トランプ2.0の米国に方向転換~原点回帰を迫られるIEA(その2)
手塚 宏之
国際環境経済研究所主席研究員、JFEスチール 専門主監(地球環境)
環境NGO、特定民間資金の影響を受けるIEA
米国上院の報告書ではさらに、こうした最近のWEOの(グリーン路線への)変容は自然に起きたものではないとして、IEAの運営資金の拠出元についても厳しく追及している。IEAの年間運営予算は通常予算、3,060万ユーロで、米国はその約23%を拠出しているという。IEAはさらに2,000万ユーロほどの自主的拠出金(Voluntary contribution)による資金も使って活動しているといい、近年ではこの自主的拠出金で特定プロジェクトの運営を賄うケースが増えているという。
上院報告書によれば、民間の基金や環境NGOが数百万ドルのキャンペーン資金を投じてIEAに圧力をかけ、WEOのシナリオの改変やIEAの主だった提言・シナリオ分析について、彼らの解釈するパリ協定に沿ったものにし、石油・天然ガスへの投資を挫くものにするように働きかけているという。例えばRockefeller Brothers Fund、Tides Foundation、 Hewlett Foundationなどのフィランソロピー基金からの資金支援を得て、 環境NGOであるOil Change Internationalは2018年、WEOにまだベースラインシナリオとしてCPSを盛り込んでいたIEAに対して、「石油・ガス・石炭からの脱却を勧めていない」と批判し、2019年には“Fix the WEO(WEOを直せ)”というキャンペーンを立ち上げて、WEOでは従来のベースラインシナリオであったCPSではなく、気候変動対策を強化したシナリオに焦点をあてるべきだと圧力をかけたという。こうした圧力を受けてか、IEAが21年に“Net Zero Roadmap”をNZEシナリオとともに公表すると、このキャンペーングループは150の環境NGOと共にIEAを称賛し、同時にIEAに対して今後のWEO他の報告書でこのNZEを中心シナリオに据えるように促す公開書簡を発表している。
またデンマークの環境基金であるKR Foundationは、2020から22年にかけてSustainable Market Foundationに414.8万ドルの資金を提供して「IEAをパリ協定の目標に沿わせ、石油・ガス退出リストを作らせる」活動を始めたという。KR Foundationの年次報告書には「他のNGOとともにIEAに気候政策とシナリオに注力するよう促し、1.5度目標達成のために世界のエネルギーシステムをどのように変革するかのショーケースとなるシナリオを示すよう圧力をかけた」と記載されているという。
さらにBloomberg Philanthropies他の資金を得たEuropean Climate Foundationもその年次報告書で、IEAにNet Zero Emissionシナリオを作成するよう圧力をかけ、WEOにNZEを入れることを促したと述べており、また国際的な再エネ導入目標の設定についてもIEAに歩調を合わすよう促したという。上院報告書は、IEAが2020年にCPSを廃止し、22年にNZEを導入した背景には、こうした国際的な環境NGOの活動と資金が影響を与えたと思われるとする一方、その結果、近年世界で様々なエネルギー安全保障上の懸念が高まっている中で、IEAがネットゼロシナリオにこだわることは、よく言っても近視眼的と言わざるを得ないと批判している。
そうした状況下にあってIEAのビロル事務局長が、英ガーディアン紙等に「石油・ガス・石炭への新規投資は必要ない」と繰り返し発言していることについて、同報告書はあからさまに糾弾しており、加えてフランスのマクロン大統領が「IEAはパリ協定の実施における武装組織(armed wing)になった」と発言していることに触れ、嘆かわしいことにそれは真実であるとも指摘して、IEAが特定の政策意図の宣伝団体になっていることに深い憂慮を示している。
確かに最近のIEAのレポートが気候変動対策ならびに2050年カーボンニュートラルをどのように達成するか、それには各産業セクターに何が必要かといった論点や、技術的課題、資金的課題に関するものに偏重しており、勢い世界が2050年にカーボンニュートラルを達成するのであれば必然的に化石燃料の需要は減少し、ゆくゆくは不要になる(はずである)というメッセージを明示的であれ暗黙的であれ広めてきたことは事実である。OECDの関連機関として主要経済国政府が出資・運営しているエネルギー・シンクタンクとしてのIEAが出すメッセージは、世界の政策関係者・金融関係者・メディアなどに「最も権威ある」エネルギーレポートとして取り上げられてきた歴史がある。そのIEAのレポートが、ここ数年、米国上院報告書が指摘しているようにNGO等の外部の機関による資金提供や圧力を受けて、「エネルギー転換ありき」の前提で長期エネルギー需給見通しを示し、脱炭素の旗振り役を務めるようになってきたというのは、米国議会でなくとも見過ごせない事態である。世界のエネルギー供給の8割が依然として化石燃料で賄われており、その世界のエネルギー需要そのものが、途上国においてはその経済発展のため、先進国においてもAI・デジタルデータ革命によって今後急増することが見込まれている中、代替するエネルギーの安価・安定供給拡大の目途も立たないうちに化石燃料の需要がなくなるとした見込みを示唆するのは、世界のエネルギー安全保障を損なうことに繋がる。これがトランプ2.0の下で潤沢な国内化石燃料資源を武器に「エネルギードミナンス」政策を推し進めようという米国の国益に反すると糾弾されるのも故なきことではないだろう。
IEAの改革を迫る米国
上院報告書では「まとめ」として、「IEAの本来の仕事は、米国ならびに他のメンバー国のエネルギー安全保障を高めることであり、弱めることではない。(2025年1月に始まる)第119期米国議会はIEAの改革を迫るべきである」とし、IEAの方向性をエネルギートランジションの宣伝機関からエネルギー安全保障に戻し、従前のCPSを復活させ、NZEシナリオを廃止することを強く求めている。またウクライナ紛争以降、世界にエネルギー安全保障の課題が山積する中で、世界がIEAに求めているのは「政策立案者・投資家を正しく導くために、確固とした不偏不党の客観的な分析・見通しを示し(現状それはなされていない)、政策立案者や投資家を教育、啓蒙することである」と締めくくっている。
以上が昨年末に米国上院がまとめた報告書の概要であるが、ご丁寧なことに米国議会はその後バロッソ上院エネルギー・天然資源委員会共同委員長とロジャーズ下院エネルギー・商務委員長の連名で、IEAのビロル事務局長あての公開質問状を発出している1)。その質問状の中でも「IEAは近年、エネルギー供給、特に石油、天然ガス、石炭への十分な投資を抑制することによって、エネルギー安全保障を弱体化させていると我々は主張する。さらに、そのエネルギーモデリングは、もはや政策立案者にエネルギーと気候に関する提案のバランスのとれた評価を提供していない。代わりに「エネルギー転換」の応援団になっている」と指摘している。また米国のLNGが世界市場に輸出されている中で、他の世界的な研究機関が米国外の天然ガス需要が2020年から2050年以むけて30~50%も拡大するとしている一方、IEAのSTEPSシナリオでは50年の米国外需要が20年比で15%しか増えず、APSシナリオでは31%も減少することを示唆していると苦言を呈した上で、以下に例示するような様々な厳しい質問への回答を求めている。
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- なぜIEAは、何十年にもわたる慣習から離れ、政策中立的なCPSの公表をやめたのか。
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- 利害関係者は、この(CPS廃止)決定の是非について意見を述べる機会を与えられたか?もしそうなら彼らはどのようにしてその機会を与えられたのか?
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- IEAは、現行の政策のみを前提としたベースラインシナリオが政策立案者にとって価値あるツールであることに同意するか。そうでない場合その理由は何か。
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- (IEAが石油・天然ガス生産への新規投資を即時停止するよう勧告していると広く報道されている中で)IEAとしては石油・ガスプロジェクトへの新規グリーンフィールド及びブラウンフィールド投資の即時停止を勧告しているのか否かを明らかにされたい。
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- IEAが新たなグリーンフィールド・プロジェクトを許可すべきではないと暗黙的、あるいは明示的に勧告しているのかどうか明確にされたい。
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- IEAの予算の全支出の項目別内訳と、これらの支出に占める米国の割合を、緊急事態への備え・データ収集・予測・出張・その他の間接費などの分野別に示されたい。また過去10年間の各項目の推移を示されたい。
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- IEAが(米エネルギー省の)EIAのようにデータ・方法論・仮定を公開していない理由を説明されたい。
あいにくこの質問状を受けとったIEAビロル事務局長から米国議会への返答は(あったかどうかも含めて)公開されていないが、米国のこうした動きがIEAの運営と今後の活動にどのような影響を与えることになるか、注目してフォローしていく必要があるだろう。
(補足)米国上院報告書が指摘するIEAのWEOの中立的なシナリオ分析からグリーンに偏向した分析への変遷と2030年化石燃料ピークアウトについては、本研究所の論壇で既に中山寿美枝京大特命教授による詳しいレポートが紹介されているので合わせて参照されたい。
https://ieei.or.jp/2020/06/expl200625/
https://ieei.or.jp/2024/04/nakayama_20240425/
https://ieei.or.jp/2024/04/nakayama_20240426/