再生可能エネルギー100%は可能か

~WWFジャパン「脱炭素社会に向けた長期シナリオ」の問題点~

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はじめに

 スイスに本部を置く国際的な自然環境保護団体の日本支部、世界自然保護基金(WWF)ジャパンは2017年2月、株式会社システム技術研究所への委託研究により、報告書「脱炭素社会に向けた長期シナリオ2017~パリ協定時代の2050年日本社会像~」をとりまとめ、公表した。
 報告書では、2050年に日本のエネルギーがすべて再生可能エネルギーによって供給されることを前提にしたシナリオ「100%自然エネルギーシナリオ」と、政府が掲げる2050年80%削減を達成することを前提としたシナリオ「ブリッジシナリオ」の二つを検討している。その結果、必要な設備投資を行っても燃料代の節約などで96兆円から84兆円の「お得」になるという。
 二つのWWFシナリオでは、現在想定できる技術・対策やその進歩・普及を前提に、省エネルギーによって需要を大幅に絞った上で原発を段階的に廃止して、再生可能エネルギーを大幅に拡大し、需要を賄うことを検討している。これに伴い化石燃料の消費は段階的に廃止される。「100%自然エネルギーシナリオ」では、エネルギー起源CO2の排出量はゼロになる。「ブリッジシナリオ」では、高炉鉄生産用の石炭、化学産業等の熱需要や航空燃料用の石油、業務・家庭部門のガスを除き、80%の抜本的排出削減を実現する。
 現在想定できる技術・対策とその進歩・普及をもって、再生可能エネルギーのみでエネルギー需要が満たすことができ、エネルギー起源CO2の排出量を抜本的に削減できるのが真実であれば、結構な話である。しかし、残念なことにこの報告書は初歩的な分析の誤りを含み、非現実的で過大な想定にも依拠しており、これらが結論に対し看過できないほどの重大な影響を与えている。本稿ではこれを明らかにする。

1 分析方法への疑問

(1)金利のない国ニッポン
 報告書では、いずれのシナリオにおいても金利をゼロと置き、配当金が発生することもなく、資本コストが一切かからないと想定している。このため、再生可能エネルギーのように固定費用の割合が大きく、変動費用の小さい投資が相対的に有利になっている。資本コストがかからないのであれば、初期投資が大きい原子力発電の競争力も高まるはずだが、そもそも段階的に廃止する前提なので、報告書ではそのような試算までは行っていない。
 しかし、資本コストがかからないのであれば、そのような資金需要に出融資する慈善事業家がいる訳がない。イスラム世界でも手数料や配当金といった資本コストがかかるのに、いったい地球上のどこでそのような経済システムが成り立つのだろうか。絶対にあり得ないことを前提とするようでは、試算としての意義が乏しい。
 実は資本コストの非計上は、次に述べるとおり、報告書の結論を成り立たせるための重要なトリックになっているのである。

(2)再エネでお得?
 報告書におけるコスト試算は、二つのWWFシナリオを実現するために必要な総費用ではなく、なりゆきケース(BAU)との比較による。このBAUは、日本エネルギー経済研究所の「アジア/世界エネルギーアウトルック2015」のレファレンスケースである。比較によるため、再生可能エネルギーの運転費用はゼロでなく、マイナスで表示される。このことをもって二つのWWFシナリオは「お得」であるという。
 具体的に「100%自然エネルギーシナリオ」においては、2010年から2050年までの設備投資費用が省エネに191兆円、再エネに174兆円の合計365兆円かかるとしている。その運転費用は、省エネにマイナス281兆円、再エネにマイナス168兆円の合計マイナス449兆円である。これにより差引き正味費用は、省エネにマイナス90兆円、再エネ5.9兆円の合計マイナス84兆円になる。
 また「ブリッジシナリオ」においては、設備投資費用が省エネに154兆円、再エネに143兆円の合計296兆円かかるとしている。その運転費用は、省エネにマイナス247兆円、再エネにマイナス146兆円の合計マイナス392兆円である。これにより差引き正味費用は、省エネにマイナス93兆円、再エネにマイナス3.5兆円の合計マイナス96兆円になる。
 注意を要するのは、正味費用がマイナスになるからといって、これが需要家に返金される訳ではないし、電気料金がゼロにもならないことである。BAUとの比較である。設備投資費用がかかる代わりに燃料費だけ電気代が抑えられ、他の投資や消費に充てることができるという意味である。
 もっとも、現実には資本コストを考慮すれば、これは事業計画として魅力に乏しいものである。なぜなら、設備投資費用に対する「お得」度を投資収益率で考えると、正味費用マイナス84兆円は23%、マイナス96兆円は32%に過ぎない。しかし、仮に金利が3%として、手持ちの資金を40年間複利で運用するだけで3.17倍、2%でも2.16倍になって戻ってくるからだ。
 これだけの差があれば投融資先として候補にならない。だからこの試算では金利がかからない前提にせざるを得なかったのだろう。

(3)送電・蓄電コストはどこへ
 資金コストがないのなら、潤沢に投資ができるのかと思えばそうではない。報告書では、太陽光発電システムの大幅なコストダウンを想定する一方で、送電及び蓄電コストはまったく考慮していないようである。これも二つのWWFシナリオを「お得」に見せかけるための重要なトリックである。
 確かに、送電及び蓄電コストを合理的に見積もるには困難がある。太陽光パネルや風力発電が既設の系統近くに都合良く設置できるか分からないし、たとえ接続できたても消費地までの送電容量が充分か不明である。蓄電コストも同様で、将来のコストダウンが見通せないし、蓄電サイトへの送電容量も不明である。また、報告書では余剰電力を利用して水素に変換することで実質的に蓄電し、燃料として有効利用することを想定するが、水素の消費先への輸送コスト又は水素製造設備への送電費用が発生する。
 しかし実は、2013年にWWFジャパンが発表した「脱炭素社会に向けたエネルギーシナリオ提案」の電力系統編(第四部)では、2050年にすべての電源を再生可能エネルギーで賄うことを前提として、必要な送電線、蓄電池や水素製造設備などの費用試算を既に行っているのである。なぜせっかくの試算を使わないのだろうか。
 この試算によれば、利用可能な揚水発電の規模が260ギガワット時であるという今回の試算と近似するケースにおいて、2050年までの累計で約25兆円の費用を見込んでいる。これを今回の設備投資費用に加算すれば、再エネの正味費用が「100%自然エネルギーシナリオ」で19.1兆円、「ブリッジシナリオ」で21.5兆円のプラスになる。どちらも「お得」でなくなるのである。
 このことは、再生可能エネルギーに有利な結論を偽装するために、送電及び蓄電のコスト試算を捨象したのではないかと疑わせる。

(4)世帯数データの誤り
 報告書では、日本の人口が2010年比で2050年に76%減少することや持続可能な社会への変化により、2050年の活動量が80%に低下すると予想している。そしてこれによるエネルギー需要の減少を二つのWWFシナリオで見込んで、なりゆきケース(BAU)と比較する。
 もっとも、人口が減少して世帯の人数が半分になったとしても、冷蔵庫、冷暖房、テレビのエネルギー消費量が半分になる訳ではない。家庭部門のエネルギー需要は世帯数に影響を受けると考えられるから、世帯数をどう見積もるかも重要である。
 実は日本の世帯数は、近年の高齢化や未婚の単身世帯の増加により、人口とは異なる変化を見せている。2010年から2016年にかけて日本の人口は12,806万人から12,693万人へ減少したが、住民基本台帳上の世帯数は5,336万世帯から5,695万世帯へ逆に増加を続けている。これは家計部門のエネルギー需要を増加させる要因である。
 二つのWWFシナリオでは、日本の世帯数が2010年から2050年にかけて5,378万世帯注1)から4,519万世帯へ単調に16%減少すると想定している。この出典は明らかでないが、中途の2020年を5,305万世帯、2030年を5,123万世帯とするのは国立社会保障・人口問題研究所の「将来推計」注2)と同一なので、これを基礎に減少トレンドを2050年まで延長したものと推測される。しかし、これでは近年の世帯数増加を充分に織り込んでいないことになる。
 しかも「将来推計」では、2010年の世帯数を5,184万世帯としており、住民基本台帳上の実績よりも3%少ない。さすがに「将来推計」が基本的な実績データの間違いを犯すとは考えにくいから、定義範囲が狭いと見るべきである。したがって、住民基本台帳上の実績に基づく2010年の世帯数と、これよりも定義範囲が狭い「将来推計」を延長させた2050年の世帯数は、データの連続性を欠く。定義の異なるデータを単純に並べて比較するのは誤りである。この結果、世帯数の減少を過大に見積もり、エネルギー需要の減少を過大評価している。
 なお、政府エネルギー需給見通しでは、2013年度比で2030年度の人口が8%減少するものと見込み、世帯数の減少は3%としている。WWF報告書では、政府のエネルギー需給見通しでは人口減少を考慮していないというが、これも誤りである。

注1)
住民基本台帳によれば2010年の世帯数は5,336万世帯が正しい。2011年と取り違える単純ミスと思われる。
注2)
国立社会保障・人口問題研究所「日本の世帯数の将来推計(全国推計)」(2013年1月)。ただし、この将来推計は2035年までのもの。
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