク認知を実践的に研究し、「観測不可能、知らない、新しい、発症が遅延」などの未知性因子と、「制御不可能、怖い、破滅的、致命的、利害が不公平」などの恐ろしさ因子が大きいほど、リスクが大きいと公衆は認識すると述べている。2002年に発表した論文では、図に示すように、原子炉事故、放射性廃棄物、遺伝子組み換え技術のリスクが大きいと公衆は認識すると述べている。これを主観的リスク(知覚リスク)と呼ぶことにする。これに対し死亡数の統計から求まるリスクを客観的リスクと呼ぶ。両者は論理的に別物である。なお、この研究以降に世界的に話題になった地球温暖化問題も、未知性因子と恐ろしさ因子が大きいので、リスクが大きいと考えられるようになったと理解できる。

2.リスクコミュニケーションは双方向プロセス(対話)でないと失敗する

スロビックは1987年の論文の最後に、リスクコミュニケーションは双方向プロセス(対話)でないと失敗すると述べている。対話できる人数は40人程度が上限である。多数の公衆(国民や県民全体)との対話は論理的に不可能である。しかし、日本ではいまだに不特定多数の公衆相手にリスクコミュニケーション(リスコミ)を行うべきと考える原子力関係者や、原子炉安全の専門家が多いのではなかろうか?

「リスクコミュニケーション」という言葉は広義すぎるので注意が必要である。「リスクコミュニケーション」は「不特定多数の公衆にリスク(あるいは安全)について話すことの意味で使われることが多いが、①被災者とのコミュニケーション、②地元民にリスクを説明すること、③リスクの説明文書を作ることや、リスクの科学的説明を専門家としてすることなども、リスクコミュニケーションと呼ばれる。しかし、①、②はカウンセリング、③は科学コミュニケーションと呼ぶべきである。②はたとえば、英国の地層処分では地元での説明は環境問題のカウンセラーが行ったので、カウンセリングと呼ぶのが良い。③は科学コミュニケーションと呼ぶほうが的確である。英国の王立協会は組織的に科学コミュニケーションを1980年代から推進した。なお、王立協会は、2006年の報告書で、多くの科学者たちが、対話するのではなく、自分の知識を教育することだと思ってコミュニケーション活動に参加していることを憂慮している。リスクコミュニケーション、科学コミュニケーションは教育ではないことにも留意する必要がある。

3.不特定多数に対するリスクコミュニケーションは危険のイメージを伝えるので逆効果である

不特定多数との対話は論理的に不可能なので、リスクコミュニケーションは失敗するのみならず、公衆は主観的に安全の話(リスクの話)を理解する。メデイアは事故やリスクを主に報道するので、これを助長する。人類は危険を避けて生き残ってきたので、危険・リスクの話は本能的に3倍強く印象付けられる。結果的に、安全の説明(リスクコミュニケーション)を行うと、危険のイメージが公衆に伝わることになる。日本では、いまだに、これを理解しない原子力関係者が多いのではなかろうか。自分で自分の首を絞めていることに早く気が付くべきである。あまり知られていないが、世界の中で、日本だけが、原子力発電所の稼働率が低く、出力増強(運転経験を生かすなどした発電出力の増強)も行えていない。その一因ではなかろうか?

4.米国や欧州の原子力産業界は不特定多数の公衆相手にリスクコミュニケーションを行っていない。

米国原子力産業団体である原子力エネルギー協会(NEI、Nuclear Energy Institute)はリスクコミュニケーションを行っていない。一般公衆が抱く放射線や原子力への懸念(主観的リスク:知覚リスク)と、実際の科学的な「客観的リスク」のギャップを埋めることに主眼を置いている。世論調査のデータを分析し、「放射線が他のリスク源(自然放射線など)に比べてどれだけ低いか」という単純な「リスク比較」よりも、「放射線が現場でどのように測定され、厳格に管理・監視されているか」を具体的に説明する方が、公衆の安心感と信頼(Perception Shift)につながるという知見を重視した発信を行っている(添付資料注):リスクコミュニケーションに関するGEMINI3に対する質問と回答を参照)。英国で原子力発電を行っているEDF Energyも安全のテレビコマーシャルを2010年代にやめている。米国原子力学会で、1990年代にリスクコミュニケーション活動を行おうとした英国から来たグループが、止められたのを目にしたこともある(当時はなぜか著者には理解できなかった)。英国にはステークホルダ対話の専門家がおり、2018年に原子力委員会の定例会でその内容を紹介したことがある(参考文献2)。実践経験に基づき、ステークホルダ対話の落とし穴として「事実を伝えること」が挙げられ、「共同で事実を見つける」のがよいなどと述べられている。これに限らず、原子力委員長在任時には、自ら調査した結果と考察を原子力委員会のメールマガジンで発信した。安全性とコミュニケーションに関することも多い(参考文献3、4)。メールマガジンは原子力委員会のホームページで公開されており、発表リストは、拙著「原子力発電と社会」の付録に掲載されている(参考文献5)。日本の原子力関係者は、安全やリスコミを頭の中で抽象的に考えるのではなく、米国や欧州の原子力産業界の実践的なところ、現場のデータから考える姿勢を見習う必要があるのではないか。

5.原子利用や安全に関する根拠の文書を多数つくり、公衆に見つけてもらえるように公開するのがよい

どうすればよいかだが、原子力利用や安全に関する根拠の文書(科学的証拠に基づく文書)を多数つくり、公衆に見つけてもらえるように公開し、国民が知りたいところまで知ることができるようにするのが良い。米国はこの状態である。米国原子力規制委員会はこうした文書を多数作成・収集しホームページで公開している。文書のありかを説明するガイドの文書もある。日本でもこの状態になるように根拠の文書の作成と収集開示を進めるのが良い。文書の作成は研究者の能力向上にも役立つ。

6.AIを使うことで、米国原子力規制委員会など英語圏の情報を、直接知ることができるようになった

AI時代になって言語の壁が取り払われた。例えば米国原子力規制委員会は安全関係の情報を含め多数の原子力利用に関する情報を収集し公開している。AIは英語の文書も参照して回答するので、それを利用することができる(添付資料のQ6の質問と回答を参照)。AIのハルシネーションの問題に対処するには、質問するときに根拠の文献を含めて質問するとよい。根拠を確認することはAI時代になっても必要である。AIは主に言葉を検索しているようなので、根拠の文献の要旨から、その根拠となる図や表を見つけて、AIの答えを確認するとよい。これは、科学研究を進めるときに行う方法と同じである。

7.安全目標は性能目標でよい

不特定多数の国民や県民とのリスクコミュニケーションが論理的に不可能な問題と関連するので、原子力関係者向けにのべると、日本の原子力安全関係者には、安全目標を国民と合意するのが良いと考える方が多いようだが、国民との安全の目標値の合意は、国民全員との対話が必要なので、不可能である。逆効果もある。安全目標は炉心溶融確率の目標(性能目標)にとどめるのがよい。原子炉メーカや電力事業者はこれでも仕事はできる。原子力安全は頭の中で一般化して、抽象的に考えがちであるが、これでは実際に役に立たない(特に上から目線の原子力安全屋は注意が必要である)。現場のデータ、実際の経験から考えないといけない。東電福島事故の場合、測定された線量率や食品中の放射性物質濃度、災害関連死者数の統計などを基に、研究・考察する必要がある。日本は未だに、研究費や給与が自動的に与えられる場合が多いので、実践的な研究が少ないのかもしれない。研究を行う場合には、根拠となる実際のデータを確認しつつ研究する必要がある。

8.ALARA見直しに期待

放射線被ばくを合理的に低減せよとのALARA(As low as reasonably achievable、アララ)の原則がこれまで、使われてきた。これが放射線被ばくは可能な限り低減するのが良いと公衆に理解され、放射線被ばくに対する恐怖のもとになってきた。しかし、放射線被ばくだけをリスクとして考慮することは、技術利用の基本であるリスク・ベネフィットの原則に反している。トランプ大統領がALARAは不要なコストをもたらしているとして見直しを指示し、米国原子力規制委員会は今年中に改定案を作成する計画である(参考文献6)。ALARAを廃止し、被ばくを規制する放射線線量率に下限を設け、避難に伴うリスクなど、被ばく以外のリスクを含む防護の最適化の原則を採用することで、東電福島事故で多数の災害関連死が出た教訓を反映できるのみならず、原子力・放射線利用の公衆の理解の改善が進むはずである。原子力発電は統計的には最も安全な発電方式である(参考文献7)。

注)添付資料:リスクコミュニケーションに関するGEMINI3に対する質問と回答
こちらがGEMINI3との会話です。

参考文献

1.
Paul Slovic, Perception of Risk, Science, vol.236, pp280-285, 1987
2.
SJ Robinson, Public & Stakeholder Dialog, 第9回原子力委員会定例会議 参考資料1-1-2 平成30年3月6日
3.
岡 芳明 国民や地元とのコミュニケーション:英国の公衆対話・公衆関与などから学ぶこと 原子力委員会メールマガジン 第236号 2018年1月19日
https://www.aec.go.jp/mailmagagine/backnumber/2018-0236.html
4.
岡 芳明 リスクコミュニケーションと原子力安全に対する国民の信頼 原子力委員会メールマガジン第273号 2019年7月26日
https://www.aec.go.jp/mailmagagine/backnumber/2019-0273.html
5.
岡 芳明 原子力発電と社会 AMAZON 2024年 英文版はSpringerより出版
6.
https://www.nrc.gov/reading-rm/doc-collections/rulemaking-ruleforum/active/ruledetails?id=2239
7.
岡 芳明 原子力発電はなぜ最も危険と考えられるようになったか、国際環境経済研究所 2024/04/23