エネルギー転換の背後にあるドイツ人のロマン主義的性格


読売新聞編集委員


印刷用ページ

 ドイツが進めている「エネルギー転換」と、寛容な難民受け入れ政策とは、同じ根っこから生まれた政策である、と書けば、何を言っているのかと怪訝な顔をされるだろう。再生可能エネルギー(再エネ)導入と脱原発を柱としたエネルギー政策と、それとは全く異質な分野の難民政策が、同じ性格を持つとはどういうことなのかと。
 二つの政策が似通っているというのは、両政策とも、経験的にデータを集め、合理的に結果を見通した上での決断ではなく、多分に理想主義的で道徳的な動機に基づいてのものだった、という点においてである。
 前回、概略で触れたようにエネルギー転換は、電気料金の高騰、安定供給の障害、温室効果ガスの増大など多くの問題を抱えている。2022年までに原発を全廃し、再エネを計画通り導入するとすれば、多大なコストを覚悟しなければならない。
 固定価格買い取り制度(FIT)を再エネ導入の制度的根拠とする限り、電気料金の値上げは想定できた。ただ、その点は織り込んでいたにしても、その他の数ある困難を計算に入れ、目標年には達成できるという周到な計画の基に、エネルギー転換に踏み切ったのではおそらくない。日本人の中には、ドイツの目標を現実と混同し、日本は見習うべしと主張する人がいるが、ドイツの長期目標には必ずしも合理的根拠はないと考えた方がよい。
 難民受け入れについても同様のことが言える。メルケル首相が2015年夏に打ち出した上限なしの難民受け入れ方針で、2015年、16年で計117万人が難民申請希望者としてドイツに入国した。ドイツは優秀な労働力を当て込んで難民受け入れを決めた、と分析する人もいたが、そうした合理的な計算からメルケルは決断したのではない。やはりメルケルの、人道的な動機に突き動かされた、結果を必ずしも見通さずに行った決断だった、と見た方がおそらく正しい。


ベルリンの連邦プレスハウスの記者会見場で、記者会見にのぞむメルケル首相
(2012年9月、三好範英撮影)

 難民受け入れについて楽観的な見通しを持つことは難しい。多くの難民申請者がドイツへの定住を望むだろう。長期的にはドイツ社会への同化問題が大きな課題となるが、そのためにはドイツ語の習得と就労が最低条件である。今年の初めの報道では職を得た難民はまだ10%に過ぎない。今後も発生するだろうテロや、右派政党の台頭など様々な問題を抱えつつ、多難な息の長い取り組みは不可避である。
 ではなぜドイツの政策は、理想主義的で道徳的な決断に流れるのだろうか。
 一見無関係と思われるだろうが、直接的にはナチズム、とりわけホロコースト(ユダヤ人殺戮)の歴史的経験が伏在していると私は見ている。この歴史の負の遺産から、ドイツ人、とりわけ知識人は、道徳的であらねばならないとの意識が強い。エネルギー問題に関しては、原子力エネルギーを、その危険性などから道徳的な悪と捉え、再エネを地球環境に良いという意味で道徳的に正しいもの、と極端に二分化して考える傾向につながっていると私は見ている。難民受け入れについては、弱者を助けねばならないという道義的命令が、国民の安全や社会的安定に優先されることになる。物事の認識段階で道徳的判断が過度に絡まり、予断につながっているようだ。
 さらに時代を遡れば、現実や経験から積み上げて発想するのではなく、理想を先行させがちな国民性も考えねばならない。ドイツ人の国民性は、すでにこの数世紀の間、経験論の対極にあるロマン主義や、とりわけ森に対するロマンを中心とした自然観などによって特徴付けられてきた。ヨーロッパ他国と比較しても激しい反原発運動は、ドイツの長いロマン主義的伝統抜きには考えられないだろう。前回「根底にある『ドイツ的なもの』」を考える必要性に言及したゆえんである。
 次回以降はエネルギー転換の現状を個別のテーマに沿ってやや詳しく見ていきたい。



欧州の環境・エネルギー事情の記事一覧