澤さんと国際環境経済研究所


国際環境経済研究所所長、常葉大学経営学部教授


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 私が澤 昭裕さんと初めてお会いしたのは、十数年前澤さんが経済産業省の環境政策課長、私がまだ住友商事で地球環境部長を務めていた時だった。当時、住友商事は京都議定書に基づく温室効果ガス削減事業に注力しており、インド、中国、ウクライナなど多くの国でCDM、JIと呼ばれるプロジェクトに関与していた。その過程で政府関係者との打ち合わせもあり、時々経済産業省にお邪魔していた。当時の澤さんはいつも忙しく、かなり怖い顔つきで仕事をされていた印象が残っている。
 その後、澤さんは東大に出向の形で移られた。澤さんからは、大学改革が本来の仕事とお聞きした記憶があるが、環境問題にも関心を持ち続けておられた。時々東大で温暖化に関するシンポジウムを開催され、私も呼んで戴いていた。当時の住友商事は日本初、世界で3番目のCDM事業を国連で登録することに成功し、排出削減事業に係る話があるシンポジウムには、事業者として結構呼んで戴いていた。
 澤さんは東大から戻られた後経済産業省を辞められ、ご実家の大阪のアパレル事業会社を継がれることになった。この時に、澤さんからは会社に係る様々な問題に時間を取られるので、他の仕事を手掛けるのは時間の制約からかなり難しいとお聞きしたが、結局、日本経団連の21世紀政策研究所のお仕事もされることになった。
 21世紀研の理事長を住友商事の宮原会長(当時)がされていたことから、私も澤さんと一緒に21世紀研で温暖化問題研究のプロジェクトに携わることになった。その後、私は住友商事を中途で退職し、大阪の大学に教員として勤めることを決めた。大阪の大学に移って間もなく、澤さんから連絡があった。内容は「関西経済連合会が、シンクタンク、研究所の設立を計画しており、それを手伝うことになった。その研究所のプロジェクトに携わって欲しい」とのことだったので、私も後にアジア太平洋研究所として設立される研究所の試行事業に携わることになった。
 私は、その後大学を変わり、静岡県の常葉大学で教鞭を取ることになったが、大阪のアジア太平洋研発足後には澤さんと一緒に研究プロジェクトを進めることになった。特に昨年度は関西地区のインフラ強靭化に関するプロジェクトのリーダーを共同で務めることになった。
 澤さんからは、さらに新しく温暖化・環境問題に関する言論の場を作りたいので参加して欲しいと声が掛かり、本国際環境経済研究所の設立にも他の何人かの方と一緒に携わることになった。 
 澤さんは、21世紀研、アジア太平洋研、国際環境経済研究所、全てにおいて責任あるお立場で研究所を牽引されておられた。また、研究に係ることは無論のこと、管理的な事項にまで踏み込まれ問題点を鋭く指摘されるのも常だった。東日本大震災以降は、環境問題に加え、エネルギー問題に関する発信も行うことになり、商社時代、環境問題に係る前の仕事としてエネルギー資源開発・輸入に長く携わった私にも、本研究所のホームページ用に原稿を書く頻度を増やすように澤さんから、ちょくちょく指示がくるようになった。
 昨年9月に体調を崩されてからは、澤さんが引き受けられていた講演をスケジュールが許す範囲内で、代わりにいくつか行うことになった。また、澤さんは体調が悪い中でも、学会のシンポジウムなどの代役に関する丁重なメールを関係者に発信されていた。残りの時間が短い中でも周りへの気配りを忘れない姿勢は、私にはとても真似できるものではなく頭が下がる思いだった。
 澤さんが本研究所を設立されたのは、企業で環境問題に携わっておられた方を中心に、環境・気候変動・エネルギー問題に関する意見を自由に発信する場が必要とのお考えからだったからだと理解している。小谷新理事長、理事、研究員の方と共に澤さんの遺志を継ぎ、本研究所の論考をお読みいただいた方に「役に立った。問題の論点がわかった」と思って戴けるような発信を続けたいと考えている。
 多くの方にお読みいただけるような発信の方法を、研究所のメンバーで今考えているところなので、さらに広く発信できるような体制を整え、併せて論考の内容もさらにブラッシュアップしていきたい。研究所への引き続きのご支援を賜れば幸甚だ。

所長 山本隆三(略歴に関しては常葉大学ホームページをご参照ください
http://www.tokoha-u.ac.jp/teachers/management/fuji/yamamoto_r/index.html



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