執筆者:有馬 純

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国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院 教授

  • 2014/04/08

    私的京都議定書始末記(その39)
    -高まる日本への圧力-

    英国、EUとの応酬、カナダ、ロシアとの連携

     11月30日には英国、EUと相次いでバイ会談を行った。ここでも京都第二約束期間がメインの話題になった。日本も彼らもコペンハーゲン合意をベースにカンクンで良い成果を得たいとの点については究極の目的は共有している。しかしそこに向けての戦略は異なる。彼らの議論は要約すれば「途上国をAWG-LCAで譲歩させるためには、AWG-KPで第二約束期間に色をつけてやらねばならない。妥協が必要だ」というものであった。 続きを読む

  • 2014/04/01

    私的京都議定書始末記(その38)
    -初日のステートメントとその波紋-

    初日のステートメント

     今、私の目の前にAWG-KP初日行ったステートメントの原稿がある。ここにその全文を掲載したい。

    Thank you, Mr.Chairman,

    We are tackling global warming issues. Global issues need global solution. We should recognize that we are not living in the year 1997. When the Kyoto Protocol was crafted in 1997, it was supposed to cover 56% of global CO2 emissions under obligation. 続きを読む

  • 2014/03/25

    私的京都議定書始末記(その37)
    -COP16初日-

    COP16初日

     29日のCOP16初日は、カルデロン大統領が出席する開会セレモニーで始まった。午前中は開会式とCOP、CMPのプレナリーが、午後にはAWG-LCAとAWG-KPのプレナリーが行われる。 続きを読む

  • 2014/03/17

    私的京都議定書始末記(その36)
    -天津、豪・NZ、ワシントンそしてカンクンへ-

    天津AWG

     2010年に4回開催されたAWGのうち、ボン以外で開催されたのが10月の天津である。カンクンのCOP16に向けた最後のAWGであり、中国の主催という点でも色々な意味で注目を集めたAWGであった。
     
     北京には何度も出張で行った事があるが、天津は初めてである。天津はエコタウンにされており、環境汚染が深刻化している中国のモデル都市とされていた。 続きを読む

  • 2014/03/05

    私的京都議定書始末記(その35)
    -混迷する交渉とEUの変節-

    混迷するAWG-LCA交渉

     2010年を通じ、メキシコ主催非公式会合やMEF等の少人数会合では雰囲気が和らいできたものの、AWGにおける交渉自体は相変わらずであった。先進国は「コペンハーゲン合意の中身を実施可能なものにし(operationalize という表現がよく使われた)、カンクンでCOP決定として正式採択すべき」と主張した。 続きを読む

  • 2014/02/21

    私的京都議定書始末記(その34)
    -カンクンへの道のり-

    Meeting after Meeting

     1-2月の主要国歴訪を終え、3月から交渉が本格化してきた。例年のように3月初めには日本とブラジルの共同議長による日伯対話が皮切りとなり、3月末にはメキシコ主催非公式会合が、4月初めにはコペンハーゲン後、最初の特別作業部会(AWG)が、4月下旬には米国主催の主要経済国会合(MEF)が、5月初にはドイツ・南ア主催のペータースブルク閣僚会合がそれこそ矢継ぎ早に開催された。 続きを読む

  • 2014/02/14

    私的京都議定書始末記(その33)
    -メキシコ登場-

    コペンハーゲン後の各国行脚

     2010年の年が明けた。前年に引き続き、靖国神社に参拝しながら、2010年に待ち受ける国際交渉に向けて思いをめぐらせていた。

     コペンハーゲン合意の採択失敗により、国連プロセスに対する信認は地に堕ちていた。その中で2010年の交渉がどのような経過をたどるのか?2000年末のCOP6で合意に失敗し、2001年6月のCOP6再開会合で合意が得られたという故事に倣い、一時、「2010年半ばにCOP15再開会合?」という噂も流れた。 続きを読む

  • 2014/02/06

    私的京都議定書始末記(その32)
    -COP15が残したもの-

     COP15が終わって日本に戻ると、各方面に対してその結果を説明する業務に追われた。鳩山首相を含む100数十カ国の首脳が参加する大会議であっただけに、会議中も連日ニュースで報道され、日本国内における関心も非常に高いものがあった。欧米のメディアはCOP15は大失敗だったという報道が躍っていた。 続きを読む

  • 2014/01/28

    私的京都議定書始末記(その31)
    -コペンハーゲン(3)-

    コペンハーゲン合意

     首脳自身がドラフティングに関与するという異例のプロセスで合意されたコペンハーゲン合意はこれまでの国連交渉や主要経済国フォーラム(MEF)での議論の主要論点を含める形で主に米、英が中心になって原案を作成したといわれる。主な項目は以下のとおりである。 続きを読む

  • 2014/01/17

    私的京都議定書始末記(その30)
    -コペンハーゲン(2)-

    首脳プロセス

     12月16日の水曜日から110カ国を超える各国首脳が続々とコペンハーゲン入りし始め、会場の警備も急にものものしくなった。16日にはハイレベルセグメントが始まり、デンマークのラスムセン首相がCOP議長を引き継ぎ、COP15が首脳レベル会合に格上げされた。 続きを読む

  • 2014/01/08

    私的京都議定書始末記(その29)
    -コペンハーゲン(1)-

    デジャヴ

     今(2013年11月18日)、ワルシャワで開催中のCOP19でCOP17(ダーバン)で設置が決まったADP(Ad Hoc Working Group on the Durban Platform for Enhanced Action)の議論を聞きながら、この原稿を書いている。ADPは「2015年までに全ての締約国に適用される議定書、その他の法的文書あるいは法的効力を有する合意された成果を作るために」設置されたものであり、今度こそ、先進国、途上国の二分法を克服した枠組みができるものと期待されていた。 続きを読む

  • 2013/12/26

    私的京都議定書始末記(その28)
    -コペンハーゲン前夜-

    AWG-LCAをめぐる状況

     私はAWG-KPの首席交渉官であったため、どうしてもAWG-KPに関する記述が多くなってしまったが、国連気候変動交渉における日本の主たる関心事はAWG-LCAにあった。バリのCOP13で設立が決まったAWG-LCAは全ての主要排出国が参加する公平で実効ある枠組みを交渉する場として大きな期待を集めていた。そして2009年12月にコペンハーゲンで開催されるCOP15ではAWG-LCAの作業が終了し、2013年以降の新たな枠組みが出来上がるはずであった。 続きを読む

  • 2013/12/18

    私的京都議定書始末記(その27)
    -25%目標の表明-

    25%目標の衝撃

     2009年9月7日、私は朝日地球環境フォーラムに出席していた。その2週間前の総選挙で政権交代が決まっており、その日、次期首相になる鳩山民主党代表が温暖化対策についてスピーチをすることになっていたからである。民主党はマニフェストの中で温室効果ガス削減目標を2020年までに90年比25%減とするとの方針を明らかにしていた。 続きを読む

  • 2013/12/11

    私的京都議定書始末記(その26)
    -中期目標をボンで発表-

    AWG-KPとAWG-LCAで発表

     2009年6月10日、ボンで日本代表団の雰囲気は慌しかった。この日、半年以上に及ぶ中期木曜検討会の議論を踏まえ、麻生総理がついに中期目標を発表したのだ。発表された中期目標はオプション3(2005年14%減)に太陽光発電等の大胆な導入等により削減幅を更に1%上乗せしたものであった。日本政府代表団としては、これを交渉の場で発表せねばならない。 続きを読む

  • 2013/12/04

    私的京都議定書始末記(その25)
    -中期目標の策定-

    中期目標検討委員会

     2009年前半の国内における温暖化議論の中心は中期目標の策定であった。COP14(ポズナン)のAWG/KP結論文書の中で、「2009年のCOP15(京都議定書締約国会合としてはCMP5)において作業を終了すべく、未だ中期目標を提示していない附属書Ⅰ国に対して2009年3-4月に開催予定の第7回会合までに目標提出を慫慂する」との文章が盛り込まれたことは前に記した通りである。 続きを読む

  • 2013/11/28

    私的京都議定書始末記(その24)
    -交渉官の1日-

     閑話休題。今回は私の経験を元に、交渉官の1日を綴ってみたい。舞台は最も多くの交渉が行われたボンのマリティムホテルである。

     朝6時に起床。霞ヶ関では自宅からオフィスまで片道1時間20分を歩いているが、ボンでは会議会場と宿泊場所が同じであるため、どうしても運動不足になる。そこで6時半頃ホテルを出て30-40分ジョギングをすることを日課としていた。 続きを読む

  • 2013/11/22

    私的京都議定書始末記(その23)
    -AWG-KPとはどんな場か(3)-

     AWG-KPでは同じような議論が延々と繰り返されており、私が参加した12回の交渉をそれぞれ紹介してほとんど意味がない。そこで今回はAWG-KPにおける典型的な議論のいくつかを紹介することとしたい。

    AWG-KPにおいて先進国全体の削減幅を先決することの是非 続きを読む

  • 2013/11/13

    私的京都議定書始末記(その22)
    -AWG-KPとはどんな場か(2)-

     160ヶ国近くが参加する国連温暖化交渉であるが、キープレーヤーはおのずと限られてくる。12回にわたって参加したAWG-KPにおいても、毎回必ず発言する「会議の顔」のような人々がいる。今回はAWG-KPの主要な登場人物の何人かを紹介しよう。

    途上国の交渉官達 続きを読む

  • 2013/10/31

    私的京都議定書始末記(その21)
    -AWG-KPとはどんな場か(1)-

     これから数回にわたって私が首席交渉官を務めたAWG-KPについて書いてみたい。2008年12月のCOP14から2011年4月まで、12回の会合に出席し、私の在任期間中のほぼ全期間はAWG-KPとの格闘に費やされたからである。 続きを読む

  • 2013/10/22

    私的京都議定書始末記(その20)
    -本格交渉開始の前哨戦-

    米国新政権へのアプローチ

     2009年の年が明けた。その年から、新年には靖国神社にお参りに行くようになった。国際交渉は「武器を使わない戦争」のようなものであり、国のために戦うという点では、戦場にあるか否かを問わないと思っていたからである。2009年に交渉を妥結するというのがバリ行動計画で与えられたミッションであり、2009年を通して熾烈な外交戦が予想された。 続きを読む