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日本の原子力に未来はあるか?


国際環境経済研究所理事・主席研究員


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(「環境管理」からの転載:2018年1月号)

 わが国が原子力基本法を制定し、原子力技術の利用を正式に決定したのは1955年。わずか終戦から10年後のことであった。その時の判断が、メリットとデメリットを比較衡量する国民的議論に基づくものであったのか否かは、筆者には語り得ない注1)
 しかし東京電力福島原子力発電所事故を経験し原子力政策が見直されている今、将来に向けては我々国民が判断する権利があり、また義務があるといえるだろう。もちろん、世論に判断を丸投げすることは、政治あるいは関係者の責任放棄でしかない。原子力発電を利用することによるメリットとデメリット、青森県との関係や日米原子力協定などこれまでの歴史的経緯による制約条件等を踏まえる必要があり、十分な情報提供がなされることが前提だ。政府は2030年の電源構成において、22~20%を原子力で賄うとするが、2030年時点でそれだけの原子力発電所を維持できるのか、維持できなかった場合温暖化の国際目標の達成など長期エネルギー需給見通しの前提をどうするのか、さらにその先に向けてはどうするのかについて、具体的な方針は示されていない。原子力技術の維持や人材育成の観点から考えれば早急に方向性を示すことが求められる。日本のエネルギー政策を考える上では、原子力事業をどうするかで取り得る選択肢が全く異なってくるのであり、議論されるべき論点について整理したいと思う。

原子力発電のメリットについて

 震災前原子力は、エネルギー政策の3Eすべての点において強みを持つとされた。具体的に挙げれば下記の通りである。

少量の燃料で大きなエネルギーが取り出せるため、安定して大量の電力を供給できる。
燃料資源(ウラン燃料)が地域的に偏在していない(調達の安定性)。
燃料の備蓄性が高く、準国産エネルギーとして国のエネルギー自給率向上に寄与する。
発電時に地球温暖化の原因となる温室効果ガスを排出しない。

 原子力発電のエネルギー安定供給・安全保障上、および地球温暖化対策としての意義は今も変わるものではないが、同様の意義を持つ再生可能エネルギーのコスト低下という変化を踏まえる必要があることは付言しておきたい。そして再生可能エネルギーとの違いとしてこれまで国民に最も強く喧伝されてきた経済性は、事故リスクの顕在化、安全対策コストの増大等により大きく変化したのであり、改めて検証が求められる(再生可能エネルギーについても、大量導入の段階になれば系統安定性の確保などのコストが大きくかかってくることには留意が必要)。
 これまでの連載で述べてきた通り、減価償却が終わったような原子力発電所の再稼働は圧倒的な競争力を持つ。しかし今後を考えるにあたっては、モデルプラント方式による発電コスト比較によるのが妥当である。コスト等検証委員会や発電コスト検証ワーキングによる試算では、やはり原子力発電のコストが最も安価という結論になったが、それは前提とした割引率や稼働率次第である。前提条件次第であることは、もちろん他の電源も同様だが、原子力は資本費の比率が大きい分、割引率や稼働率の変動による影響が大きい。電力自由化をすれば、発電事業者は比較的短期の利潤を追求することとなるため、原子力という長期の投資回収を必要とする技術を維持し、かつそれによる安価な電気を手にしようと思えば、英国がFIT-CfDを導入したように、卸電力市場価格の短期のボラティリティに左右されない投資回収を可能にする制度が必要だ。
 しかしそうした制度的手当てに対して国民の理解を得るのは非常に難しいだろう。これまで「原発の電気は安い」としか説明されてこなかった国民にとっては、安い電源であるならば自由化による価格競争の導入によってますます有利になるはず、特別扱いをする必要があるのは結局原発の電気が高いことを言い繕っているだけと感じている方も多いからだ。本誌の連載で原子力事業のコスト構造について採り上げようと思ったきっかけは、その構造があまりに理解されていないと感じたことにあるが、福島原子力事故で決定的になった原子力行政への不信と相まって、「原発の安全神話」のみならず「原発の経済性神話」も崩壊している。
 さらにいえば、原子力事業の経済性以外のメリットは実感をもって理解することは難しい。今後の我が国のエネルギー政策にとって大きな意味を持つのは、化石燃料購入時の交渉力や燃料価格のボラティリティ対策としての原子力の価値、低炭素電源であることの価値などであろうが、それらの価値は可視化しづらいからだ。環境性については他の技術によるCO2削減コストとの比較などは可能であろう。しかし、エネルギー安全保障・安定供給の経済価値は評価しづらい。少し古い研究だが、2004年にRICE UNIVERSITYの出したわが国の原子力発電の価値に関する報告書注2)では、「原油価格の急騰をもたらすような事態が生じた場合、原子力発電所の価値はMWあたり1.54億円程度(日本の原子力発電所の建設コストの57.8%に相当)にまで上昇」との試算もある。社会情勢の変化や技術進展も踏まえて、いまわが国が原子力発電を利用する意義を問い直し、その価値を可視化するなどの工夫を講じた上で国民に対して説明を尽くす必要があるだろう。

原子力発電のデメリットについて

 原子力発電のデメリットとは何か。第一には事故のリスク。原子力発電所では多種多層の安全対策が実施されているが、リスクは「ゼロ」にはなり得ない。
 第二に高レベル放射性廃棄物の課題がある。技術的には地層処分(「物質を閉じ込める力」を持っている地下深部の地層に埋設すること)が国際的に妥当とされているが、処分場所は決まっていない。
 第三に、潜在的リスクとして核物質の兵器転用や、テロに悪用される可能性を指摘しておく必要がある。これを防ぐために「核拡散防止条約」や「核物質防護条約」等の国際的な枠組みがあり、国内的には「原子炉等規制法(炉規制法)」による管理・規制が行われている。
 こうしたリスクは原子力技術の利用を継続する限りゼロにはできない。そのため、原子力発電所のリスクがどの程度であれば社会的に受け入れられるのかという「安全目標」を社会で共有することが必要となる。まず関係者間で安全目標の共有に向けた議論を行い、それをわかりやすく国民に提供することが必要だろう。そのうえで、原子力技術に関するリスクを低減するためにさらに求められることを下記に整理したい。

(1)事業者の自主的安全性向上の仕組み
 今後日本が原子力発電の利用を継続するとしても、二度とあのような原子力災害を起こすことは許されない。事業者に求められるのは、一にも二にも、原子炉を安定的に安全に運営する能力である。
 この能力の有無は一義的には新規制基準の適合審査によって担保される。東電福島事故を経て、規制組織は抜本的に見直され、新たに策定された新規制基準は「世界で最も厳しい基準」と謳うたわれている。確かに各発電所のリスク評価を見れば、安全性が高まったことは確かであるし、規制機関および事業者が東電福島事故に何を学び、どう改善したのか、しようとしているのか、国民にもぜひ関心を持っていただければと思う。
 しかしそれで十分なのであろうか。規制基準をクリアすることは、安全対策のゴールではない。東電福島事故においていまだ規制基準違反があった事実などは確認されていない。それでも事故を防げなかったことを考えれば、規制基準をクリアすることを「最低限度」と捉え、発電所の安全に一義的な責任を負う事業者が安全性向上に向けて不断の努力を講じること、それが事業者の「努力」に委ねられるのではなく制度的に担保されていることが必要だ。事業者の自主的な安全対策や防災対応について格付けするような制度の導入や、その評価結果が原子力損害賠償責任保険の料率や定期検査による停止日数の軽減・オンライン検査の活用などに反映され稼働率にも影響するような仕組みも一案であろう。

(2)安全規制の合理化・実効化
 東電福島事故により、原子力の安全規制はその組織体制から見直された。あの混乱の中で、新たな規制基準を構築し、審査活動を進めていることには大きな敬意を表したい。その上で今後に向けてより合理的・実効的な規制の在り方を模索すべきであることを指摘したい。
 米国の原子力規制に倣ならい、わが国でも「原子炉監視プロセス(Reactor Oversight Process: ROP)」の検討が進められている。これは、成績の良い発電所に対しては自主性を尊重し、悪い発電所に対しては規制の関与を強化することで、事業者にインセンティブを付与するものだ。安定的かつ安全に炉を運転する能力の有無で事業者が篩ふるいにかけられることとなる。
 適切な篩にするためには、事業者と規制者が安全性向上に向けて実効的なコミュニケーションをとっていくことが必要不可欠である。米国の原子力発電会社、設計やエンジニアリング会社、燃料供給会社などから組織されたNuclear Energy Institute(NEI、原子力エネルギー協会注3))を参考に、原子力の安全性向上という共通の目的を有する関係者の連携の場を確保することも必要となるだろう。こうした能力を向上させていく仕組みと評価、国内外の事業者によるアライアンスなどを含めて手を尽くすことが求められる。

(3)オフサイトを含めた深層防護の構築、原子力損害賠償制度の再検討
 オンサイトにおける安全性向上の努力が継続的に行われることは大前提だが、繰り返しになるがリスクはゼロにはできない。「それでも事故が起きた場合」に備えることが必要だ。被害を最小化するための避難計画等が継続的に充実される仕組み、もし損害を発生させた場合に事業者が損害賠償を迅速かつ責任をもって遂行するための枠組みも整理しておく必要がある。
 前者については、科学的なエビデンスに基づく避難や除染の基準を事前に確定しておくべきこと、風評被害の低減に向けた放射線教育など社会全体としての取り組みが求められる一方で、立地地域・周辺地域における避難計画が常にブラッシュアップされるよう政府および規制庁の積極的な関与や事業者と地域との連携も求められるだろう。これまで規制機関と立地地域とのコミュニケーションが十分であったとは言い難く、その改善は喫緊の課題であろう。また、どう評価するかの課題はあるが、地域と良好なコミュニケーションを維持できていることを事業者適格の要件の一つとすることも一案であろう。
 後者については、原子力損害賠償法および原子力損害賠償・廃炉等支援機構法(以下、機構法)が整備されてはいるが、多くの課題があり、その改正が議論されている。東電福島事故で明らかになった原子力損害賠償制度の課題は数多くあるが、発災直後に生じる課題として、原子力災害により生活の基盤を失った被害者に対して、直後に一定程度の資金を提供すること(仮払い)が求められる。事業者の責任の有無などは後日司法の判断を仰ぐこと等もあり得るだろうが、社会不安を払しょくするためにも迅速な被害者救済が急がれること、原子力災害の発災当日から数万人規模の避難が生じる可能性があることは東電福島事故の経験をみても明らかだ。事故収束を的確に進める一方で、被災者の生活の混乱を最小限に抑えるために、財務体力や支払い手続きに人員を確保しておくことも事業者には求められる。もちろんこの点にも複数の事業者が連携やアライアンスを組んで対策を講じることも認められるべきことは付言しておきたい。
 現在、原子力規制庁が事業者の経理的基礎を審査することにはなっているが、どのような基準で評価しているかは明らかではない。発災直後の混乱を最小限にしうるよう、迅速な対応を可能とするには、どのような枠組みを事前に構築しておく必要があるのか、改めて東電福島事故に学ぶ必要がある。
 こうした事故リスクの低減、事故が起きた場合に被害を最小限に抑える取り組みに加えて、国民に情報提供されるべきなのは、「原子力発電事業のアキレス腱」といわれるバックエンド事業についてであろう。
 これまでわが国では、規制の下で投資回収が確保されることを前提として「半官半民」といわれる電力会社がそのリスクを抱えてきた。しかし、そもそも民間事業者には過大なリスクであり、自由化によりそのことが顕在化した。2016年5月に公布された再処理等拠出金法により、国が再処理事業のハンドルを握ることができるようになったことは大きな進歩ではあるが、改めて政府が担うべきリスクと、事業者が負うべき負担について根本的な議論が求められるだろう。核燃料サイクル政策のあり方によって、原発の経済性も大きな影響を受ける。廃棄物処分に関する基準の明確化がなければ、真の「原子力のコスト」も明らかにならない。いつまでたっても原子力発電のコストの上振れ要因が残ることを避けるためにも、科学的議論に基づき基準策定を急ぐべきだ。その上で、バックエンドも含め負うべき負担を負える事業者のみが原子力事業の担い手として認められる。
 放射性廃棄物の処分場所が決まっていない状況において、メリットとデメリットの比較衡量といった議論すらすべきではないという声も多い。高レベル廃棄物の最終処分地については、科学的特性マップが公表されたばかりで議論はこれからであるし、核燃料サイクル政策決定当初と現在では様々な状況・条件が大きく異なってしまっており、これを堅持する理由が国民には理解しづらい。これまでの政策方針の積み上げや歴史的背景、外交・安全保障関連の制約、政策転換に伴う政治的・経済的コスト等が複雑に絡み合い、採れる選択肢が相当に制限されていることは確かであるが、そうした状況を詳らかにし、今後とり得るオプションをできうる限り提示した上で、国民的な議論を喚起する必要があるだろう。

我が国の原子力に未来はあるか

 福島復興の加速や福島第一原子力発電所の廃炉の着実な進展は大前提であるし、人材育成や技術の維持も大きな課題である。わが国の「原子力に未来はあるか」という問いに答えることは容易ではない。
 そもそも、脱炭素化に向けた政策的措置と低コスト化によって、再生可能エネルギーに投資が集まり、自由化市場に置かれる従来型電源はその維持が難しくなる。蓄電技術が相当な進歩をするまでは再生可能エネルギーの調整役を果たす電源が必要であり、従来型電源が淘汰されるに任せておくわけにはいかないのではあるが、従来型電源の中でも原子力は柔軟性の価値に乏しい。電化の進展により電力需要がどこまで増えるか、再生可能エネルギーがどこまで拡大するか、そして従来型電源の中で火力発電と原子力発電のどちらがどれほど社会に必要とされるかで原子力の未来は変わってくる。
 原子力発電を利用しないことによるリスクと勘案して、当面は利用するということであれば、徹底してそのメリットを最大化し、リスクを最小化すべきであるし、その上で、依存度の低減という「撤退戦」をどう進めるかを考えなければならない。「無くなれ」といえば無くなるわけではないので、役割を終えた原子炉については安全にかつできるだけ国民負担をかけずに寿命を終えさせることを考えねばならない。
 また、当面わが国が原子力発電を利用するのであれば、その担い手に「原子力事業を担う資格」を厳しく問わねばならない。資格を問うということは、現状のように過大な事業リスクを事業者に負わせることではない。安全対策がどこまで求められるかの予見可能性に乏しい規制活動、選挙のたびに脱原発を争点に掲げ政争の具にされる不安定性、訴訟による稼働停止リスクを事業者に負わせている現状は、社会がその技術を利用する上で健全な状況とはいえない。むしろ担い手については適切な篩にかける、あるいは体制を再構築した上で、事業環境を整備し、事業者が原子力発電所の安全性向上に専心できるようにすべきではないか。
 わが国の原子力に未来はあるか、という問いは、我々社会の覚悟を問う問いでもある。

注1)
当時の政治的議論を紹介したものとして、「憂国の原子力誕生秘話」(後藤茂 エネルギーフォーラム新書)などがある。
注2)
THE JAMES A. BAKER III INSTITUTE FOR PUBLIC POLICY OF RICE UNIVERSITY
DR. KENNETH B. MEDLOCK III , DR. PETER HARTLEY
“THE ROLE OF NUCLEAR POWER IN ENHANCING JAPAN ’SENERGY SECURITY”
https://sites.hks.harvard.edu/hepg/Papers/Medlock.nuc.power.Japan.security.0304.pdf
注3)
http://enercon.jp/wp/wp-content/uploads/2014/02/bd21d35a42fd5a8c716bbc8cdd5d6928.pdf


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