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カーボンプライシングの理論と実際

現在の日本において導入は必要か?


キヤノングローバル戦略研究所/IPCC第6次評価報告統括代表執筆者(イノベーションとテクノロジー)


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5.マクロ経済が悪化すると温暖化対策技術のイノベーションは阻害される

 カーボンプライシングは、もしもマクロ経済を悪化させるならば、それはむしろ温暖化対策技術のイノベーションを阻害する。以下に論じる注13)
 経産省の新産業構造ビジョンにあるように、これからのイノベーションとして期待されているのは、AI・IOT・ロボットなどの共通基盤技術が、医療・金融・製造業・エネルギーなどの個別分野の技術と掛け合わせられて革新的な財・サービスを生み出すことである。
 カーボンプライシングは、そのようなイノベーションがエネルギー分野において起きるとき、その最後の一押しの役割を果たす可能性がある。たとえば、IOTやロボットが家庭やオフィスに入り込み、またAIが発達すれば、それらを活用したエネルギーマネジメントシステムにより省エネをする際に、カーボンプライシングが後押しを出来るかもしれない。
 しかし、もしもカーボンプライシングが経済活動を停滞させるならば、かえってそのような革新的な省エネの芽を摘むことになるだろう。なぜならば、カーボンプライシングでイノベーションが進むという考え方は、カーボンプライシングに対応した低炭素技術の開発が進むことに期待するものであるが、どんなにカーボンプライスが高いからといっても、それによって、AI、IOT、ロボット等の共通基盤技術にまで「カーボンプライシングの影響が遡及して」イノベーションをもたらすとは到底考えられないからである。
 翻って、もしもカーボンプライシングが、経済全般の活動を低下させるならば、医療・金融・製造業等の諸分野における経済活動も低下させ、ひいてはこれら諸分野におけるイノベーションを阻害する。他方で共通基盤技術にとっては、これらの諸現場におけるビッグ・データの蓄積や、実装を通じたフィードバックを得ることがその技術進歩にとって不可欠であるので、この点においても、マクロ経済の悪化は共通基盤技術の進歩を遅らせることになり、ひいては、エネルギー・温暖化分野における革新的な低炭素技術の開発をも遅らせることになる。

6.経済全体を対象とする税制中立の環境税

 話題を環境税に転じる。
 環境経済学の教科書や数値モデル計算では、よく経済全体を対象とした環境税が論じられる。だが実際には、どの国も、国際競争等に配慮して、エネルギー多消費産業については減免する等、部門別に税率は差異化されてきた。従って「環境税によって、経済全体として最も費用効率的な形でCO2削減ができる」という考え方は、現実には当てはまらなかった。更には、既存のエネルギー諸税や規制があるために、仮に均一の税率が全部門に適用されるとしても、それを以て効率が最大になるとも言えない注14)
 それでもなお、経済活動全般に渡って排出削減への動機付けを行うことができるという点においては、環境税による価格シグナルのほうが、規制や補助金等の部門別の政策に比べて、優れた面がある。更に、経済全体を対象とする大型の環境税を導入し、その代わりに、法人税や消費税を減税するなどの形で「税制中立」とすれば、経済への悪影響も少なくて済むという意見がある。以下、かかる制度について検討する。

6.1 エネルギー集約産業の海外移転
 かかる環境税の最大の問題点は、鉄鋼、化学、セメント等のエネルギー多消費産業は採算が悪くなり、日本での操業を止めていくと予想されることである。
 この場合、日本は海外から材料・部品の輸入をすることになるが、これでは地球規模でのCO2の削減にならない。過去、イギリスやスウェーデンでは、CO2が削減されたとされているが、これは生産量ベースの話であって、消費量ベースではCO2は減ってこなかった注15)。中国等から輸入した製品の生産時に発生したCO2排出量が増えたためである。日本でもこれと同じことが起きることになる。

6.2 イノベーションへの悪影響
 エネルギー多消費産業が日本から退出していくことは、他の製造業にも影響する。日本の自動車産業は、鉄鋼産業と密接に連携して、ハイテン鋼などの技術開発・品質改善を行ってきた。もしも鉄鋼産業が退出すると、自動車産業、関連する部品産業、車載部品を提供するエレクトロニクス産業など、あらゆる製造業が日本から退出していくだろう。
 生産現場が近く、関連産業が集積していることは、イノベーションを起こすことに寄与する。その要の位置にある鉄鋼産業や自動車産業が失われると、多くの関連産業とともに、日本のイノベーションを起こす能力も失われることが危惧される。
 のみならず、エネルギー多消費産業が海外に出てしまうと、これらエネルギー多消費産業における革新的な温暖化対策について、日本のイノベーションエコシステムが活用できなくなってしまうという問題も生じる。これは世界にとっても重大な損失となる。
 環境税導入を相殺するように法人税や消費税等を減税することで、エネルギー多消費産業以外の産業が発達するので、経済は良くなるという意見もあろう。だが、これには2つの問題がある。
 第1に、すでに述べたように、エネルギー多消費産業の海外移転は、地球規模でのCO2削減にはならない。第2に、日本の製造業中心のイノベーションエコシステムはすでに構築されており、これを破壊して、別のイノベーションエコシステムが形成されることに期待をするにしても、これが成功する保障はない。もし成功するとしても、かなりの時間がかかるだろう。その間、経済は停滞し、日本のイノベーション能力は失われることになる。一国の経済を賭した冒険をするべきではなかろう。

7.エネルギー多消費産業等を免税にした税制中立の環境税

 現実には、経済全体を対象とした環境税を構想するといっても、エネルギー多消費産業のみならず、多くの部門で減免措置が実施されるだろう。いかなる減免が為され、どのような帰結になるのか。

7.1 減免措置は不可避になる
 家庭部門ではエネルギー消費の大半は電気とガスであって、石油は減少傾向にある。現在、電気とガスはサービス当たりのCO2排出量ではしのぎを削っているので、電気とガスの間では、仮に代替が起きるとしても、CO2削減は量としてはあまり期待できない。
 石油については、高い税率を課するならば、もちろん価格効果も代替効果も発生し消費量が減少し、CO2も削減されるであろう。だがこれは政治的には難しそうだ。
 石油は、まだ暖房用途に多くが使われている。特にこれは北海道等の寒冷地で家計に影響する。これを価格効果で減らせるだろうか。価格効果というと、無色透明な感じがするが、実際には「貧乏人は使うな」というに等しい残酷なものになる。現実には、暖房用の石油は減免税にせざるを得ないだろう。
 産業部門と業務部門はどうか。石炭の殆どは製鉄・セメント業といったエネルギー多消費産業で用いられている。他燃料での代替は大幅なコスト増になるので、やはり減免税が必要になるだろう。
 エネルギー多消費産業以外の産業部門では、石油と電気が概ね半々であり、ガスは比較的少ない。業務部門では、エネルギー消費の4分の3は電気とガスであり、残りは石油で減少傾向にある。産業部門と業務部門の石油については、それをガスで代替していくことで、CO2削減ができるだろうか。
 これは技術的には可能である。実際に、米国や欧州では産業部門においても石油はあまり使われておらず、ガスが多く使われてきた。だがこれは、石油よりもガスがかなり安かったという事情による。日本ではガス価格は石油価格と比べてそれほど安く無いので、ガスを使う動機は欧米ほどは強くない注16)。またパイプラインが敷設されていない地域も多くあって、そこではもちろん都市ガスは使えない。さらに石油からガスに転換するとなると設備更新が必要になるので費用がかさむ。このように、石油をガスで代替することは容易ではない。
 環境税の価格効果で石油の使用を削減しようとすると、家庭部門の暖房同様に、政治的調整が多く必要になる。中小企業や地方企業では石油ボイラを多用している。また、農業、漁業は隠れたエネルギー多消費産業であり、これも石油に依存している。他にも、病院はどうか、学校はどうか、など、調整が多く必要になる。

7.2 エネルギー需要の電化を阻む虞がある
 このようにして見ると、大型環境税は、政治的配慮の帰結として、エネルギー多消費産業の石炭、中小企業・地方企業の石油、家庭用石油、農・漁業用石油等、多くの部門や燃料について減免されることになりそうだ。
 その一方で電気には高い環境税が課されるとなればどうなるか。石油等の化石燃料の直接燃焼から電気へのシフトを阻むことになる。温暖化対策の長期戦略としては、大規模な排出削減を目指すこととなっており、最終的には電気へのシフトが望ましいことには、2.5節で述べたように、立場を超えて広く見解の一致がある。だが、電気へのシフトを阻むのではまるで逆効果になる。
 以上をより一般的な言い方でまとめると以下のようになる。現実には政治的調整として減免は避けて通れないため、結果としての環境税はCO2排出量に比例しなくなり、効果が乏しくなる可能性がある。また環境税は、通常は、当該時点のCO2原単位しか反映しないので、温暖化対策の長期戦略との不整合が起きうる。

7.3 CO2削減というよりは税収目的となる
 今度は、環境税によるCO2削減量及び税収の規模について、電力・ガス価格を倍増するような大型の環境税を想定して概算しよう。
 エネルギー多消費産業等を免税として、日本のCO2排出量の2分の1を対象とした環境税を考える。価格弾性値を0.1程度と措くと、エネルギー価格の100%上昇に対してCO2削減率は10%になる、すると日本全体のCO2排出量は5%削減されることになる。他方で税収は、エネルギー価格を軒並み倍増するとなると、エネルギー多消費産業等を除外するとしても、20兆円規模となる。
 こうしてみると、CO2削減量が少ない割に、税収が巨額になることが目につく。従って、かかる環境税は、CO2削減目的だけで正当化することは難しい。ではこれは、税収目的であれば正当化できるのだろうか。

7.4 「隠れたエネルギー多消費産業」における国際競争上の懸念
 日本でエネルギー多消費産業というと、製鉄、セメント、石油化学、製紙業等となっていて、エレクトロニクス産業は入っていない。だが例えば台湾ではTSMC等のエレクトロニクス産業はエネルギー多消費産業に分類されている。
 今後の経済成長の中核と目されるICT関連産業でも、実は電力消費量は大きい。先進諸国でのICT関連の電力消費は、全電力消費の約1割に達していると見られている注17)。3Dプリンタもレーザー加工・空調等、電力を多く消費する。大型計算機もデータセンターも電力多消費である。フィンテック等に活用される重要技術であるブロックチェーンにおいては、暗号情報処理を行うマイニングという工程があるが、これは電力多消費であって、日本では電力価格が高く採算が合わないという。今、マイニングの大半は中国で実施されており、これには電力価格が安いことが大きな理由であるという注18)。このように、エネルギー多消費の業態や工程は時代によって変わるものであり、それがイノベーションの中核的な担い手になることもある。
 どのように注意深く減免税を調整したとしても、やはり多くのエネルギー多消費の業態や工程にとっては、環境税が国際競争上の負担となりうる。このため、前章でエネルギー多消費産業について考察したのと同様に、生産の海外移転、経済成長の阻害、イノベーションの停滞といった弊害が起きることが懸念される。

7.5 ガラパゴス化の危険
 更に別の懸念もある。既に日本のエネルギー価格は国際的に見て高い水準にあるが、これに高い環境税を課すると、世界、特に新興国との価格差は更に開く。この結果、日本は海外と異なるエネルギー設備・機器を使うことになるだろう。先進的な省エネルギー機器が導入され、普及するといえば聞こえはよい。だが、日本の製造業が特殊な国内市場を対象にしてガラパゴス化し、世界市場を失う危険もある。過去に、トップランナー規制やエコポイント制度のもとで省エネに邁進した日本の家電メーカーであるが、世界市場では韓国・中国勢に負けてしまった。この轍を踏む危惧がある。

7.6 本章のまとめ
 減免税を伴う形で税制中立の環境税を導入することは、一定の省エネを促しうるが、どのように注意深く実施しても、エネルギー多消費な業態・工程の海外への移転も促してしまう。これは地球規模では無意味であるのみならず、日本の製造業エコシステムを弱体化させるものであり、国民経済にとっても、イノベーション─これには温暖化対策イノベーションも内包される─にとっても望ましくないであろう。
 更に現実には、暖房用の石油のボイラ燃焼等については、政治的配慮によって、減免税が実施されると予想される。その一方で、環境税によって電力価格が高くなると、化石燃料の直接燃焼から電気へのシフトが遅れることになる。すると、大幅な排出削減という、地球温暖化対策における長期的な戦略に照らして、環境税は逆効果となる。

8.カーボンプライシング導入の条件

 エネルギー価格が低すぎれば、省エネの動機は生まれない。もしもエネルギー価格が低く、エネルギー効率も低い国であれば、カーボンプライシングによって、全体のエネルギー価格水準を引き上げることは適切な政策となる。ただしこれは現在の日本には当て嵌まらない。
 「カーボンプライシングによって、経済とエネルギー安全保障に大きな悪影響を与えることなく排出削減が進む」ための条件は、「①元々のエネルギー価格水準が国際的に見て低いこと、に加えて、②低コストかつエネルギー安全保障を損なわない排出削減手段が存在する」ことである。 
 カーボンプライシングを全否定するのは明らかな誤りである。日本も、将来においては、カーボンプライシングが機能しうるような状況はありうるかもしれない。例えば、現在よりも電力のCO2原単位が大幅に下がるとすれば、国民経済に大きな負担を掛けることのないよう注意しつつ、電気によって化石燃料の直接燃焼を代替していくために、環境税が機能しうるかもしれない。ただし、このためには、今後実施される電気の低炭素化が、電力価格の高騰を招かないよう、注意深く実施されていることが前提条件となる。例えば再エネ推進が性急に過ぎた結果として電力価格が高騰してしまうと、電化を進めようとして環境税を導入しても、効果は相殺されてしまい(制度間の負の相互作用)、電化は進まない。
 国によっては、現在においてもカーボンプライシングの導入が適切な場合もある。また将来においては、日本においてもカーボンプライシング導入の条件が満たされる可能性はある。だが現在の日本においては、排出量取引制度、環境税の何れも、その導入は適切ではない。

注13)
科学技術全般の進歩が革新的な温暖化対策技術をもたらすために必要なことについて、更に詳しくは,杉山大志(2017)「イノベーションによる温暖化問題解決のあり方は:イノベーションシステム論から複雑系理論へ」キヤノングローバル戦略研究所ワーキング・ペーパー(17-001J)
http://www.canon-igs.org/workingpapers/170524_sugiyama.pdf
を参照されたい。
注14)
前掲注5)(杉山大志2016)
注15)
RITE(2017)経済とCO2排出のデカップリングに関する分析・評価、
http://www.rite.or.jp/system/research/alps2/data/ALPS2_decoupling.pdf
OECD(2016)CO2 emissions embodied in consumption.
https://www.oecd.org/sti/ind/EmbodiedCO2_Flyer.pdf
注16)
日米欧の天然ガス価格動向の比較については、例えば新電力ネット
https://pps-net.org/statistics/gas
注17)
Mark, P. Mills(2013)The Cloud Begins With Coal-Big Data, Big Networks, Big Infrastructure, and Big Power, Digital Power Group
https://www.tech-pundit.com/wp-content/uploads/2013/07/Cloud_Begins_With_Coal.pdf?c761ac
注18)
ビットコインのマイニングはなぜ中国に集中?、ビット会マガジン2017年3月31日
http://www.bitkai.com/635/


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