化石燃料の枯渇がもたらす経済成長の終焉(その8)
成長の抑制こそが、化石燃料枯渇後の人類文明の生き残りの唯一の途である
久保田 宏
東京工業大学名誉教授
成長にしがみついても資本主義の終焉は止めることができない
本稿(その6)でも触れたが、「資本主義の終焉と歴史の危機(文献8-1)」の著者、水野は、「アメリカをはじめとする先進国は、経済成長をいまだに追い求め、企業は利潤を追求し続けている。・・・資本主義は成長をもっとも効率的に行うシステムだが、・・・もはや利潤をあげる空間のないところで無理やり利潤を追求すれば、そのしわ寄せは、格差や貧困という形をとって、弱者に集中する。」として、「経済成長という信仰」が、貧富の格差を拡大し、資本主義の終焉をもたらすと主張している。
これを経済学には素人の私なりに云い換えてみると、資本主義の発達の歴史のなかで、資本投資による利潤の拡大が、経済的なフロンテイア空間としての植民地の開拓に求められた。第二次大戦の後に、経済成長を植民地支配から解放された途上国に求めることができなくなった先進諸国にとっての新たなフロンテイアが、第一次大戦の結果オスマン帝国の支配から解放された中東の地の石油であった。このイスラム教の地の神の恵みの安価な石油が、メジャーの手を通して先進諸国に渡り、20世紀の初頭から加速した科学技術の進歩の力を借りて、経済成長のためのフロンテイア空間を創りだした。そのなかで、かつて、植民地の獲得競争に遅れて、戦争まで始めた日本が敗戦後の苦境から見事に立ち直って、米国とともに資本主義国家圏のサブリーダにまでのし上がった。
これに一時的な冷水を浴びせたのが、中東における国際間の軍事紛争に伴う石油(供給の)危機であった。この石油危機(1973年と1978年の2度)以前に較べれば、やや大幅に上昇した石油価格によって、産業の振興のためのエネルギー価格(エネルギー消費に比例する人件費も含む)の上昇で、資本投資による利益を失った先進国が、製造業を中心とする産業の途上国への移転を行った。当初、途上国への経済的支援を名目にして始まった技術移転であったものが、やがて、先進国の事業所の移転にまで発展して行った、いわゆる産業のグローバル化である。安い人件費を利用して、先進国産業を受け入れた途上国のなかから、やがて経済の高度成長を遂げた新興・途上国BRICSが出現する。この新興・途上国が、先進国に代わって2000年以降の化石燃料消費量の異常な増加をもたらした(本稿(その2)参照)。この化石燃料消費の増大がもたらしたのが、資本主義社会での先物取引商品化した原油の2005年以降の乱高下を伴う異常な価格高騰であった(本稿(その4)参照)。
本稿(その4)で述べたように、化石燃料資源量の制約から、その国際市場価格は、今後、確実に上昇する。したがって、先進諸国から、世界の経済成長の役割を引き継いだ新興・途上国(非OECD)諸国での経済成長も、やがて、終焉を迎える日はそう遠くない。これに対して、化石燃料に代わって、再生可能エネルギー(再エネ)や原子力を用いることで経済成長を継続できると主張する人も多数いるが、それは、科学技術万能を信じる人達の幻想に過ぎない。
以上が、科学技術者の眼で見た、成長のエネルギー源としての化石燃料資源の枯渇がもたらす成長の終焉、すなわち資本主義の終焉である。
世界全体として経済成長を抑制することで、はじめて世界の平和が保たれる
産業革命以降、新フロンテイアとして、成長を支えてきた化石燃料が枯渇に近づこうとしているいま、この成長の信仰を放棄する以外に、資本主義の終焉後の世界で、先進国と途上国が、両者間の貧富の較差の壁を取り払って平和に共存できる途はない。
具体策として私が提案しているのが、本稿(その5)で述べたように、「世界各国が、現在の世界平均の一人当たりの化石燃料消費量(年間)を現在の値以下に抑えることを目標にして、その実現に努力すること」である。この化石燃料消費の節減目標値は、成長の信仰にこだわる先進諸国にとっては極めて厳しく、単なる理想論に過ぎないとの批判があるかもしれない。しかしながら、このような、具体的な化石燃料の消費節減策が実行されずに、経済力のある大国が自国の経済成長のために、人類にとっての共通の財産である化石燃料を独占的に消費すれば、その国際市場価格が高騰して、それを使いたくとも使えない国、人々が出てくる。これが、かつてのようなエネルギー資源の奪い合いによる大国間の戦争に発展することはないとしても、このエネルギー資源の恩恵に与かれない人々の不満が、宗教と結びついて、国際的なテロ活動の発生につながり、世界の平和に深刻な影響を及ぼしている。
一方で、いま、世界の化石燃料消費の増大に伴う大量の温室効果ガス(CO2)の大気中への排出が地球の温暖化の脅威をもたらすとして、その防止を目的としたCO2の排出削減への各国の協力が求められている。しかし、この温暖化の脅威を防ぐために必要な各国のCO2排出量を決めるCOP(国連気候変動枠組条約の締結国会議)の協議が難航している。原因は、先進国と途上国の間の現状の貧富の較差が固定されたまま、このCOPの場が先進国と途上国間の金銭取引の場になっているからである。このCOPの協議を合意に導く唯一の方策は、上記の私が提案する「新興・途上国も含めて、世界が協力しで経済成長を抑制することで、化石燃料消費を節減すること」でなければならない(本稿(その3)、(その5)参照)。
有限の化石燃料を、世界中が分け合ってできるだけ長く使いながら、やがて、やって来る化石燃料代替としての再エネに依存する社会では、今まで人類が経験したことのない経済的な困難が予想される(本稿(その7)参照)が、これが、資本主義の終焉後の平和な世界へのソフトランデイングの方策でなければならない。
経済成長ができなくなった日本の生き残る途
資本主義社会の成長のエネルギー源としての化石燃料の枯渇が近づいているいま、安価だった化石燃料に依存して高度成長を続け、資本主義のフロントランナーとして走り続けてきた日本のよって立つ経済基盤が失われようとしている。そのなかで、政府はアベノミクスの第3の矢として、かつての経済成長の夢を追いかけて、財政赤字と貿易赤字を積み上げることで、日本経済を破綻の淵に追いやろうとしている。
この経済的な苦難に直面しているいまの日本にできること、やらなければならないことは、やがてやってくる化石燃料の枯渇後に備えて、「成長の継続を前提とした再エネ電力に依存する社会の創設は、先進国と途上国の間の貧富の較差を拡大させるとともに、技術的にも多くの困難な課題を抱えている」ことを厳しく指摘することである。同時に、この貧富の較差を解消するための現実的な具体策として、世界各国が協力して、経済成長を抑制することで、地球上の化石燃料消費を節減して、少しでも、それを長持ちさせることを各国に訴えなければならない。
化石燃料の殆ど全てを輸入に依存する日本の現状を考えると、現用の化石燃料代替の再エネ電力の導入に国民に経済的な負担をかけるFIT制度の適用は、国民のなかの貧富の較差を拡大するだけである。経済成長のできないこの国で、財政赤字と貿易赤字を少しでも減らすために、取り敢えずやるべきことは、化石燃料輸入金額の減少のためのエネルギー消費の節減の徹底と、電力価格の安い石炭火力発電の利用でなければならない。
経済成長のエネルギー源としての石油の確保のために、安全保障の法整備を行う必要性が言われているが、いまの日本にとって本当に大事なことは、人類にとってのかけがえのない化石燃料資源を保全するために、経済成長の抑制に世界各国の協力を要請して、国際間だけでなく国民の間の貧富の格差の解消を訴えて、戦争を起こさない平和憲法を守り、これを世界に広めることである。これが、かつての戦争の責任を反省する日本の進むべき道であると信じる。
- 8-1.
- 水野和夫;資本主義の終焉と歴史の危機、集英社新書、2014年