まだやっている「化石賞」騒ぎ
ー メディアの批判が社会に悪影響 ー
石井 孝明
経済記者/情報サイト「withENERGY」(ウィズエナジー)を運営
日本は環境後進国?
「日本企業と環境問題について教えてほしい」。社会問題に関心のある大学生と話し合う機会があった。日本経済は衰えたと言われる。しかし環境・省エネの領域で世界トップクラスの技術や製品シェアを持つ企業が多いことを説明した。すると「知らなかった。環境後進国だから経済成長が遅れたと思い込んでいた」と、大学生は驚いた。
私は逆に、その誤解がどのように生まれたのか、興味を持った。聞いてみると「気候変動の交渉の会議で化石賞を取ると報道されるから」と、その大学生は答えた。別の機会に、化石賞を受賞するとの理由で日本の経済界を批判する若者と出会ったこともある。
エネルギー専門家は、質がそれほど高くないために、日本のメディアの気候変動とエネルギー報道を重視していない。私もそうだ。一般向けには、その質の高くない報道がおかしな形で社会に影響を与えていることがわかった。そして、その中で「変な化石賞」をめぐる報道が影響していた。私は、この分野での日本の報道の悪影響を、今止めなければならないと思うようになった。
「化石賞」を日本が連続受賞
化石賞とは、毎年12月ごろに行われる国連の気候変動枠組条約締約国会議(COP)で、そこに集まる各国の環境関係のNGO(非政府組織)が交渉で後ろ向きと彼らが考える国を、会議中毎日選ぶものだ。COPは国家間の国際会議なのに、その事務局はNGOが出席し、場合によって意見を述べることを1995年のCOP1から認めてきた。
NGOの関与はプラスとマイナスの双方がある。多くの人が参加することは確かに民主的で議論をオープンにするが、規制を強化しようという環境保護重視派のNGOの存在感が近年増して、議事進行を混乱させることが増えている。
その中の一部のやや環境保護に過激なNGOがこの化石賞の選定に参加する。会議では各国代表が毎日発言をするが、それを傍聴する各NGOによって、「環境保護至上」という彼らの価値観に基づいて、その日に一番後ろ向きの主張をしたとする国が選ばれる。
COP28がアラブ首長国連邦のドバイで23年12月に開催され、そこでも毎日化石賞が選ばれた。日本は今回2回受賞した。大国で、化石燃料使用を維持したいとNGOが判断した国、特に米、日が頻繁に選ばれる。多くの原子力発電所が過剰な規制で止まり、化石燃料を使わざるを得ない日本は、毎回の化石賞の常連だ。
これは国連の正式な賞ではなく、民間団体が毎日、勝手に発表するものだ。今回は気候変動問題で目立つ存在ではないイスラエルが、パレスチナを攻撃したとの理由で1回受賞した。このように恣意的に選ばれている。
そして、なぜか中国は受賞しない。中国は世界で一番、二酸化炭素など温室効果ガスを排出している。環境汚染もひどい。COP28では、時事通信が「「化石賞」なぜ日本ばかり? 中国、際立つ少なさ」(同月9日)との記事を配信し、各国代表が中国の受賞がないことを不思議がる内容の記事を配信していた。メディアは伝えられないだろうが、欧米系NGOに中国が資金援助をしている噂が流れており、それが中国への配慮を生んでいるのかもしれない。
日本以外のメディアは化石賞をほとんど取り上げない。この賞はNGOのパフォーマンスで、意味がないと見ているのだろう。
毎年「化石賞」を日本メディアが過剰報道
ところが日本のメディアは、この化石賞に注目する。今回のCOP28では官房長官会見で日本が賞を取るたびに各社の記者が聞き、「日本の化石賞に「コメントせず」 官房長官、気候変動対策巡り」(共同、同月4日)という記事が出た。経済産業大臣の記者会見でも話題になり「「日本の技術理解されていない」、化石賞、経産相反論」(朝日、同月7日)と、記事になった。いずれも政府と日本企業の批判をした。
タイトルで推測できるように、化石賞を取ったことを「大変だ」とメディア側が喚き、政府要人に釈明させる内容だった。同じような構成の記事を私は何度も何度も、毎年のCOPごとに読んだ記憶がある。
今回のCOP28では化石燃料からの移行の合意、有志諸国による原子力活用宣言、決定文書が初めて原子力に言及するなど、新しい動きがあった。また懸案になっている、途上国への先進国の資金援助問題で損失と損害(ロス&ダメージ)の資金アレンジメントの交渉の継続も決まった。またグローバルストックテイク(GTS)と呼ばれる1.5℃目標実現のための各国の取り組みを深める方向も議論された。
一方で、各論点で具体策の踏み込みがされず、ウクライナ戦争の後で化石燃料の供給に不透明感がます中で、早急な脱化石燃料の動きに各国の政府や企業が、戸惑う姿も見えた。
しかし日本のメディアの解説は、深い内容のものは少なかったように思う。特に、日本の大手メディアは原子力発電が嫌いなためか、今回のCOP28での原子力への評価確認の動きはほとんど伝えていない。こうした本筋の話ではなく、化石賞という外れた動きに注目する日本のメディアのニュース感覚はおかしい。
化石になっているのは日本のメディア−批判が社会に悪影響
日本のメディアの傾向として、政府批判、企業批判の情報を好む。特に海外からの日本批判に飛びつく。化石賞は、その日本批判に使いやすい。記者は軽い気持ちで「化石賞」という、世界で誰も注目していない話を、取り上げるのかもしれない。しかし、繰り返されるその報道は日本社会に広がり、冒頭のようなおかしな考えを植え付けてしまった。ゆがんだ報道は社会に悪影響を与えている。
「この先も何連覇やら化石賞」。これは朝日新聞の川柳コーナー(2023年12月5日)に掲載された一句だ。日本が毎年、繰り返し受賞することを皮肉っている。しかし私は型にはまった古い報道を続けて「化石」になっているのは日本のメディアに見える。この川柳は、繰り返すおかしな報道への皮肉に聞こえてしまう。この日本メディアの化石賞をめぐる騒ぎの無意味さを、このIEEIは検索すると、10年以上前から有識者が指摘してきた。それなのに、この無意味な騒ぎはまだ続いている。
私は、米国のニューヨークタイムズと、英経済誌エコノミストをウェブで定期購読している。両方とも、評価の高いメディアだ。そして気候変動問題を主要なテーマにして、やや気候変動で経済に制約をかけるべきとの考えに傾いている。それでも興味深い専門議論や国際交渉の裏側を紹介し、大変参考になり面白い。そして自国を過度に卑下することはない。読者にわかりやすく事実を伝え、読者に、国のあり方、自らの行動を考えさせる。これがメディアの役割のはずだし、米英の一流メディアは、そうした役割を果たしている。
これだけ社会が複雑化する中で、世の中のすべてのことに知識を持てる人などいない。知らない問題を考える際に、一般人はメディア報道を最初に頼らざるを得ない。そのメディアの報道が、日本ではエネルギー・気候変動においておかしすぎる。
毎年の化石賞騒動も一例だが、気候変動問題、そしてそれに密接に関係するエネルギー問題での、日本のメディアのバイアス(偏向)を警戒して私たち日本国民は情報を触った方がいい。そして、このような報道を続けるメディアの中の人に、日本政府や企業を、無意味におとしめることはやめ、プロとして人々を唸らせる報道をしてほしいと、お願いしたい。