私的京都議定書始末記(その27)

-25%目標の表明-


国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授

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 次に基準年である。日本は90年基準に散々煮え湯を飲まされてきたからこそ、6月に2005年比15%減という目標値を出したのである。「何が狙いでEUに一方的に有利な90年基準年に戻るのか」という疑問を禁じ得なかった。米国は2005年比で目標を設定し、90年基準年への限定に反対していた。日本があえて2005年基準を撤回し、90年基準を使うことは、日本とEUが共同戦線を張ったと思われても仕方がない。そもそも、最大の排出国である米国の入りにくい枠組みを作って、米国が離反してしまったのでは温暖化防止にとって何の意味もないのであり、どう考えても戦略的外交方針とは言えないのではないだろうか。

 25%目標の発表が「全ての主要国が参加する公平で実効ある枠組みの構築」に貢献するだろうか?それまでの交渉経験から見て、私には米国、中国、インド等が日本の野心的な目標の表明によって交渉姿勢を変えるとはとても思えなかった。事実、その後の交渉の展開を見れば明らかである。途上国は日本の目標に一応は拍手を送りつつも、「前提条件を付けていることがけしからん」と注文を付ける始末であった。国際交渉は国益と国益のぶつかり合いである。日本が条件付きの目標を出したら、その条件を剥ぎ取ろうというのが交渉相手の戦略である。

 最大の問題は国際公平性である。野心的な目標を率先して出せば、他国から野心的な目標を引き出せるという論理は、一見もっともらしい。外交交渉上のレトリックとしては有り得る。事実、私もその後の交渉で「日本がこの目標を出した理由は、他国にもっと野心的な目標を出してもらいたいからだ」と説明した。しかし中期目標検討委員会では、日本が90年比15%削減するオプション⑤の場合ですら、公平性の観点からは米国は2005年比38-47%減、EUは90年比29-33%減が必要と見込まれていた。増してや日本が90年比25%削減をするならば、米国にもEUにもはるかに高い数字を要求せねばならない。90年比25%減を国内削減だけで達成した場合の限界削減費用は450ドル程度になるのだ。しかし、ワックスマン・マーキー法案を踏まえ、2005年比17%という数字を掲げることが予想されていた米国が「日本の野心的な姿勢に触発されて」一気にその2倍~3倍の削減幅を出すことなど、現実には考えられなかった。EUは自分たちが年来主張していた「90年比25-40%削減」という主張に日本が乗っかったので大喜びであった。日本が国内対策だけでこの目標を達成できないことは確実で、欧州で形成されていた炭素市場に日本から大量の買いが入ることも予想された。他方、EUは日本に触発されて目標の上限値を90年比30%以上に引き上げるようなお人好しではない。彼らのロジックに従えば、「やっと日本も俺たちと同じくらい野心的になったか」という程度であったろう。要するに国際交渉の世界では、各国とも国益を踏まえ、自国が達成可能な数字を出しているのであり、他国が高い目標を出したからといって自分の目標を上方修正するようなことはしないのである。今から振り返っても25%目標の表明は他国の野心レベルの引き上げに貢献したとはとても言いがたいし、事実そのような国はどこもなかった。

 国際交渉を前に進めるために、日本が「率先垂範」すべきである主張は、国内で何度となく繰り返されてきたし、今後も同様だと思われるが、国際交渉はそうした一種の倫理的呼びかけが通じるほど甘くない。この頃、「厳しい目標を設定すれば、そうした制約条件に対応して新たな産業・技術が発生し、グリーン成長につながる」という「良い事ずくめ」の議論もよく聞かれた。そんなうまい話があるならば、米国、中国、インドも含め、各国が争って高い目標をプレッジするはずだが、現実には他国に厳しい削減目標を求めるロジックとして使われていた。当時、グリーン成長を最も声高に主張していたのが、OECD加盟国でありながら、先進国として総量削減義務を負うことを頑なに拒否し続けていた韓国であったことはその何よりの事例だろう。またユーロ危機に苦しむ欧州各国は、不況から脱却するために削減目標の引き上げを行っただろうか?現実は固定価格全量購入制度を含む温暖化対策の見直しである。厳しい目標設定がある種の産業を推進することは事実だろう。しかしそれが経済全体の成長につながったという説得的事例はいまだ存在していない。

三ヶ月の間に二度目の目標表明

 9月末、新政権発足後、初のAWGがバンコクで開催された。6月と同様、AWG-LCAとAWG-KPでそれぞれ目標を発表せねばならない。僅か三ヶ月前にボンで前政権の目標を発表したばかりである。そのときと同じ人間が全く別の目標を表明する。「政権交代とはこういうもの」とは思いつつも、気持ちは重かった。AWG-KPで札を立て、対処方針に基づき、25%目標を表明した。会場から大きな拍手がわいた。国際会議やセミナー等で発言やプレゼンをし、拍手を受けたことは何度もある。しかし拍手をもらって全く嬉しくなかったことは後にも先にもこの1回だけである。日本の発言を受けていくつかの途上国から発言があった。「日本が野心的な目標を掲げたことを歓迎する。しかし前提条件をつけていることが残念だ。一刻も早く前提条件を取り除くべきだ」というものが多かった。「何をぬかすか!臍が茶を沸かすわ」と思いつつ、二度、三度とフロアをとり、「日本の目標は決してブランク・チェックではない。全ての主要国が参加する公平で実効のある枠組みの構築と野心的な目標の合意が前提条件だ」と強調した。相手の発言を意図的に自分に都合の良いように解釈することも国際交渉では日常茶飯事である。国際交渉の現場では、「命綱」の前提条件をこれ以上ないほど明確にしておく必要があった。

 その翌日、懇意にしている外務省の交渉官が言いにくそうに話しかけてきた。東京の「ある筋」から「AWG-KPの日本政府代表は25%目標の前提条件ばかりを強調し、目標の崇高な趣旨を台無しにしている」とのご注意があったそうだ。前提条件をオブラートに包んで言えば、それが既成事実化し、いつしか前提条件はなし崩しになっていく。国際交渉の常識である。彼とは普段から肝胆相照らす関係であるため、思わず「ブランク・チェックではないという当然のことを言ったまでです。それが怪しからんというならば首席交渉官を降りてもいいです」と大人気ないことを言ってしまった。それでも翌日のAWG-KPでは中身を変えずに物腰を少しソフトにした。会合後、顔見知りの日本人傍聴者が「今日はソフトな言い方ですね」と笑顔で話しかけてきた。前日のことも併せ考えると、どのようなルートで話が東京に伝わっているのかがわかったような気がした。

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