脱炭素で出現した「気候危機と有機農業の危うい構図」とは!


科学ジャーナリスト/メディアチェック集団「食品安全情報ネットワーク」共同代表

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 世は脱炭素一色だ。ついには農林水産省までがカーボンニュートラルを目指して、有機農業の面積を100万ヘクタールに増やす戦略を立てた。有機農業は農法だけでなく、思想もセットになっている。その思想は、食料の生産に欠かせない農薬や化学肥料を否定し、効率的な大規模農業を敵視する宗教的要素を秘めている。気候危機を煽る風潮が日本の農業生産に暗い影を落とさないとよいが・・。

 有機農業と聞けば、たいていの人は良いイメージをもっているだろう。農薬や化学肥料を使わずに農産物を生産すれば、環境にも人の健康にも良い。有機農産物をもっと増やしてほしい。多くの人はそう考えているだろう。しかし、高級スーパーに行けばすぐに分かるが、有機農産物の収量は通常の栽培法に比べて、総じて低く、その価格は間違いなく高い。
 いろいろな食料の値段が上がっている中で、価格の高い有機農産物を買う余裕のある人は高所得層に限られる。そうした有機食品の負の側面は常識的な見方として定着しているといってもよいだろう。

2種類のニンジンの紙芝居

 私が危惧の念を抱くのは、それとは違う。私が憂えるのは、有機農産物の推進が知らぬ間に現在の食料生産を支えているバイオテクノロジーや工業的生産の重要性を貶めるいびつな思想に転化していく風潮である。
 そのよい例が、農水省東海農政局が作成した紙芝居である。
 紙芝居の題名は「2しゅるいのにんじん」。東海農政局のホームページを見ると、子どもたちに「地球にやさしいおかいもの」を知ってもらいたくて紙芝居を作ったという。おおよそのあらすじはこうだ。
 小学生と母親がスーパーへ買い物に行き、夜ごはんのシチューに使うニンジンを選ぶときに、2種類のニンジンがあることを知る。
 一方のニンジンは4本で198円。こちらは農家が普通に化学肥料や農薬をかけて育てたニンジンだという。
 もう一方のニンジンは5本で398円と高い。小さくて、ふぞろいだが、化学肥料は使わず、牛や鶏糞、木の葉っぱなどを混ぜて作った「たい肥」を入れて育てたものだ。雑草は薬をかけて枯らすのではなく、農家の人が手作業で1本1本抜くなど、ものすごく手間をかけて育てたニンジンだという。これが有機のニンジンだ。
 さらに、有機のニンジンについては、農家の方たちが地球のことをしっかりと考えて野菜などを栽培しているんだよと解説する。その母親は「(有機のニンジンは)農家の方たちが地球にやさしい栽培方法で育てているんですね。地球を大事に永く使って、次世代の子供たちにつなげたいです。そのためのお金と思えば、納得です」といって、高いほうのニンジンを買う。

有機のニンジンは本当にふぞろいなのか?

 この物語を聞いて、みなさんはどう感じるだろうか。私にとっては、農薬や化学肥料を使って大規模に栽培し、少しでも価格の安い食料の生産に励んでいる通常の農家がまるで地球のことを考えていないかのような印象を受けた。慣行農業への温かい眼差しが足りない。「有機農業は善で、通常の慣行農業は悪」かのようにみえる。
 特に違和感を抱いたのは、有機のニンジンを「小さくて、ふぞろいだ」と形容している点だ。鳥取市で大規模な農業を営む徳本修一さんに聞いてみた。徳本さんは5年前まで日本でも最大規模の有機露地野菜を生産していたプロの農家である。現在は大型機械を活用して大規模農業を営んでいる。
 徳本さんは「ニンジンが小さくて、ふぞろいだというのは、農法の問題ではなく、栽培技術の問題です」と言って、形のよいりっぱな有機ニンジンの写真を送ってくれた(写真参照)。「小さくて、形がふぞろいなのは、農作物に湿害や生理障害などが生じている現象であり、栽培技術が未熟なだけであって、有機栽培とは何の関係もない」と力説する。
 さらに、「雑草取りも、夏場に太陽熱養生処理を行うので、手作業で雑草を1本1本抜くような作業はほとんどやりません」とも強調した。紙芝居の解説を見て、「生産現場のことをあまり理解していないのでは」との感想をもらした。


形のよい立派な「有機ニンジン」(写真提供:徳本氏)

有機農業に潜む危うい思想的側面

 この紙芝居は有機農業を正しく伝えていないばかりか、慣行農業の大切さがまるで感じられない。その背景にあるのが、2022年7月に施行された「みどりの食料システム法」だ。2050年までに日本の農地に占める有機農業の面積を現在の1%以下から25%に拡大させるという壮大な計画だ。
 ただ単に有機農業が盛んになるだけなら、それ自体に問題はないだろうが、私が危惧の念を抱くのは、日本だけでなく、世界の食料生産を支えている農薬や化学肥料の大切さを否定するような風潮が生まれることである。日本の国民の大半が豊かな食生活を送ることができているのは、農薬や化学肥料を活用した慣行農業のおかげであり、有機農業などでは断じてない。
 有機農業を推進する催しは他の農政局でも行っている。中国四国農政局が有機農業を知ってもらうためのイベントについて、NHKが次のように報道した(2022年8月30日)。

販売された農産物はすべて化学肥料や農薬を使わず、遺伝子組み換え技術も使わないという基準を満たすとして、有機JASマークが付けられている。・・2歳の子供と訪れた30代女性は『有機野菜は体によいイメージがあるので、なるべく買うようにしています』

 この報道の中では遺伝子組み換え技術もネガティブに語られている。
 国が推し進める有機農業の推進は、思想的な側面から見れば、世界的な食料生産の増加に貢献している遺伝子組み換え技術の否定であり、農薬や化学肥料を危険視する思想を広めることにもつながる。一見すると優等生に見える有機農業にも、そういう危うい思想的な顔が隠されていることにどれだけの人が気づいているのだろうか。
 農水省はみどりの戦略でゲノム編集技術などバイオテクノロジーの活用もうたっているが、その一方で紙芝居の例に見られるようにバイオ技術を否定的に伝える矛盾を犯している。

学校給食の有機化で変わる市民と国の構図

 有機の推進でさらに心配なのが学校給食である。農水省はみどりの戦略で学校給食にも有機農産物を増やす活動に取り組む。2025年までに全国の100市町村に「オーガニックビレッジ」を宣言させ、有機農業の拠点を各地につくる方針だ。学校給食に有機食品が登場すれば、教諭たちがどんな考え方、思想を伝えるかは、紙芝居の例を見れば想像がつく。国が多額の予算をつぎ込んで、全国各地に有機思想を広めていく光景はこれまでになかったことだ。
 学校給食に有機食品を取り入れることに反対する自治体や親はまずいないだろうから、今後は学校給食の有機化がきっかけになって、環境市民団体と国、自治体が手を握り合う場面が増えてくるだろう。
 私の長年の取材経験から言って、有機農業を推進してきた人たちは、効率的な大規模農業に批判的であるだけでなく、遺伝子組み換え作物やゲノム編集食品にも反対し、残留農薬や食品添加物のリスクを過大視する傾向があった。どちらかといえば、市民派的な有機農業団体と政府は反目する関係にあったように思うが、国が有機農業を推進することで、この構図が変わってくる。
 環境重視の市民団体と農水省が足並みをそろえて、「有機、有機」と連呼する奇妙な光景の出現である。現にその種の奇妙なコラボイベントが増えてきた。当然ながら、先のNHKのようにメディアの大半は有機農業の拡大に肯定的である。
 気候変動問題では、政府、企業、金融機関、環境団体、学者、メディアが一体となって、気候危機を煽る構図が生まれているが、今度は農業の分野でも、これと似たような構図が出現しつつある。脱炭素という宗教がもたらす異様な空間だ。

読売新聞の社説も有機礼賛

 宗教の影響はメディアにも及ぶ。読売新聞は社説(2021年6月11日)で国のみどりの戦略をこう評した。

地球温暖化は農作物の収穫量の減少や品質低下、漁獲量の落ち込みなど、農林水産業に深刻な打撃を及ぼす恐れがある。食料確保の面でも脱炭素戦略が不可欠だ。・・・世界では、有機農業への転換が急速に進んでいる。欧州連合(EU)は有機農業の耕地面積の割合を、30年までに25%以上にする目標を掲げた。米国も農業分野の脱炭素を表明している。日本も世界の潮流に乗り遅れたくない。

 脱炭素では国の莫大な予算をあてにできるだけに、国、自治体、企業、市民団体、メディアが巨大なビジネスでつながる構図が生まれている。国による有機農業の推進でさらに別の強固なビジネスが生まれようとしている。危うい思想の広まりとともに。