私的京都議定書始末記(その15)

-G8+3エネルギー大臣会合(1)-


国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授

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青森でG8エネルギー大臣会合

 バリのCOP13から戻って休む間もなく取り組んだのがG8エネルギー大臣会合の準備だった。2008年に日本はサミット議長国となっており、7月に洞爺湖で首脳会合が開催されることが決まっていたが、G8プロセスでは首脳会合に先立って、外相会合、蔵相会合等、テーマ別の大臣会合が開かれるのが通例である。その一環としてエネルギー大臣会合も開催されることになったわけである。多くの外国人要人が参加するG8大臣会合は、開催地にとって一大イベントである。このため、テーマ別の大臣会合をどこで開催するかは、総理官邸の判断事項となっていた。エネルギー大臣会合については多くの原子力関連施設や再生可能エネルギー施設が立地している青森県で開催することとなった。

3つのエネルギー大臣会合の切り盛り

 頭を悩ませたのは3つのエネルギー大臣会合を切り盛りせねばならないことだった。一言で「G8エネルギー大臣会合」といっても主要8ヶ国のエネルギー大臣会合だけを開催すれば済むわけではない。G8プロセスといっても、そのテーマに応じてG8以外の主要新興国の参加を求める「アウトリーチ」が通例となっていた。したがってG8エネルギー大臣会合に加え、新興国の参加も得たG8+αエネルギー大臣会合を開催する必要があった。これに加え、2006年12月に中国の呼びかけで開催された5ヶ国(日本、米国、中国、韓国、インド)エネルギー大臣会合の第2回会合を日本がホストすることも既に決まっていた。

 いろいろ考えた上、青森では5ヶ国エネルギー大臣会合、G8エネルギー大臣会合、G8+3(中国、韓国、インド)エネルギー大臣会合を連続して行うこととした。5ヶ国エネルギー大臣会合、G8エネルギー大臣会合に参加する国がG8+3エネルギー大臣会合で一堂に会するというスタイルである。

 次に悩んだのが会場の確保である。G8+3エネルギー大臣会合には13ヶ国の閣僚に加え、欧州委員会エネルギー担当委員、IEA事務局長も参加する。このため、最低15人分のスイートルームと、閣僚会合を開催するための大会議場が必要になるのだが、その両方の条件を満たすホテルが見つからない。そこで閣僚の宿泊先としては青森市郊外のリゾートホテル「八甲田ホテル」を、閣僚会議会場としては市内の「ホテル青森」をあてることとした。外国要人が参加するため、当然に警備が要となる。警備の都合を考えれば、宿泊会場と会議会場が一致している方が望ましいことは言うまでもない。そこで石川青森県警本部長に事情を説明して協力をお願いした。石川本部長とは26年前の公務員合同初任研修以来であったが、ご快諾をいただいた。

ホテル八甲田
ホテル青森

 会場確保、警備にとどまらず、多くの外国要人の参加する大臣会合のホストは、ロジ(ロジスティックスを略した役所用語。会場、交通手段の手配等、イベントの兵站面を指す)面で周到な準備を必要とする。このため、ロジに特化した準備室を立ち上げることとなり、COP13で交渉に参加した増永地球環境対策室長が2008年1月に準備室長に就任した。増永室長と彼のチームのおかげで私はエネルギー大臣会合のサブ(サブスタンスを略した役所用語。会議の議題、共同声明等、内容面を指す)に専念することができた。

G8+3エネルギー大臣会合の狙い

 3つのエネルギー大臣会合をホストするに当たって、サブ面でまず頭を悩ませたのが各大臣会合間のデマケ(デマケーション、即ち役割分担を指す役所用語)である。

 私が今回の一連のエネルギー大臣会合の中で最も重視していたのが主要先進国と中国、インド、韓国が一同に会するG8+3エネルギー大臣会合であった。ここで2007年初め以来、IEA、APEC、東アジアサミット等で積み重ねてきた「気候変動に対するエネルギー面からのアプローチ」、即ち、省エネ、セクター別アプローチ、革新的技術開発について明確なメッセージを打ち出すのが狙いである。しかし、そうなるとG8エネルギー大臣会合、5ヶ国エネルギー大臣会合で何を議論するかというデマケの問題が生ずる。特に日米は3つのエネルギー大臣会合に連続して出席するので、テーマが同じでは意味がない。

 いろいろ考えた末、まず5ヶ国エネルギー大臣会合では中国、インドが強い関心を有する石油市場や緊急時対応を中心テーマに据えることとした。次にG8エネルギー大臣会合では2006年のG8エネルギー大臣会合(サンクトペテルスブルク)で採択された「エネルギー安全保障に関するサンクトペテルスブルク行動計画」のフォローアップを行うと共に、エネルギー・気候変動問題に関するG8諸国としての考え方(新興国への期待も含む)を打ち出す。その上でG8+3エネルギー大臣会合では先立って行われるエネルギー大臣会合の成果に言及しつつ、エネルギー安全保障、エネルギー・気候変動問題に関する包括的な議論を行うというものだ。

 エネルギー安全保障については、ロシアを除く全ての参加国が大消費国であり、低廉かつ安定的なエネルギー供給の重要性と言う点で問題意識は概ね共有されている。気候変動に対するエネルギー面からのアプローチのうち、革新的技術開発の重要性については、中国、インドも含めコンセンサスを得ることは容易であると思われた。したがって最も力を入れて臨んだのが、省エネ、セクター別アプローチに関して、中国、インドも参加するG8+3エネルギー大臣会合の場でどの程度明確なメッセージとして打ち出せるかということであった。

 省エネについては、EUが打ち出していたIEEA(International Energy Efficiency Agreement)というアイデアを活用できないかと考えた。「Agreement」がEUの好む拘束力を持つ条約のようなものであれば、米国や中国が乗ってくるとは思えないが、ボランタリーな協力イニシアティブであれば今次会合の成果として合意できる可能性がある。このため、事前に欧州委員会エネルギー・運輸総局と密接に連絡をとり、「国際省エネ協力パートナーシップ:IPEEC (International Partnership for Energy Efficiency Cooperation)」という構想を打ち出そうということで手を握った。Agreementではなく、Partnershipという用語を使うことにより、米国の理解も得やすいと考えたからだ。また各国が自由意思で参加するエネルギー分野のパートナーシップは原子力(Global Nuclear Energy Partnership)、バイオエネルギー(Global Bio Energy Partnership)等が存在し、先例もあった。気候変動分野では何かと対立関係にあったEUであったが、エネルギー分野では良好な協力関係ができていたことも大きかった。ちなみにIPEECは当初、IPEE (International Partnership for Energy Efficiency) という名称で議論をしていたが、「IPEE= I pee (私は小便をする) になってしまい、語呂が悪い」との指摘を受けてIPEECになった。この世界ではアルファベットの略称は沢山あるが、こんなことにも注意せねばならない。

 セクター別アプローチについては、IEAやAPEC、東アジアサミットのエネルギー大臣会合の共同声明に盛り込んできたが、今回はその考え方も含め、より具体化なメッセージを出そうと思っていた。他方、過去の経験から見ても中国、インドが難色を示すことも十分予想された。

大変だった準備プロセス

 大臣会合のサブは共同声明に集約される。議長国としては共同声明のドラフト、審議、採択に至る一連のプロセスにつき、周到な準備が必要であった。このため、バリから帰国直後、3つのエネルギー大臣会合に参加する各国に対し、各エネルギー大臣会合の議題案、共同声明に盛り込む要素の箇条書きを送ると共に、共同声明のとりまとめに向け、1月に東京で、3月にパリで、更に大臣会合直前の6月に東京で合計3回の準備会合を行うという段取りも提示した。①第1回準備会合ではアジェンダと共同声明の要素を提示し、②第2回会合までに第一次ドラフトを作成し、第2回会合で議論する、③第2回会合直後に第二次ドラフトを作成し、書面コメントを受け付けて第三次ドラフトを配布し、第3回会合でline by line のドラフティング交渉を行うというものである。

 通常、マルチのプロセスに参加する場合、自国の立場を主張し、そのコメントが共同声明に反映されることを確保すれば済むが、議長国ともなるとそうはいかない。準備会合の議長を務め、共同声明のドラフトを提示し、各国のコメントを取り入れつつ、議長国として出したいメッセージも確保していかねばならない。何より、マルチの準備会合の議長を務めるのは初めての経験であり、これは非常に骨の折れる、根気のいる作業であった。

 まず、各国に適切なコンタクトポイントを確保せねばならない。ロシアを除くG8諸国については、IEAプロセスでのネットワークをほぼそのまま活用できた。ロシアについては、燃料エネルギー省、外務省と相談した上で、燃料エネルギー省の国際担当部局を窓口にしてもらった。中国についてはAPECや東アジアサミットプロセスの窓口となっていた国家発展改革委員会が窓口となった。苦労したのがインドである。他国と異なり、インドでは石油・天然ガス省、石炭省、電力省、非在来型エネルギー省等、エネルギー当局が複数省庁に分かれており、エネルギー全般を取り扱う大臣会合の適切な窓口が明確でなかった。結局、石油・天然ガス省の課長クラスが担当窓口となったが、彼がどの程度、他省庁のコメントをとりまとめてくれるかは未知数であった。ちなみに我々が特に重視していた省エネは電力省の担当であった。

 2008年1月に第1回準備会合を経産省内で行い、会合のアジェンダ、共同声明のスケルトンについて議論した。初回顔合わせであり、共同声明本体の議論に入っていないこともあって、会議自体は和気藹々と進んだ。舞台裏で苦労したのはIPEECについて米国の賛同を得ることだった。EU発のアイデアであるが故に、米国はこれが省エネ分野の京都議定書のようなものになることを懸念していたのであろう。まず先進国で歩調を合わせなければ中国、インドを取り込むことはできない。このため、準備会合の前日に、日、米、欧州委員会の三者で会合を持ち、IPEECは米国が嫌がるような拘束力のある枠組みではないこと、国際的な省エネ協力に途上国を巻き込む必要があり、そのためのツールとしてボトムアップのパートナーシップが有益であることを日欧双方から説明し、米国も検討してくれることになった。

 第1回会合を踏まえ、3つの閣僚会合の共同声明案を作成し、2月初めに各国に配布した。共同声明案は3月の第2回準備会合で議論され、種々のコメントはあったものの、大筋のラインはこれでよいという感じであった。IPEECに米国の支持が得られたことも成果であった。だが糠喜びはできない。気になるのは中国、インドの対応であったが、中国は北京からの出席がなく、現地大使館レベルの対応であった。インドは石油天然ガス省からの出席者がコメントしたが、驚くほど穏健なコメントだった。だが、これがインドの各省のコメントを代表するものかどうかは未知数だった。

 予想されたことではあるが、特に中国、インドとの関係で、計3回の準備会合で全てを決着することは難しいことが明らかだった。大臣会合直前の第3回準備会合で、ちゃぶ台をひっくり返すような議論が生じてはどうしようもない。最終準備会合までの間に中国、インドに乗り込んで直に話をしなければならないと決意した。

中国、インドとの直談判

 第2回準備会合を終え、第二次ドラフトを配布すると、各国もだんだん本気になってきて種々のコメントを出してきた。ある程度気心の知れたG8諸国、韓国からのコメントは、何らかの形で改訂ドラフトに反映可能であったが、中国からのコメントはIPEECやセクター別アプローチに関するパラグラフを前面削除せよというもので、往生した。削除理由が説明されていないため、どの部分が問題なのかもわからない。インドのコメントは比較的穏健なものであったが、相変わらず、インド政府エネルギー政策当局の総意なのか、石油天然ガス省のコメントなのかがわからなかった。このままの状態で大臣会合直前の第三回準備会合に臨むにはリスクが大きかった。

 このため、第三回準備会合の前に中国とインドに乗り込んで生の声を聞くこととした。中国では国家発展改革委員会の省エネ担当局長と、インドでは電力省の担当局長、エネルギー効率局の事務局長と意見交換を行った。彼らの意見を要約すれば、IPEECについては、それが自分たちにとってどの程度のメリットがあるものかわからない、セクター別アプローチについては、それがある種の拘束力を持ち、自分たちへの手かせ、足かせになるのではないかということである。これに対し、IPEECはボトムアップのパートナーシップであり、IPEECの下で行われる協力プログラムは各国の関心に応じて自由に参加すれば良いものであること、セクター別アプローチは、各国の実情に応じてセクター別の省エネ目標を設定し、省エネパフォーマンスの国際指標開発のためのデータ協力をしようというものであり、世界一律の基準を設定して各国を縛るような性格のものではない、と懸命に説明した。両者ともそれで納得してくれたわけではなかったが、少なくとも相手の肉声が聞けた意義は大きかった。彼らの懸念も念頭におきつつ、第三次ドラフトを作成し、各国に配布した。

 最後の調整局面は6月4-5日に東京で行う第三次準備会合である。一連の大臣会合は6月7-8日で、最早、後がない。この場で何としてでも事務方ドラフトをセットせねばならない。その中で特に気になったのがインドの出方であった。これまでインドは石油・天然ガス省のコンタクトポイントが準備会合に出席し、コメントをしてきたが、第三次会合には電力ガス省とエネルギー効率局が参加するという。省エネ担当の真打登場というわけだ。このため、今次会合に出席するアジェイ・マトウール・エネルギー効率局長を前日の晩、宿泊先のホテルに訪ね、ドラフト内容について2時間近く談じ込んだ。マトウール局長は世銀勤務経験もあり、ガチガチの職業交渉官ではない。その結果、第三次ドラフトのセクター別アプローチ、IPEEC関連のパラグラフを若干修正すれば、インドの了解が得られそうな感触を得た。翌日の会合に希望の光が見えてきたように思えた。

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