私的京都議定書始末記(その27)

-25%目標の表明-


国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授

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25%目標の衝撃

 2009年9月7日、私は朝日地球環境フォーラムに出席していた。その2週間前の総選挙で政権交代が決まっており、その日、次期首相になる鳩山民主党代表が温暖化対策についてスピーチをすることになっていたからである。民主党はマニフェストの中で温室効果ガス削減目標を2020年までに90年比25%減とするとの方針を明らかにしていた。これは6月に麻生首相が発表した2005年比15%減(90年比8%減)を大幅に深堀りするものであり、これが政府の正式な目標プレッジになった場合、日本の温暖化交渉戦略に大きな変更を強いることは確実であった。とはいえ、日本の経済社会に多大な影響を与える中期目標である。選挙時のマニフェストを正式の政策決定にするに当たっては一定の検討プロセスを経るのではないかとの淡い期待もあった。事実、6月の中期目標表明の際には半年以上の検討期間を経ている。

 司会者の紹介に続き、鳩山代表が登壇した。そこで表明されたのはマニフェストと違わぬ90年比25%削減目標であった。ただし、「しかしながら、もちろん我が国のみが高い削減目標を掲げても、気候変動をとめることはできません。世界の全ての主要国による公平で実効性のある国際枠組みの構築が不可欠です。全ての主要国の参加による意欲的な目標の合意が、我が国の国際社会への約束の『前提』となります」という但し書きもついていた。前提条件付きとはいえ、わずか3ヶ月の間に90年比で見て3倍強の目標水準の引き上げである。同フォーラムに出席していたデボア事務局長やパチャウリIPCC議長は「我が意を得たり」と満面の笑みであった。会場には顔見知りの産業界、NGO関係者がたくさん来ていたが、フォーラムから退出する際、前者は重苦しい表情を、後者は高揚した表情を浮かべていた。「悲喜こもごも」という表現そのままと言えよう。

 その日の経産省の定例次官記者会見でも新目標について記者からの質問が相次ぎ、望月晴文次官は「1990年比25%削減というのは、これまで政府の専門家を集めた有識者会合で科学的に分析して提示をした6つの選択肢のうちで、最も厳しい選択肢に相当するものであり、日本国民あるいは日本経済にとって、非常に厳しい道を選ぶのだという覚悟が必要なものだ」と述べた。我々行政官は時の政権の方針に従わなければならない。その中で次期総理の発言に対する望月次官のコメントは、行政の継続性の重要性を理解している官僚として、見識のある発言だったと思う。

 9月16日に就任した鳩山総理の外交デビューは9月22日のニューヨークにおける国連総会である。鳩山総理が2020年までに90年比25%削減という目標をプレッジした時は列席した各国首脳から大きな拍手が起きた。その時、私はワシントンに出張中で、ニュースでその模様を見ていたが、これまでの交渉を振り返りつつ、色々な思いにかられていた。

25%目標の問題点

 交渉官の立場からすれば、日本の目標に前提条件が付いたことで、辛くも首の皮一枚つながったとは言える。これまで温暖化交渉に参加してきた経験から見れば、前提条件なしのプレッジは「ただ取り」される可能性が限りなく高かったからだ。フィージビリティやコストを考えても25%は途方も無い数字であり、この前提条件はいわば命綱のようなものであった。その後の交渉で「日本のプレッジは、全ての主要国が参加する公平で実行ある国際枠組みの構築と意欲的な目標の合意 が前提である(Japan’s target is premised on establishment of fair and effective international framework with the participation of all major emitters and their agreement of ambitious goals)」という台詞を何度繰り返したかわからない。しかし2000年代初めから温暖化交渉に関与し、AWG-KPの首席交渉官の立場にある身として、たとえ前提条件付きであろうと、25%目標には違和感を感ぜざるを得なかった。

 まず目標設定の考え方である。25%目標の根拠はIPCCの囲み記事にある「先進国は2020年までに90年比25-40%削減すべき」を踏まえ、日本は既にエネルギー効率が高いとの理由で数字幅の下限をとったというものだ。我々はAWG-KPの場で25-40%を主張するEUや途上国に対し、「この数字はIPCCの勧告ではない」との理由で反対をしてきた。それが一夜にして覆ったのである。麻生前首相が2005年比15%減目標を表明した際は、ボトムアップの削減ポテンシャルやコスト分析を行い、慎重な検討プロセスを踏んだものであった。これは横並びで高い数字を掲げなければ野心のレベルを疑われるという京都議定書交渉の際の苦い教訓を踏まえたものである。しかし25%目標は、ボトムアップの視点やコストを含むフィージビリティの検討を伴わないトップダウンの数字であった。いつも日本を含む先進国に野心レベルの引き上げを迫っていた中国の蘇偉(スーウェイ)局長でさえ、日本の25%目標を聞いて「一体どうやって達成するのか?」と聞いたという、笑うに笑えないエピソードもある。削減ポテンシャルを積み上げ、国内削減目標(真水)で目標を出すという2005年比15%減目標の考え方は、その数字のレベルはともかく、透明性の高い、正直なアプローチとして交渉相手国に評価されていた。EUが90年比20%~30%削減という目標を掲げながらも、途上国から「オフセットを含んだ水増しの数字だ」と批判されるのを涼しい顔で眺めていることもできた。しかし90年比25%減ともなると、とても国内削減だけで達成するとは言えず、EUと同じ穴のムジナになってしまった。