カーボンプライシングの理論と実際

現在の日本において導入は必要か?


キヤノングローバル戦略研究所 研究主幹

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(「エネルギー・資源」2017年9月号からの転載)

1.はじめに

 カーボンプライシングの定義には2通りある。
 広義には、CO2排出を削減する動機を与える施策(例えばエネルギー税や省エネ規制)はすべてカーボンプライシングであり、つまりは温暖化対策と同義になる。例えば統合評価モデル(Integrated Assessment Model、IAM)では、多くの場合、かかる意味合いでカーボンプライシングを定義し評価している。この文脈では「CO2削減のためにカーボンプライシングが必要だ」という命題は単にトートロジーとなる。勿論、現実に問われるべきは、それを如何なる政策手段で実施するのかという具体的内容である。 
 狭義には、カーボンプライシングとは、経済の全体ないし大半を対象としたキャップ・アンド・トレード型の排出量取引制度、ないしは環境税制度を指す。以下本稿では、この狭義のカーボンプライシングの導入の是非について論じる。
 さてカーボンプライシングでは、あらゆる経済主体が、CO2の1トンの排出について、排出権価格ないしは環境税率としての、一定の炭素価格に直面する。かかる制度が正当化される理由は、一連の「前提」に基づけば、経済効率的にCO2排出の総量削減を出来ることにある。
 ここでの「前提」とは、あらゆる排出に対して均一の炭素価格が課されるような制度設計および運用がなされること、エネルギー税や省エネ規制等による価格の歪みが無いこと、国際協調によって国際間の炭素価格の差異が除かれること、等である。
 しかし、これらの前提は何れも現実においては、全く成立していないし、する見込みも無い。従って、現在の日本でカーボンプライシングの導入が望ましいか否かは、かかる一般的な議論に依らず、個別具体的な状況を踏まえて論じなければならない。
 以下本稿では、まず排出量取引制度について(2章、3章)論じた後、カーボンプライシングとイノベーションの関係(4章、5章)を述べ、次いで環境税を論じて(6章、7章)、まとめる(8章)。

2.電力部門を対象とした排出量取引制度

 今の日本において電力部門を対象とした排出量取引制度を導入すると、どのようなことが起きるだろうか。

2.1 大幅な省エネのための電力価格高騰の懸念
 2016年5月に閣議決定された地球温暖化対策計画では、2030年の電力部門においては成り行きに比較して△17%の省エネが図られることとなっており、これは「電力コストを抑制」しつつ達成することとなっている。
 だがこの省エネ目標の実現は容易ではない。仮にカーボンプライシングを通じた価格効果のみで△17%の省エネを達成しようとすると、電力需要の価格弾性値を0.1とした場合、電力価格は倍増以上となる注1、2)。これはもちろん、「電力コストを抑制」という前述の文言の主旨に整合しない。
 CO2排出削減についての数値目標の達成は、経済と両立させながら、またエネルギーコストを抑制しつつ実現する、というのが日本の地球温暖化対策計画である注3)。電力価格が高騰し、経済が衰退するような方法をとってまで、数値目標を達成するとはしていない。

2.2 電力供給の3E─石炭火力は最後の砦
 仮に景気低迷や産業空洞化等の理由により、成り行きで電力需要が想定ほどには伸びないとするとどうか。この場合、省エネのために電力価格が高騰する虞はないが、電力供給のコストはなお問題となりうる。
 いま想定されている電力部門のエネルギーミックスでは、原子力、再エネ、天然ガス、石炭が同程度の発電量になっている。このうち、原子力は安価であるが、法的・政治的リスクがあり、稼働率が低下するリスクがある。再エネは、系統対策費なども含めると、未だ高価である。天然ガス火力発電は、ガス価格次第では高価になってしまう。執筆時点では天然ガスは安価になっているが、今後、例えば中東で有事が発生したりすると、石油価格と共に極めて高価になり、最悪の場合は日本への供給量が激減する可能性もある。日本は石油の9割と天然ガスの3割を中東に依存しているので、この両者の価格が同時に高騰し、かつ供給量が減少するような事態になると、経済への影響は甚大になる。
 このようにしてみると、石炭こそは、安価・安定に電力を供給するための最後の砦である。石炭以外の発電については様々な不確実性があるので、将来の状況によっては、石炭の比率をエネルギーミックスで想定されているよりも大幅に高める必要も生じうる。日本はこれを選択肢から排除すべきではない。
 そもそもエネルギーミックスは、一定の目安としての数字である。それに向かって努力する必要はあるが、その数値の達成「だけ」を目標にすべきではない。数値を達成するかどうかは、原子力・天然ガス等の供給状況、再エネの技術開発状況や、経済との両立を考慮しつつ、柔軟に舵取りをしていくべきことである注4)

2.3 排出量取引制度が3Eのバランスを損なう危惧
 いま仮に、電力部門を対象とした排出量取引制度を導入してしまうと、エネルギーミックスにおいて「CO2削減目標の達成」だけが突出した優先課題になってしまい、エネルギー安全保障および経済に対する悪影響が生じることが懸念される。
 かかる懸念への対処として、排出量取引制度にセーフティバルブを設けるなどの制度的工夫をすればよい、という意見もあろう。確かに、「適切な制度が設計され、予定通り執行される」ならば、3Eのバランスを失することはない。
 だが現実には、排出量取引制度が導入されると、その制度の存在自体が、電力部門からのCO2削減目標達成への強い動機を生むと予想される。例えば、「排出量取引制度が導入されたにもかかわらず、セーフティバルブの利用によって排出量が増えつつける」という状態を仮想的に考えてみよう。すると、セーフティバルブの存在が問題視されて、制度を改変して、総量を抑制しよう、という政治的圧力が生まれることは、想像に難くない。このようにして、セーフティバルブ等の制度の詳細の如何に関わらず、排出量取引制度が導入されることで、安価な石炭の利用が、それが3Eのバランスの観点から必要とされる場合においてすら制限され、電力コストが高騰し、安全保障が損なわれることが危惧される。

2.4 制度間の「負の相互作用」による効果の相殺の懸念
 別の論点として、排出量取引制度は、他の制度と相互作用が起きて、効果が相殺されうることにも注意が必要である。EUでは、FITによって最も高価な対策である再エネが大量導入された結果、ETSの排出権価格は低迷し、安価な温暖化対策すら実施されなかった。このため、「費用効果的に温暖化対策を実施する」という、排出量取引制度の所期の目的は達成されなかった注5)
 執筆現在の日本においても、排出量取引制度と相互作用を起こしうる制度が多く存在する。既存の制度としては省エネ法、供給構造高度化法、再エネ全量買取り制度、低炭素社会実行計画がある。更に導入が決定し、具体的な制度設計が検討中のものとしては、ベースロード電源市場、容量市場、非化石価値取引市場がある。仮に排出量取引制度を導入するならば、これら諸制度との複雑な相互作用が起きる。

2.5 電力価格の高騰は、長期的な温暖化対策に逆効果になる
 排出量取引制度を導入した結果として、仮に電力価格が高騰すると、2つの経路で、長期的な温暖化対策に逆効果となる。第1に、電力価格の高騰は、経済全体の活力を失わせることで、科学技術全般の進歩をさまたげ、ひいては革新的な温暖化対策技術の進歩を妨げる。これについては5章で改めて詳しく述べる。第2に、電力価格の高騰は、エネルギー需要の電化を遅らせる。大規模なCO2削減のためには、電気の低炭素化とエネルギー需要の電化の両輪が必須であることは、今では様々な立場を超えて広く共有されている注6)。だが電力価格が高騰してしまっては、電気自動車やヒートポンプの魅力は薄れ、電化は進まず、技術進歩も遅れる注7)。これでは電気を低炭素化しても意義が大幅に失われる。

3.大規模固定排出源を対象とした排出量取引制度

 発電所・工場等の大規模固定排出源を対象とした排出量取引制度としては、EU-ETSが先行事例として存在する。EU-ETSにおいては排出量の割当てを巡って常に政治調整が続き、価格を安定して高く維持することができず、このため排出削減において実効性を確保することができなかった注8)
 日本においても、仮に同様な制度を導入するならば、エネルギー多消費産業等への配慮のために、様々な形で排出量の割り当てが調整されることが予想される。この結果として排出権価格が安定せず低迷する可能性がある。
 だがむしろ日本で心配すべきことは、既に2章で述べたことの焼き直しになるが、以下の2点である。第1に、ひとたび排出量取引制度が導入されると、CO2排出総量削減の数値目標の遵守だけが突出した政策課題に位置付けられて、その結果としてエネルギー価格が高騰し経済に悪影響が起きることである。第2に、日本においては、省エネルギー法や低炭素社会実行計画、電気事業に関する諸制度等の形で、温暖化対策を促す政策は既に多く存在するので、排出量取引制度を導入しても負の相互作用が生じて効果を相殺し、混乱をもたらす虞があることである。

4.排出量取引制度はイノベーションを促進しなかった

 一般的にいって、エネルギー価格が高く、かつ継続すると思われている状況において、省エネルギー的なイノベーションが促進されることは事実である。また、ある環境問題の制約が長期的にみて厳しくなっていく傾向がはっきりしているときに、当該環境問題の解決を図るためのイノベーションが促進されることも事実である。例えば低燃費車や低公害車がこれにあたる。
 以上は事実であるが、これは、特定の政策手段、例えば「排出量取引制度」がイノベーションを促すということは意味しない。
 米国のSOX排出量取引制度においては、排出権価格は低迷し、かつ不安定になった。このため、企業は低コストな対策手段に注意を向けた一方、将来への不確実性が増したことによって、イノベーションはかえって停滞した。SOX・NOX排出削減技術開発に関連するパテント数は、排出量取引制度の期間に減少したことが示されている注9)
 欧州のEU-ETSはどうだったか。最も排出権価格が高騰し30ユーロに達した時期において、その価格を決めたのは石炭とガスの価格差であったが、その時期に起きたことは石炭からガスへの燃料の焚きかえであった。リーマンショック後に排出権価格が暴落すると、この焚きかえすらも逆転して元に戻ってしまった。この間、EU-ETSがイノベーションに結びついたという証拠はない。
 「それは排出権価格が低いことの問題であり、排出権価格が高ければ話が違う」、という意見もある。だが、経済の広範囲を対象にするようなCO2の排出量取引制度においては、利害調整を図りながら高い価格を維持することは難しかった。EU-ETSでは、ポーランドなどの東欧諸国は多くの排出権割当てをもとめ、高い排出権価格を招きうる政策決定には頑強に抵抗した注10)。IPCCでも、排出権価格を高く維持することは「政治的に困難であることが証明された」としている注11)。今後も、高い排出権価格を維持することは、世界のどこであれ難しいだろう(なお、もしも高い排出権価格が維持されるのであれば、次章で論じるように、それがマクロ経済ひいてはイノベーションにもたらす悪影響についても検討しなければならない)。
 排出量取引制度を導入するにしても、イノベーションを促すためには、別の政策が必要になることは、EU-ETSに好意的な研究者も認めている。IPCC報告でもカーボンプライシングだけでは温暖化対策として不十分であり、技術政策が別途必要であるとしている注12)

注1)
RITEおよび慶応大学野村教授のモデル試算によると価格弾性値は0.1程度となる。詳しくは、杉山大志(2015)「大幅な省エネ見通しの国民負担を精査せよ:既存のモデル試算は電力価格倍増を示唆している」、国際環境経済研究所
http://ieei.or.jp/2015/04/sugiyama150421/ 及びその文献を参照。
注2)
省エネというと「負のコストの対策」が多いから、環境税をかけるとそれが一気に進むという意見もある。ここで言う「負のコストの対策」とは、ある省エネ投資に対する設備費と運転費に対して一定の割引率を適用して計算された結果、総コストが負になるような対策を指している。机上計算でそのような対策が多く発見されることが知られている。だが、いわゆる負のコストであるにも関わらず実施されずに残っている省エネ対策というのは、実は「隠れたコスト」があるから実施されないものである。ここで言う隠れたコストとは、対策を発見・評価・実施するための専門的能力をもったエンジニアの人件費等である。環境税をかけると、この計算はいくらか変わるが、それで劇的に省エネが進むというわけではない。前述の価格弾性値で表現される以上に大規模な省エネが進むわけではない。
注3)
経済と環境の両立およびエネルギーコストの抑制について、政府は以下のように言及している。まず地球温暖化対策計画(平成28年5月13日)p7では「環境・経済・社会の統合的向上」において、「地球温暖化対策の推進に当たっては、我が国の経済活性化、雇用創出、地域が抱える問題の解決にもつながるよう、地域資源、技術革新、創意工夫をいかし、環境、経済、社会の統合的な向上に資するような施策の推進を図る。具体的には、経済の発展や質の高い国民生活の実現、地域の活性化を図りながら温室効果ガスの排出削減等を推進すべく、徹底した省エネルギーの推進、再生可能エネルギーの最大限の導入、技術開発の一層の加速化や社会実装、ライフスタイル・ワークスタイルの変革などの地球温暖化対策を大胆に実行する。」としている。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/ondanka/kaisai/dai35/pdf/honbun.pdf
またエネルギー基本計画(平成26年4月)では「エネルギー政策の基本的視点(3E+S)」として、安全性(Safety)を前提とした上で、エネルギーの安定供給(Energy Security)を第一とし、経済効率性の向上(Economic Efficiency)による低コストでのエネルギー供給を実現し、同時に、環境への適合(Environment)を図るため、最大限の取組を行う」としている(p15)。
http://www.enecho.meti.go.jp/category/others/basic_plan/pdf/140411.pdf
更に、長期エネルギー需給見通し(平成27年7月)においては「電力コストを現状よりも引き下げることを目指す。」としてある(p3)。
http://www.enecho.meti.go.jp/committee/council/basic_policy_subcommittee/mitoshi/pdf/report_01.pdf
注4)
発電部門において、もしエネルギーミックスの数字の達成「のみ」を最優先課題にするならば、容量市場、ベースロード電源市場、カーボンプライシング等の諸制度を「ファインチューニング」して、石炭とガスの比率をコントロールすることを目指すことになるかもしれない。だが石炭とガスの比率を固定するということは、折角の燃料のポートフォリオの価値を台無しにするので、本来、やるべきでは無い。予測が難しくかつ振れ幅の大きい燃料価格の市況に合わせて、安い方をより多く使うというのが、そもそも多様なエネルギー源をミックスして用いることの意義の1つである。従ってミックスの数値を厳密に達成することを最優先とすること自体、適切とはいえない。
注5)
詳しくは、杉山大志(2016)炭素価格政策と排出量取引制度:IPCC第5次評価報告からの知見」SERC Discussion Paper 15006
http://criepi.denken.or.jp/jp/serc/discussion/download/15006dp.pdf
注6)
例えば、IPCC(2014)第5次評価第3部会報告;IEA世界エネルギーアウトルック2015;環境省(2017)長期低炭素ビジョン
http://www.env.go.jp/press/103822/105478.pdf
注7)
更に詳しくは、杉山大志(2015)電力価格高騰が遠ざける低炭素社会、国際環境経済研究所。
http://ieei.or.jp/2015/06/sugiyama150608/
注8)
これについて詳しくは、有馬純(2017)カーボンプライシングに関する諸論点、21世紀政策研究所.
注9)
”…Cap and Trade Programs do not inherently provide sustained incentives for private sector R&D investments in clean technologies, but may add to the uncertainty inherent in inventive activity”. Taylor, M. R.(2012)。”Innovation Under Cap-and-trade Programs. ” Proceedings of the National Academy of Sciences.
http://www.pnas.org/content/109/13/4804.ful
注10)
更に詳しくは前掲注5)(杉山大志2016)を参照。
注11)
杉山大志(2015)「地球温暖化とのつきあいかた」、ウェッジ社;杉山大志(2014)「IPCC,京都議定書と排出量取引に厳しい評価」ウェッジ・インフィニティ
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/3770
注12)
IPCC第5次評価第3部会報告書15.6節

5.マクロ経済が悪化すると温暖化対策技術のイノベーションは阻害される

 カーボンプライシングは、もしもマクロ経済を悪化させるならば、それはむしろ温暖化対策技術のイノベーションを阻害する。以下に論じる注13)
 経産省の新産業構造ビジョンにあるように、これからのイノベーションとして期待されているのは、AI・IOT・ロボットなどの共通基盤技術が、医療・金融・製造業・エネルギーなどの個別分野の技術と掛け合わせられて革新的な財・サービスを生み出すことである。
 カーボンプライシングは、そのようなイノベーションがエネルギー分野において起きるとき、その最後の一押しの役割を果たす可能性がある。たとえば、IOTやロボットが家庭やオフィスに入り込み、またAIが発達すれば、それらを活用したエネルギーマネジメントシステムにより省エネをする際に、カーボンプライシングが後押しを出来るかもしれない。
 しかし、もしもカーボンプライシングが経済活動を停滞させるならば、かえってそのような革新的な省エネの芽を摘むことになるだろう。なぜならば、カーボンプライシングでイノベーションが進むという考え方は、カーボンプライシングに対応した低炭素技術の開発が進むことに期待するものであるが、どんなにカーボンプライスが高いからといっても、それによって、AI、IOT、ロボット等の共通基盤技術にまで「カーボンプライシングの影響が遡及して」イノベーションをもたらすとは到底考えられないからである。
 翻って、もしもカーボンプライシングが、経済全般の活動を低下させるならば、医療・金融・製造業等の諸分野における経済活動も低下させ、ひいてはこれら諸分野におけるイノベーションを阻害する。他方で共通基盤技術にとっては、これらの諸現場におけるビッグ・データの蓄積や、実装を通じたフィードバックを得ることがその技術進歩にとって不可欠であるので、この点においても、マクロ経済の悪化は共通基盤技術の進歩を遅らせることになり、ひいては、エネルギー・温暖化分野における革新的な低炭素技術の開発をも遅らせることになる。

6.経済全体を対象とする税制中立の環境税

 話題を環境税に転じる。
 環境経済学の教科書や数値モデル計算では、よく経済全体を対象とした環境税が論じられる。だが実際には、どの国も、国際競争等に配慮して、エネルギー多消費産業については減免する等、部門別に税率は差異化されてきた。従って「環境税によって、経済全体として最も費用効率的な形でCO2削減ができる」という考え方は、現実には当てはまらなかった。更には、既存のエネルギー諸税や規制があるために、仮に均一の税率が全部門に適用されるとしても、それを以て効率が最大になるとも言えない注14)
 それでもなお、経済活動全般に渡って排出削減への動機付けを行うことができるという点においては、環境税による価格シグナルのほうが、規制や補助金等の部門別の政策に比べて、優れた面がある。更に、経済全体を対象とする大型の環境税を導入し、その代わりに、法人税や消費税を減税するなどの形で「税制中立」とすれば、経済への悪影響も少なくて済むという意見がある。以下、かかる制度について検討する。

6.1 エネルギー集約産業の海外移転
 かかる環境税の最大の問題点は、鉄鋼、化学、セメント等のエネルギー多消費産業は採算が悪くなり、日本での操業を止めていくと予想されることである。
 この場合、日本は海外から材料・部品の輸入をすることになるが、これでは地球規模でのCO2の削減にならない。過去、イギリスやスウェーデンでは、CO2が削減されたとされているが、これは生産量ベースの話であって、消費量ベースではCO2は減ってこなかった注15)。中国等から輸入した製品の生産時に発生したCO2排出量が増えたためである。日本でもこれと同じことが起きることになる。

6.2 イノベーションへの悪影響
 エネルギー多消費産業が日本から退出していくことは、他の製造業にも影響する。日本の自動車産業は、鉄鋼産業と密接に連携して、ハイテン鋼などの技術開発・品質改善を行ってきた。もしも鉄鋼産業が退出すると、自動車産業、関連する部品産業、車載部品を提供するエレクトロニクス産業など、あらゆる製造業が日本から退出していくだろう。
 生産現場が近く、関連産業が集積していることは、イノベーションを起こすことに寄与する。その要の位置にある鉄鋼産業や自動車産業が失われると、多くの関連産業とともに、日本のイノベーションを起こす能力も失われることが危惧される。
 のみならず、エネルギー多消費産業が海外に出てしまうと、これらエネルギー多消費産業における革新的な温暖化対策について、日本のイノベーションエコシステムが活用できなくなってしまうという問題も生じる。これは世界にとっても重大な損失となる。
 環境税導入を相殺するように法人税や消費税等を減税することで、エネルギー多消費産業以外の産業が発達するので、経済は良くなるという意見もあろう。だが、これには2つの問題がある。
 第1に、すでに述べたように、エネルギー多消費産業の海外移転は、地球規模でのCO2削減にはならない。第2に、日本の製造業中心のイノベーションエコシステムはすでに構築されており、これを破壊して、別のイノベーションエコシステムが形成されることに期待をするにしても、これが成功する保障はない。もし成功するとしても、かなりの時間がかかるだろう。その間、経済は停滞し、日本のイノベーション能力は失われることになる。一国の経済を賭した冒険をするべきではなかろう。

7.エネルギー多消費産業等を免税にした税制中立の環境税

 現実には、経済全体を対象とした環境税を構想するといっても、エネルギー多消費産業のみならず、多くの部門で減免措置が実施されるだろう。いかなる減免が為され、どのような帰結になるのか。

7.1 減免措置は不可避になる
 家庭部門ではエネルギー消費の大半は電気とガスであって、石油は減少傾向にある。現在、電気とガスはサービス当たりのCO2排出量ではしのぎを削っているので、電気とガスの間では、仮に代替が起きるとしても、CO2削減は量としてはあまり期待できない。
 石油については、高い税率を課するならば、もちろん価格効果も代替効果も発生し消費量が減少し、CO2も削減されるであろう。だがこれは政治的には難しそうだ。
 石油は、まだ暖房用途に多くが使われている。特にこれは北海道等の寒冷地で家計に影響する。これを価格効果で減らせるだろうか。価格効果というと、無色透明な感じがするが、実際には「貧乏人は使うな」というに等しい残酷なものになる。現実には、暖房用の石油は減免税にせざるを得ないだろう。
 産業部門と業務部門はどうか。石炭の殆どは製鉄・セメント業といったエネルギー多消費産業で用いられている。他燃料での代替は大幅なコスト増になるので、やはり減免税が必要になるだろう。
 エネルギー多消費産業以外の産業部門では、石油と電気が概ね半々であり、ガスは比較的少ない。業務部門では、エネルギー消費の4分の3は電気とガスであり、残りは石油で減少傾向にある。産業部門と業務部門の石油については、それをガスで代替していくことで、CO2削減ができるだろうか。
 これは技術的には可能である。実際に、米国や欧州では産業部門においても石油はあまり使われておらず、ガスが多く使われてきた。だがこれは、石油よりもガスがかなり安かったという事情による。日本ではガス価格は石油価格と比べてそれほど安く無いので、ガスを使う動機は欧米ほどは強くない注16)。またパイプラインが敷設されていない地域も多くあって、そこではもちろん都市ガスは使えない。さらに石油からガスに転換するとなると設備更新が必要になるので費用がかさむ。このように、石油をガスで代替することは容易ではない。
 環境税の価格効果で石油の使用を削減しようとすると、家庭部門の暖房同様に、政治的調整が多く必要になる。中小企業や地方企業では石油ボイラを多用している。また、農業、漁業は隠れたエネルギー多消費産業であり、これも石油に依存している。他にも、病院はどうか、学校はどうか、など、調整が多く必要になる。

7.2 エネルギー需要の電化を阻む虞がある
 このようにして見ると、大型環境税は、政治的配慮の帰結として、エネルギー多消費産業の石炭、中小企業・地方企業の石油、家庭用石油、農・漁業用石油等、多くの部門や燃料について減免されることになりそうだ。
 その一方で電気には高い環境税が課されるとなればどうなるか。石油等の化石燃料の直接燃焼から電気へのシフトを阻むことになる。温暖化対策の長期戦略としては、大規模な排出削減を目指すこととなっており、最終的には電気へのシフトが望ましいことには、2.5節で述べたように、立場を超えて広く見解の一致がある。だが、電気へのシフトを阻むのではまるで逆効果になる。
 以上をより一般的な言い方でまとめると以下のようになる。現実には政治的調整として減免は避けて通れないため、結果としての環境税はCO2排出量に比例しなくなり、効果が乏しくなる可能性がある。また環境税は、通常は、当該時点のCO2原単位しか反映しないので、温暖化対策の長期戦略との不整合が起きうる。

7.3 CO2削減というよりは税収目的となる
 今度は、環境税によるCO2削減量及び税収の規模について、電力・ガス価格を倍増するような大型の環境税を想定して概算しよう。
 エネルギー多消費産業等を免税として、日本のCO2排出量の2分の1を対象とした環境税を考える。価格弾性値を0.1程度と措くと、エネルギー価格の100%上昇に対してCO2削減率は10%になる、すると日本全体のCO2排出量は5%削減されることになる。他方で税収は、エネルギー価格を軒並み倍増するとなると、エネルギー多消費産業等を除外するとしても、20兆円規模となる。
 こうしてみると、CO2削減量が少ない割に、税収が巨額になることが目につく。従って、かかる環境税は、CO2削減目的だけで正当化することは難しい。ではこれは、税収目的であれば正当化できるのだろうか。

7.4 「隠れたエネルギー多消費産業」における国際競争上の懸念
 日本でエネルギー多消費産業というと、製鉄、セメント、石油化学、製紙業等となっていて、エレクトロニクス産業は入っていない。だが例えば台湾ではTSMC等のエレクトロニクス産業はエネルギー多消費産業に分類されている。
 今後の経済成長の中核と目されるICT関連産業でも、実は電力消費量は大きい。先進諸国でのICT関連の電力消費は、全電力消費の約1割に達していると見られている注17)。3Dプリンタもレーザー加工・空調等、電力を多く消費する。大型計算機もデータセンターも電力多消費である。フィンテック等に活用される重要技術であるブロックチェーンにおいては、暗号情報処理を行うマイニングという工程があるが、これは電力多消費であって、日本では電力価格が高く採算が合わないという。今、マイニングの大半は中国で実施されており、これには電力価格が安いことが大きな理由であるという注18)。このように、エネルギー多消費の業態や工程は時代によって変わるものであり、それがイノベーションの中核的な担い手になることもある。
 どのように注意深く減免税を調整したとしても、やはり多くのエネルギー多消費の業態や工程にとっては、環境税が国際競争上の負担となりうる。このため、前章でエネルギー多消費産業について考察したのと同様に、生産の海外移転、経済成長の阻害、イノベーションの停滞といった弊害が起きることが懸念される。

7.5 ガラパゴス化の危険
 更に別の懸念もある。既に日本のエネルギー価格は国際的に見て高い水準にあるが、これに高い環境税を課すると、世界、特に新興国との価格差は更に開く。この結果、日本は海外と異なるエネルギー設備・機器を使うことになるだろう。先進的な省エネルギー機器が導入され、普及するといえば聞こえはよい。だが、日本の製造業が特殊な国内市場を対象にしてガラパゴス化し、世界市場を失う危険もある。過去に、トップランナー規制やエコポイント制度のもとで省エネに邁進した日本の家電メーカーであるが、世界市場では韓国・中国勢に負けてしまった。この轍を踏む危惧がある。

7.6 本章のまとめ
 減免税を伴う形で税制中立の環境税を導入することは、一定の省エネを促しうるが、どのように注意深く実施しても、エネルギー多消費な業態・工程の海外への移転も促してしまう。これは地球規模では無意味であるのみならず、日本の製造業エコシステムを弱体化させるものであり、国民経済にとっても、イノベーション─これには温暖化対策イノベーションも内包される─にとっても望ましくないであろう。
 更に現実には、暖房用の石油のボイラ燃焼等については、政治的配慮によって、減免税が実施されると予想される。その一方で、環境税によって電力価格が高くなると、化石燃料の直接燃焼から電気へのシフトが遅れることになる。すると、大幅な排出削減という、地球温暖化対策における長期的な戦略に照らして、環境税は逆効果となる。

8.カーボンプライシング導入の条件

 エネルギー価格が低すぎれば、省エネの動機は生まれない。もしもエネルギー価格が低く、エネルギー効率も低い国であれば、カーボンプライシングによって、全体のエネルギー価格水準を引き上げることは適切な政策となる。ただしこれは現在の日本には当て嵌まらない。
 「カーボンプライシングによって、経済とエネルギー安全保障に大きな悪影響を与えることなく排出削減が進む」ための条件は、「①元々のエネルギー価格水準が国際的に見て低いこと、に加えて、②低コストかつエネルギー安全保障を損なわない排出削減手段が存在する」ことである。 
 カーボンプライシングを全否定するのは明らかな誤りである。日本も、将来においては、カーボンプライシングが機能しうるような状況はありうるかもしれない。例えば、現在よりも電力のCO2原単位が大幅に下がるとすれば、国民経済に大きな負担を掛けることのないよう注意しつつ、電気によって化石燃料の直接燃焼を代替していくために、環境税が機能しうるかもしれない。ただし、このためには、今後実施される電気の低炭素化が、電力価格の高騰を招かないよう、注意深く実施されていることが前提条件となる。例えば再エネ推進が性急に過ぎた結果として電力価格が高騰してしまうと、電化を進めようとして環境税を導入しても、効果は相殺されてしまい(制度間の負の相互作用)、電化は進まない。
 国によっては、現在においてもカーボンプライシングの導入が適切な場合もある。また将来においては、日本においてもカーボンプライシング導入の条件が満たされる可能性はある。だが現在の日本においては、排出量取引制度、環境税の何れも、その導入は適切ではない。

注13)
科学技術全般の進歩が革新的な温暖化対策技術をもたらすために必要なことについて、更に詳しくは,杉山大志(2017)「イノベーションによる温暖化問題解決のあり方は:イノベーションシステム論から複雑系理論へ」キヤノングローバル戦略研究所ワーキング・ペーパー(17-001J)
http://www.canon-igs.org/workingpapers/170524_sugiyama.pdf
を参照されたい。
注14)
前掲注5)(杉山大志2016)
注15)
RITE(2017)経済とCO2排出のデカップリングに関する分析・評価、
http://www.rite.or.jp/system/research/alps2/data/ALPS2_decoupling.pdf
OECD(2016)CO2 emissions embodied in consumption.
https://www.oecd.org/sti/ind/EmbodiedCO2_Flyer.pdf
注16)
日米欧の天然ガス価格動向の比較については、例えば新電力ネット
https://pps-net.org/statistics/gas
注17)
Mark, P. Mills(2013)The Cloud Begins With Coal-Big Data, Big Networks, Big Infrastructure, and Big Power, Digital Power Group
https://www.tech-pundit.com/wp-content/uploads/2013/07/Cloud_Begins_With_Coal.pdf?c761ac
注18)
ビットコインのマイニングはなぜ中国に集中?、ビット会マガジン2017年3月31日
http://www.bitkai.com/635/