有機農業を推す紙芝居の物語から「悪役」が消えた。いったいなぜ!


科学ジャーナリスト/メディアチェック集団「食品安全情報ネットワーク」共同代表

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 農林水産省は有機農業の拡大を基本とする「みどりの食料システム戦略」を進めている。その一環として、東海農政局の職員が作成した「2しゅるいのにんじん」という紙芝居について、前回のコラムで批判的に紹介したが、その後、物語の一部が知らぬ間に変更されていたことが分かった。何がどう変わったのだろうか。

「ちっちゃくてふぞろいなのに」が消えた

 東海農政局のホームページで紙芝居の紹介画面を見てみよう。前回のコラム記事が掲載された4月25日時点では、紙芝居のあらすじとして、「お店にあったのは、いつものにんじんと、ちっちゃくてふぞろいなのに、なぜかねだんの高いにんじん。2しゅるいのにんじんは、なにがちがうのかな?」と記されていた。
 ところが、いま(5月23日時点)画面を見ると、「お店にあったのは、いつものにんじんと、ねだんの高いにんじん。2しゅるいのにんじんは、なにがちがうのかな?」に変更されている。「ちっちゃくてふぞろいなのに」が消えていたのだ。
 筆者がコラム記事(4月25日掲載)で「有機栽培だから、小さくて、ふぞろいなニンジンができるというのは有機農業に対する誤った認識だ」と生産者の体験談を紹介して指摘したことが、この変更に影響したかどうかは分からない。しかし、国の専門家が「誤解を生じる説明だった」と感じたために変更したのであろうと推測する。

「化学肥料や農薬を使って育てた」は削除

 重要な変更はほかにもあった。当初のバージョンは、いつものニンジン(有機ではないほうのニンジンのこと)に関する説明として、「農家の方が、普通に化学肥料を使って、また虫や病気の予防のために農薬をかけて育てたにんじんなんです」との内容が載っていた。ところが、変更後の新しいバージョンでは、上記のカギカッコの全文がすっかりと消え、化学肥料や農薬をかけて育てたという説明が削除されていた。

 つまり、当初の紙芝居は「農薬と化学肥料を使ういつものニンジン」と「化学肥料を使わず、雑草も手作業で行う有機のニンジン」のどちらを選ぶことが地球にやさしい買い物か、という設定だった。換言すれば、農薬や化学肥料を使う作物は悪役、それらを使わない作物は正義の味方という勧善懲悪的な見立てである。
 ところが、新バージョンでは、悪役の説明に相当する化学肥料や農薬という言葉が削除されてしまった。有機のニンジンと競い合ういつものニンジンには何の説明もなく、有機のニンジンに関する一人舞台の物語となってしまったのだ。
 筆者は前回のコラム記事で「この紙芝居の内容だと、化学肥料や農薬を使って栽培することがいけないことかのように伝わってしまう。通常の慣行農業こそが戦後の日本の食卓を豊かにしてきた。慣行農業を行う農家にもっと配慮が必要だ」などと書いた。
 それが影響したかどうかは分からないが、仮に私が変更するとしたら、「化学肥料や農薬を使って育てた価格の安いニンジンも消費者の健康維持や食生活に役立ってきましたが、豊かになるにつれて、有機のニンジンを求める声が増えてきました」といったふうに書き直すだろう。ただ、そう書き直すと農薬や化学肥料を使った農産物にも大きな意義があることになり、物語の主役である有機のニンジンの存在がかすんでしまう。
 そもそも、有機を善玉、化学肥料や農薬を使う農業を悪玉と見立てるストーリーに無理があるのだ。

慣行農業も地球のことを考えている

 変更はまだあった。有機のニンジンについて、当初の説明は「農家の方たちが地球にやさしい栽培方法で育てているんですね。それで値段がちょっぴり高いんですね」となっていたが、新バージョンは「地球にやさしい栽培方法もあるのですね」と短くなり、「農家の方たちが」という主語がなくなっていた。
 当初の内容だと明らかに、農薬や化学肥料を使う農家は地球のことを考えておらず、有機の農家だけが地球のことを考えて栽培しているかのように読めた。この変更は、慣行農業を営む農家への配慮が足りなかったと判断したためだろうと想像する。
 物語をここまで変更すると、もはやどちらを選ぶかという判断材料に乏しくなり、単に「地球のことを考えて、価格が高くても買いましょう」と訴える意味の浅い紙芝居になってしまったのではないだろうか。

変更に至った経過を載せてほしい

 とはいえ、紙芝居のあらすじを改善すること自体に異論はない。むしろ気づいた時点で物語の内容をレベルアップすることはよいことだと思う。
 問題にしたいのは、物語のどこがどのように変更されたかが一般の人に分からないことだ。おそらく最初の紙芝居を見た子供たちや学校の先生は変更されたことを知らないだろう。紙芝居の紹介画面(東海農政局のホームページ)でどの部分がどういう理由で変更されたかを説明すべきだと思う。もしどこかに変更理由が書いてあれば、是非教えてほしい。

値段の高い農産物を100万ヘクタールで供給

 しかし、この紙芝居はある意味でとても重要なことを教えてくれる。
 紙芝居の結論は「ちょっぴり高いけど、有機のニンジンを買います」だった。紙芝居では、ニンジン1本の値段は有機のほうは80円(5本で398円)、通常のニンジンは50円(4本で198円)だ。有機のほうが6割も高い。6割の差は、ちょっぴり高いどころではない。かなり高い。
 みどりの食料システム戦略は、2050年までに日本の農地面積の25%(100万ヘクタール)を有機農業の農地にする計画だ。現在は1%以下しかない有機農業の面積を25%に拡大するという壮大な構想である。
 紙芝居から類推すると、慣行農業よりも6割も高い有機農産物を、100万ヘクタールで生産しようというわけだ。有機農産物と通常の農産物は安全性の面では差はない。戦後、日本人の平均寿命は世界1位になるまで伸びてきた。それは決して有機農産物を食べたからではない。有機に頼らなくても、みなりっぱに栄養を得て、健康を保ってきたのだ。
 にもかかわらず、紙芝居の想定のように6割も高い農産物を日本の農地の25%で生産するという計画は、はたして食料安全保障の面から見ても理にかなった戦略なのだろうか。 

親が子に滅ぼされかねない危うさ!

 今後、食料確保の重要性はますます高まるだろう。そういう中であえて、収量性が低く、値段の高い有機農産物を大々的に増やす計画にどれだけの支持が得られるのだろうか。
 最後にもうひと言。有機農業は、収量性がよく、農薬の使用の削減にも貢献してきた遺伝子組み換え作物を排除してきた。有機農業はその思想からして、バイオテクノロジーを排除するDNAをもっているからだ。みどりの戦略によって有機農業が各地に広がるにつれて、遺伝子組み換え作物やゲノム編集技術などに対する逆風が吹き荒れるだろう。
 みどりの戦略は片方でイノベーション技術にも期待している。だが、親が産んだ「有機という名の子供」によって、親が滅ぼされかねない危うさも感じる。そういうバイオテクノロジーを排除する思想を併せ持った有機農業を、国が率先して、巨額の税金を費やして広めていく計画に対して、もっと冷静な検証が必要ではないだろうか。