日本は「脱炭素社会」をどう目指していくのか?


国際環境経済研究所主席研究員、元内閣府戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)「エネルギーキャリア」サブ・プログラムディレクター

印刷用ページ

脱炭素社会への道筋

 温室効果ガス(GHG)の排出を2050年に向けて80%削減するという日本のGHG排出削減目標は良く知られている一方で、その達成に向けた道程に係る具体的な説明をあまり耳にすることはない。それも無理はないことで、その道程についての絵は、まだ、ほとんど描けていないと言って良い状態だからだ。
 これには、この目標の達成が、大変に困難なことであることが影響している。その困難さについて、例えば資源エネルギー庁は、同庁の研究会に提出した資料で80%削減という水準は、①各家庭、事務所、店舗等のエネルギー源をオール電化又は水素利用とし、②自動車をすべてゼロエミッション車に転換し、さらに、③発電を再エネ・原子力・CCS付火力で100%非化石化したとしても、農林水産業とその他2~3の産業からの排出しか許容されない水準注1)と記している。確かにそれくらい困難なことであることは間違いない。しかし、日本だけがこの困難に直面している訳ではない。世界の誰もが-気候変動対策について先導的な主張をしている欧州諸国でさえ-、2050年の排出削減目標を達成することは、きわめて困難なことと考えている。
 だからといって「出来るわけがない」から何も考えなくて良い、ということではない。「パリ協定」が合意された2015年を境にして、世界のマインドセッティングは、「出来るわけがない」から「出来るだけやってみよう」へと変化した。この世界の潮流の大きな変化を見逃してはならない。このマインドセッティングの変化によって、世界ではいろいろな創造的なアイデアと技術、そしてそれらの組み合わせが生まれ、新たな事業が出現してきている。いつまでもモラトリアムの状態にとどまっていては、脱炭素社会の新たなエネルギーシステム構築に向けて起きつつある世界のイノベーションに取り残されてしまうだろう。
 わが国では、2050年を視野に入れた第5次エネルギー基本計画が昨年7月に策定されたが、同計画では「2050年に向けてあらゆる選択肢の可能性を追求」していくとし、2050年80%削減に向けた道程の案を示していない。確かに今後の経済社会情勢が不透明であり、いろいろな技術革新の可能性もある中で、特定の道程を示すことは、可能な選択肢を狭めてしまうリスクもある。それで、こうしたアプローチを一概に批判することはできないが、私は、このアプローチは、脱炭素社会の構築に向けた具体的方策を真剣に考える環境を生み出していないという意味で、結果として国民や産業に誤ったシグナルを出しているのではないかと少し心配している。

電力分野の脱炭素化の方策

 本稿では、わが国は2050年に向けてどのような検討を行い、準備をしていかなければならないのかを、電力分野の脱炭素化を例にとり、私なりに考えてみたい。但し、そのための以下の議論には、多くの割り切りと仮定が入らざるを得ない。しかし、その程度のラフな考察でも、日本のエネルギーシステム全体を脱炭素化していくための課題等は、ある程度見えてくると思う注2)
 2018年7月に策定された政府の第5次エネルギー基本計画では、2030年度の総発電量を10,650億kWhと見込み、その内訳は、化石燃料電源の割合が56%程度、原子力が20~22%程度、再エネ22~24%程度としている(再エネの内訳は、太陽光:7.0%、風力:1.7%等)。(【図】のとおり。)この目標が達成できるかどうか、特に原子力と再エネ電力については、いくつかの懸念事項がすでに指摘されているが、ここでは、この2030年の電源構成目標が実現されるとの前提に立って議論を進めることにしたい。

【図】 2030年の電源構成目標

【図】 2030年の電源構成目標

(2050年の電力需要量)
 さて、それではまず、2050年における電力需要量をどのように見たらよいだろうか。2050年に向けて省エネの進展、人口の減少など、エネルギー需要が減少する要因はあるものの、生活の利便性の追求と、エネルギー源の低炭素化に向けた取り組みによって電化が一層進展し、その結果、2050年度の総発電量は2030年のレベルとあまり変わらないと考えられている。そこでここでは、2050年度の総発電量を現状と同じレベルの約10,000億kWh程度とざっくり考えよう。

①化石電源
 この量の電力を供給しつつ電力部門でCO2排出量を80%減らすためには、化石燃料をエネルギー源とする電源の割合は、最低でも注3) 80%程度減らさなければならない。化石燃料を使い続ける代わりにCCS(CO2の回収・貯留)を導入して大気中に排出されるCO2を削減するという選択肢も挙げられるが、現在の同技術に関する見通しからは、日本国内で経済性が成り立つ形でCCSを建設、運営できる見通しが立っているとは言い難い。こうしたことから、化石燃料を電源とする発電電力量は、2050年には全体の20%程度(約2,000億kWh)に下げなければならないと考えておいた方がよいだろう注4)

②原子力
 原子力は、今後、仮に原発の再稼働等が進み、2030年に計画通り原発による発電量が総発電量の20~22%(約2,000億kWh)まで行ったとしても、その後、2050年に向けて原発の新設と建替えが出来ない限り、この割合は減っていかざるを得ない。これまでに廃炉が決まった原発を除き、既設・建設中の原発がすべて再稼働し、法定設備寿命の60年間稼働したとしても、2050年の発電量は、新設と建替えがない場合には、多くの原発で設備寿命が来るためにその発電量は、約1,500憶kWhまで低下すると試算される。(発電量の15%程度)

③再エネ電源
 次に、脱炭素社会の主力電源としての役割を期待されている再エネは、以上のざっくりとした試算によれば、2050年の電力需要を賄うために再エネは、約6,500憶kWh(10,000 – (2,000 + 1,500))の電力量を供給する必要がある。再エネの導入には2つの方法がある。
 一つは、国内に賦存する再エネ資源の利用、もう一つは、再エネ資源に恵まれている海外から安価な再エネを水素エネルギーの形で日本に運び、利用する方法である。

(国内再エネ)
 国内にも再エネ資源は、その賦存量だけで見ればかなりの量が存在する。しかし、エネルギーはそのコストが重要である。経済や国民生活に大きな負担を強いることなく導入できる国内の再エネ量は限られている。それを少し具体的に見ていこう。

【表】国内に賦存する太陽・風力エネルギーの導入可能量

【表】国内に賦存する太陽・風力エネルギーの導入可能量

 環境省の調査データ(【表】注5)によると国内再エネの「シナリオ別導入可能量注6)」は、太陽光で設備容量が約36~240GW(発電量 400~2,500億kWh)、風力(洋上風力を含む)で同136~560GW(同 4,300~15,000億kWh)と推定されている注7)。この数字だけ見ると、その発電量の合計は4,700~17,500億kWhになるので、シナリオ次第では国内再エネだけで十分に先の2050年における再エネ導入必要量の6,500億kWhどころか、国内の必要発電量(約10,000億kWh)の全量も賄えるように見える。
 しかし、ことはそう簡単ではない。まずこの推計は、太陽光についてはkWh当たり30~40円、風力については15~40円で20年間買い取るという経済インセンティブを付けるというシナリオを前提とした数字なので、経済インセンティブが減少したら、当然のことながらその導入量は減少する。わが国の買取価格は、その原資を賄うための国民負担を軽減するためにすでにこの水準をかなり下回っている。(【表】中の「2019年度以降買取条件」を参照。)今後とも同様の理由で買取価格の引き下げが続くならば、国内再エネの導入可能量は、小規模な量にとどまる可能性がある。しかし、その辺の見極めは難しい。買取価格が下がったとしても、(政府が期待するように)太陽光・風力発電のコストが下がって行けば、同じ買取価格でも導入可能量は増えるからだ。
 国内の太陽光、風力エネルギーの導入に関しては、これに加えて、導入にあたってそれらのエネルギーに特有の性質である発電量の変動を受け入れ、電力系統の安定的な運用を可能とする「調整力の確保」が必要となるので、そのためのコストが追加的に発生することに留意しなければならない。調整力の確保のためには蓄電池、揚水発電等の蓄電設備、送電線等の整備が必要となる。例えば蓄電池についてみると、現状、約4万円/kWhを要している蓄電設備コストをその100~1,000分の1に下げないと、利用者が負担する電力コストは約130円/kWh程度にまで大幅に上昇してしまうという試算が資源エネルギー庁によって示されている。

(水素エネルギー)
 もう一つの再エネの導入方法としては、海外の安価な再エネを水素エネルギーの形に変えて日本に持ってくる方法がある。その場合、日本は欧州諸国と異なり、再エネ資源の豊富な国や地域との間に送電線やパイプラインが設置されていないので、水素エネルギーを運搬、貯蔵しやすい状態や物質(エネルギーキャリア)に変えて、導入するという方策が考えられている(エネルギーキャリアについては、これまでにも何回かこのIEEIのコラムで書いているので、今回はこの問題には立ち入らない)。
 水素エネルギーについては、政府がその定量的な導入目標を掲げている。2017年12月に策定された「水素基本戦略」では、2050年を念頭に置いていると考えられる“「将来の姿」”として、1,000万トン+α の導入目標量と20円/Nm3-H2(または2$/kg-H2)の価格目標が掲げられている。この水素量がすべて発電燃料として利用されると注8)、この水素による発電量は、総発電量の約20%となり、また、この価格の水素による発電コストは12円/kWhとなる。ここで留意すべきことは、水素エネルギーは火力発電所の燃料として利用されるので、国内再エネの大量導入の際に必要となる調整力の確保のためのコストが発生しないことである。これは、水素エネルギーの形で再エネを導入することの大きなメリットの一つだろう。また、水素エネルギーは、今回、検討の対象としなかった熱源の脱炭素化にも役立つ。
 このように見てくると水素エネルギー導入がもっとも魅力的な選択肢のように見える。しかし、結論は急ぐべきではない。その妥当性の確認も含め、後述するような「総合的」な検討を行うことが重要となる。

脱炭素社会の電力システム構築に向けた課題

 以上の考察から見えてくることがいくつかある。
 その第一は、2050年に向けて必要となる電力量を確保するためには、いわば「総力戦」で臨むことが必要ということである。はなはだ乱暴で単純化した議論で申し訳ないが、化石燃料、原子力、そして水素エネルギーによる再エネ導入で賄える数量的目標が語れるのは、2050年に必要とされる発電量の55%(20+15+20%)だ。残りの45%の約4,500億kWhの電力量を国内再エネで賄えるかどうかは、太陽光、風力発電コストと蓄電池のコストの低減が今後どれほど実現するかによる。【表】の国内再エネの現状でのシナリオ別導入可能量と蓄電池コストを見る限り、この実現は相当に厳しいと言わざるを得ないだろう。ということは、2050年においても脱炭素社会の重要なエネルギー源となる電力供給のことを考えるならば、「再エネか原子力か」ではなく、「再エネも原子力も」視野に入れて必要な取り組みを考えていかなければならないということだ。
 第二は、上述のような電力源の種別を越え、また関連する技術を含めたエネルギー技術に関する「総合的注9)」な検討の必要性である。私の知識が限られているだけなのかもしれないが、原子力、太陽光、風力、水素などの発電技術、そしてそれらのCO2フリーエネルギーの大量導入に必要となる調整力の確保のための蓄電・送電関連技術について、その技術的可能性、コストの見通し、それらの社会実装に必要となる制度改革などについて、分野を越えた「総合的」な検討が行われているようには見えない。
 ここで話は逸れるが、この「総合的」な検討の必要性を痛感することになった背景を記させていただきたい。以下は、私の個人的な体験なので、これをもって一般化することははなはだ危険なのだが・・・。
 それはこんな経験だった。昨年、配送電分野の技術者や電気自動車関連の技術者の方々、つまり電子・電気工学、システム工学の分野の方々が集まる研究会で、水素エネルギーの話をさせていただく機会があった。その研究会は、再エネが大量に電力系統に導入される場合に必要となる調整力の確保のための手段に関するもので、私以外の研究会の構成員は、蓄電池や今後の普及拡大によって蓄電手段となることが期待される電気自動車の専門家、すなわち電子・電気工学、情報システム工学、送配電制御技術の専門家であった。私がその研究会に呼ばれたのは、水素エネルギーも蓄電手段として使用できる可能性があるということで、少し勉強してみようということだったのではないかと思う。
 私は、蓄電手段としての水素エネルギーの重要性を否定するものではないが、発電燃料としての導入の方がCO2の排出削減という観点からはより重要と考えているので、最初のうちは議論がまったくと言っていいほど噛み合わない。話に出てくる英語の略語にいたっては、お互いにちんぷんかんぷんといった状況だった。研究会の回数を重ねるにしたがって、その困った状況は徐々に解消し、最終的にはお互いがこれまであまり考えてこなかったことについて、双方で理解が深まり、有意義な意見交換ができたのだが、考えてみれば、電力配送電システムに日々従事する専門家の方々が、私のような化学には知識があるが、電気やシステムにまったく弱い人間と、これまで将来のエネルギーシステムのあり方について一緒に討議したことがどれほどあったのだろうか。聞いてみると電力企業の中でも、配送電部門と発電部門の技術者の間で、そうした議論が行われることはこれまであまりなかったらしい。
 脱炭素社会のエネルギーシステムのあり方を考え、構築していくためには、従来の産業や技術間の垣根を越えた「総合的」な検討を行うことが必要となる。それは、従来はエネルギーシステムとはあまり関係がないと考えられた化学、鉄鋼、自動車などの産業の技術者が検討に参加することが必要というだけでなく、それらの技術の基盤となる学問の世界でも、そうした場を積極的に創っていくことが必要ということだ。「総力戦」を戦うというのは、まさにそういうことでもあると思う。

「総合的」検討で持つべき視点

 その際、そうした「総合的」な検討においては、以下のような点を押さえることが重要と思う。

それぞれのエネルギー技術の特性と適用分野の見極め
それぞれのエネルギー技術の適用可能スケール
それぞれのエネルギー技術の開発、導入に要するタイムライン
それぞれのエネルギー技術の価値と社会実装に要するコスト

 これらはある意味、当たり前のことなのだが、敢えて書いたのは、世間でときどき喧伝されるエネルギー技術の中には、供給可能なエネルギー量が少量に限られる、実用化までの技術進展の見通しがたっていない、コストについての検討が行われていない、などの状態にあるにもかかわらず、それらがあたかも脱炭素社会の構築のカギを握る技術であるかのような“夢”が語られることが多いからである。小規模、コストの高いエネルギー源で良ければ、それはどこにでもある。
 未だ発展段階にある技術が多いために容易なことではないのだが、検討においては、競合技術間の比較についても可能な限り上記のような観点で行うことが必要である。例えば、電気自動車等の電動機器への給電手段としてワイヤレスで送電する技術も開発段階にあるが、仮にこの技術が電気自動車への電力供給の相当部分を担うことになるならば、車載用の大容量蓄電池の必要性は薄れる。なお、④にコストと並んで「価値」と書いたのは、コストについては、そのエネルギー技術が提供できる価値との関係で考えることが必要ということを付記しておきたい。(例えば、乾電池から得られる電力はkWh当たり1万円以上のコストになるが、私たちはその電力を高いとは感じていない)。

 また、これらの観点に加えて、

当該エネルギー技術の安全性(環境安全性を含む)

の評価も忘れてはならない。そのエネルギー技術は、その原料採取から利用に至るライフサイクルを見たときに、本当にCO2の削減をもたらしているか、という視点である。私が携わっている水素エネルギーのバリューチェーンの構築に向けた取り組みでは、水素の製造、輸送、利用方法によっては、ライフサイクルで見るとCO2の排出削減につながらないどころか、かえって増加させかねないケースも散見されるからだ。

 脱炭素社会の構築のための道筋の検討は、このように決して容易ではないが、新たな脱炭素社会のエネルギーシステムの構築に向けた取り組みを開始していくために、早期に既存の技術、産業の壁を越えた技術総力戦のための議論を始めていくことが必要だと思う。

注1)
経済産業省 長期地球温暖化対策プラットフォーム「国内投資拡大タスクフォース」、2017年4月7日会合の参考資料1 の記述を一部分、平易な用語に改変。
注2)
但しここで留意が必要なことは、一次エネルギーのうち電力分野で消費されている量は、現在、全体の約45%であり、日本全体の脱炭素化の方策を考えるためには、このほかに自動車用の燃料源、家庭や事業場、工場の重要なエネルギー源となっている熱源の脱炭素化の方策を併せ考えなければならないということだ。そういった問題はあるものの、電力は、産業、国民生活のエネルギー源として広く使われているだけでなく、今後、各分野で電化が進展していくと見られているので、上記のような大きな方向性に係る検討にはこれでいいだろう。
注3)
CO2の大量排出源としては、このほかに鉄鋼、化学、セメントなどの産業分野がある。これらの分野では、プロセス上の理由で化石燃料の使用量を低減することが困難なので、日本全体でCO2排出量を80%削減するために、それらに比較してプロセスが比較的単純な発電分野において、より多くの排出削減を行うことが必要となる可能性がある。
注4)
2013年度の一般電力事業者のCO2排出量の4.8億t-CO2を2050年までに80%削減する場合、発電可能量は、化石燃料電源が全量LNG電源に変わったとしても約2,200憶kW程度と計算される。
注5)
「わが国の再生可能エネルギーの導入ポテンシャル」 平成29年度 再生可能エネルギーに関するゾーニング基礎情報等の整備・公開等に関する報告書の巻末資料2
注6)
「シナリオ別導入可能量」とは、表中の「シナリオ」が満たされた場合(すなわち、経済インセンティブがある場合)の導入可能量。このほかに、利用にあたっての制約要因(土地用途、利用技術、法令、施工性など)はクリアされているものの、現段階では導入に係る経済性の裏付けのない資源量として「導入ポテンシャル」が定義され、その量が推計されている。
注7)
再エネには、このほかに地熱、中小水力、バイオマス等があるが、これらはいずれもその量的規模が小さいので、ここでは省略する。
注8)
実際には、この量には燃料電池自動車用燃料としての水素量も含まれる。
注9)
この「総合的」という言葉は「全体的」と言い換えてもいいのだが、ここで言いたいことを言い表している言葉と思えていないのが正直なところである。英語の”holistic”という言葉のニュアンスが一番ここで言いたいことに近いように思う。