約束草案提出にあたっては京都議定書の悪夢再来を避けよ
~米国の約束草案は検証・実現不可能?~
手塚 宏之
国際環境経済研究所主席研究員、JFEスチール 専門主監(地球環境)
6月2日、政府は地球温暖化対策推進本部において我が国の温暖化対策に関する約束草案政府原案を決定した。2030年に温室効果ガスの排出量を2013年比で26%削減するというものであり、6月7~8日にドイツで開催されるG7サミットで安倍首相が国際社会に向けて発表する予定と聞く。この2030年削減目標が、業務、家庭部門で非常に厳しい(かつて経験したことのない)省エネを実現することが前提となっており、またその実現のために要する総コストが明示されていないという問題は、本研究所サイトに掲載されてきた論考の中ですでに指摘されている。(「CO2削減目標△26%をどう位置付けるべきか」(杉山大志))
気になるのはこの目標数値が、すでに米国が国連に提出している米国の約束草案の数字、「2025年までに05年比で26~28%削減」ときれいに符合している点である。そもそもこの約束草案(Intended Nationally Determined Contribution:INDC)という概念は、先進各国の削減目標をトップダウンで交渉して決めた京都議定書の行き詰まりを打破し、世界全体を包括する温暖化対策の新たな国際枠組みを築くために、オバマ政権下の米国が提唱してきたものであり、各国が自主的に最大限のGHG排出削減策を積み上げて国際的にプレッジした上で、その内容と進捗を相互に検証していくという、今年12月にパリで開かれるCOP21での合意を目指す2020年以降の新国際枠組みの基本概念となっているものである。
本来、各国が自主的に積み上げた削減目標であるから、それぞれの国情やエネルギー・産業構造、過去の省エネ努力の進捗などによって、その目標数値は異なってしかるべきなのだが、なぜか今回日本が掲げた26%削減という目標は、基準年が違うとはいえ米国が先行して掲げた26~28%(目標は26%であり28%は努力目標)と妙に一致している(ちなみに基準年を05年に変えても日本の削減目標は25.4%とほとんど変わらない)。京都方式のトップダウン目標は否定して、専門家会合で議論を積み上げて目標を作ったとはいえ、上述のようにかなり野心的な省エネ努力を織り込んでいることから、米国の掲げた約束草案を意識した外交的な数字合わせがなかったとは言い切れないのではないだろうか。
そこで問題となるのが、日本が意識したと思われる米国の掲げた約束草案の「氏素性」である。米国政府は今年3月末に国連に自国の約束草案を提出した際、この26~28%削減という目標は、大気汚染防止法に基づく石炭火力発電所へのEPA排出規制の導入や、トラック燃費規制導入などを含む、既存法による規制強化によって行政権限の範囲内で達成可能な目標としていた。当初から専門家の間では、こうした既存の規制強化によっても2025年までに26%削減は難しいのではないかと指摘されていたが、時が経つにつれてより専門的な分析が行われ、この「約束」の達成があやぶまれるとの指摘がなされるようになってきた。
ここでは、米国商工会議所21世紀エネルギー研究所のスティーブ・ユーリ副所長が5月末に発表したレポート「Mind the Gap: The Obama Administration’s International Climate Pledge Doesn’t Add Up(ギャップにご注意:オバマ政権の国際公約は積み上がらない)」からその問題点を紹介する注1)。
まず米国の約束草案の削減目標を、努力目標とされている28%としたとき、その削減量の絶対値がいくらになるかである。同レポートでは2025年のGHG排出量見通しについて、2005年のGHG排出実績値6390百万トン(CO2換算)から自然体で6285百万トンに減少するとしている。(経済成長に伴うエネルギー需要増が、エネルギー効率改善、乗用車燃費規制やシェールガス革命の継続等により相殺されて、自然体で105百万トンの削減が進むと想定。)これを前提にして2025年に05年比28%削減を実現するためには、新たな政策によってさらに1685百万トンの削減が必要となる。そこで同レポートでは米国政府が3月に提出した既存法による規制の強化による削減がどれほど積み上がるかについて、米国政府自身の発表している様々なレポートや報告書に基づいてかなり楽観的な前提をおいて試算を行っている(実際には石炭火力規制強化について全米32州からEPAの規制は違法であるとのクレームが出されるなど、その実現には紆余曲折が予想されいて、額面通りの削減が進むとは限らない)。この試算によればEPAによる新石炭火力排出規制の効果は640百万トン、石油・ガス掘削時のメタン漏えい規制125百万トン、森林吸収の強化120百万トン、フロン規制強化80百万トン、最終処分場からのメタン排出規制55百万トン、トラック燃費規制35百万トンなど、まだ検討中のものも含めて米政府が既存の法的枠組みの下で実施、強化可能な排出規制をすべて積み上げても削減量は1095百万トンにしかならない。つまり28%削減には590百万トンも足りないのである。(仮に目標を26%としても460百万トンも不足する)
この不足分をどこで埋めるのか?同レポートでは、EPAの2015年度予算申請では、石油精製、製紙、鉄鋼、セメントなどの産業セクターへの温室効果ガス排出規制の導入を検討するとしており、こうしたエネギー多消費産業に新たな規制を課すことが想定されているのではないかと指摘した上で、しかしこうした産業セクターの排出総量は2013年実績で900百万トンにしかならず、500百万トンものギャップを埋めることは到底不可能と断じている。