“Bridge to the Future”(その4)

最近の「石炭火力」論議を巡って


電源開発株式会社 顧問


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※ “Bridge to the Future”(その1その2その3

金融制約の動き

金融機関による石炭への融資規制
 ここまで縷々述べてきたこととぶつかる考え方の一つとして金融機関による石炭火力への金融制約の動きがある。この動きはオバマ政権の「気候行動計画」に端を発し公的融資制限政策(国際開発金融機関、輸出信用供与)へと展開された。国際開発金融機関(MDB)では世銀を始め多くがこの米国の政策に沿って、石炭への融資制限方針を決定している。
 MDB議論に続くものとして輸出信用供与(EC)での交渉については、主に欧米諸国と、日本・豪州・韓国連合が激しく対立し、一時はまとまりそうにない状況を経て、2015年11月のOECD閣僚会議でようやく合意した。「高効率技術以外の石炭火力には信用供与を認めない」という意味で一般には「石炭融資制限」政策が貫徹したという解説がされているが、逆に、高効率技術へ選択的に融資するという意味で、先に述べた最も現実的で有効な対策として石炭火力高効率化政策を推進するポジティブな話しとして受け止めることもできよう。
 最近では、こうした政策金融機関での動きに加えて、民間の金融機関においても「石炭への融資規制」の動きが始まっていることに注目しなければならない。新聞報道などによれば、Morgan Stanley注9)(2015年12月)やJP Morgan注10)(2016年3月)などは石炭火力や炭鉱への融資制限を発表している。

議論の交通整理を
 こうした「石炭への融資規制」を巡る議論にはいくつかの問題脈絡が混在しているように感じられる。この問題を議論していると、論点の擦れ違いになったりすることがある。議論に当たって交通整理が求められる。

■ 座礁するか否か?
 これはエネルギー市場とそこでの資産査定に係る専門的でテクニカルで議論であり、エネルギー市場を巡る多くの専門的論点があり、既に多くの論文も発表されている。ここでは、電力会社の経営者として特に痛感していた論点をいくつか指摘しておきたい。
 「座礁するか否か」についてはそもそもの大前提としてエネルギー市場設計(制度設計)の如何が先ず決定的に重要である。日本でのFIT導入を巡る混乱の歴史を見るだけでも多くの重要な論点が充満している。そうした中で日本でも太陽光発電資産の座礁が報じられている。市場設計については、既述のとおり(地政学的側面をもった)電力システム全体のチームプレーの中で個々のプレーヤーの役割を定義することが重要である。また、「長期コミットと流動性」の議論とも重なるが、計画メカニズムと市場メカニズムの双方を、片方に偏ることなくバランスよく活用しなければならない。
 いずれにしろ座礁リスクは石炭火力や太陽光発電に限ったものではない。また、世界中どこでもあてはまる座礁リスク評価は存在しない。地域特性を超越した普遍的な資産評価はありえない。先に述べたような天然ガス火力の持つ意味が米国と日本とで基本的に違っていることなどはその一例である。
 資産の評価に関しては、的確な情報開示とそれを踏まえた的確な資産評価を両輪として金融市場でのディシプリンが発揮されるものであり、金融機関と事業者の双方に多大な努力が期待される。エネルギー市場側と金融市場側との密接なコミュニケーションが一層重要になっていく。

■ 検討と結果の相乗効果?
 上記のような「座礁するか否か」についての客観的で精緻な分析・議論は既に日本でも多くの優れた研究が報告されている。また金融市場においても(金融安定委員会タスクフォース等)適切な開示ルールの検討などの努力がなされている。しかし、その際「座礁するか否か」のリスク研究やそのための情報開示ルールの検討といったものの内実と結果に関心が向かうのではなく、そうした検討自体が関心の対象とされ石炭の座礁リスクを醸成してしまうという「検討と結果の相乗効果」メカニズムもあり得る。実際そうしたメカニズムを意図したキャンペーンかと懸念されるような動きも見受けられる。これはさらに一歩進めば、「(座礁)するか否か」という「事実判断」の世界ではなく「(座礁)させるべきであり、そのためにはどうすべきか」という「べき論」の世界に踏み込みかねない。石炭の金融規制議論においてそういうことがないことを願っている。

■ 一般の銀行の運用は?
 エネルギー市場での各資産の評価とは別に、金融市場側での金融システムとしての役割・責任に関する議論もあり得よう。まず、MDB,EC等の政策金融については、まさに政策に基づく政策金融であり、安全保障、エネルギー、環境等の「政策」が議論され「合意」された「政策」が「政策金融」実行に反映されるのは道理であり、今後、政策の有効性の精査努力が続けられ、より適切な政策形成の議論がなされることが要請される。
 他方、民間金融市場については自ずから別途の注意と議論が必要となると考える。投資家が投資先を(特定の倫理的価値であろうとなんであろうと)自由に選定する選択肢を用意するのがそもそも市場の本質のひとつであり、従って「脱石炭」等の特定の方針を掲げてファンドを設定運用することなどは市場での民間金融機関として期待される業務であろう。そして同時にその業務は反対方向の選択肢についても用意されなければならないことは言うまでもない。
 こうした投資家選択肢の原理は株式市場、ファンドなどの直接的な金融の舞台においては判りやすいものであろうが、一般の銀行業務のような間接的な金融においては、問題がより難しい形で生じる。投資家の意思に係る直接的な仕掛けが無い分、媒介者としての金融機関には単純ではない責任が生じる。今後一層の研究と検討が期待される。

ふたたび “Bridge to the Future”

 我々が直面している将来への深刻な危機において、今期待されている“the Future” はなんであろうか?今回も石炭ではないことだけは確かである。
 これも随分昔の話しであるが、ダーウィンの進化論を遺伝子レベルで組み立てなおそうとしている生物学者と、外交政策を研究している政治学者とが研究の途上で奇妙な議論の噛み合わせを見せ、共同研究が進められたことがある注11)。いろいろな生き残り戦略をコンピューターのなかに放り込み、その世界の進化を模擬してゆく。雑誌で公募して集められた数十種類のタイプがコンピューターの中で戦わされた。最初は各タイプ同数で世界がスタートする。世代を経るにつれて、ある種のタイプは消滅し、あるものは一時大繁栄し、その繁栄という新しい条件のために、その後滅びてゆく。またあるものは細々と生き存え、あるものは始終興隆と没落を続けてゆく。そしてついにはある「安定状態」に到達する。ある環境下で自己の繁栄状態を安定化できるタイプを「進化論的安定戦略(ESS)」と名付けられた。人を魅惑する美しい花もその蜜を吸うミツバチも現世界でのESSを実現している。相互に戦略が錯綜している生物界では、突然変異による新種の出現や気候変化などが場合によっては決定的な条件変化をもたらし、それまではESS状態を誇ってきた種が崩壊を始めることになる。ESS論を軸とするネオ・ダーウィニズムは進化に目的も方向性も求めない。一度安定状態が壊れると、新たな ESSに到達するまで長い過渡期に入ってゆく。
 現在の世界のエネルギー・システムも、「気候変動問題」「シェール革命」「Gゼロ時代」の条件下で、新たなESSシステムを求めて長い過渡期に入りつつある。
 環境派と称されようと守旧派と称されようと、そして最も重要なことは、どんな「正しい」(もしくは「美しい」)意図を持っているかを問わず、新たな「ESS」が何になるのかは、そのいずれとも関係が無い。天然資源においても国際政治資源においてもマイナーな立場にある日本として今、極めて重大な“the Future”戦略が問われている。「石炭火力」を巡る論議はそのひとつの舞台を提供しているのではなかろうか。

注9)
http://www.bloomberg.com/news/articles/2015-11-30/wells-fargo-morgan-stanley-join-banks-edging-away-from-coal
注10)
https://www.bloomberg.com/news/articles/2016-03-07/jpmorgan-won-t-finance-new-coal-mines-that-worsen-climate-changee
注11)
Axelrod, Robert (1984) The Evolution of Cooperation: Basic Books, Dawkins, Richard (1989) The Selfish Gene (second edition): Oxford University Press