原子力容認・推進派は福島を語ってはならないのか

書評:開沼 博 著「はじめての福島学」


国際環境経済研究所前所長


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 東京電力福島第一原子力発電所(1F)の事故から既に4年以上が経つ。その事故の爪痕は、オンサイト、オフサイトともに、まだ癒えていない。私自身は、原子力は日本のエネルギー政策上維持しておくべきオプションであるとの考え方から、事故のあとも一貫して原子力の重要性を語ってきた。それ自体に後悔はない。
 しかし、そうした私を含む原子力容認・推進の人たちに対しては、「福島の現状を見て言っているのか」とか「地域をコミュ二ティもろとも破壊する危険性をもつことを無視するのか」、果ては「福島に住んでから物を言え」といった厳しい言葉が容赦なく投げつけられてきた。
 シンポジウムのような場やネット上では、議論をし始めるとキリがなくなることも多く、生産的・建設的な方向に向かうことがほぼ皆無だということもあって、結局は原子力容認・推進の人たちの方は口をつぐんでしまう。私も然りである。
 もちろん、私も1Fはもちろん、2Fや周辺地域に足を運んで実情を見ることは何度かしてきたし、復興の仕事を行政の側から携わっている知人などからも状況の推移を教えてもらったりはしている。しかし、その程度の聞きかじりの情報や知識では、福島のことについて何も語れないし、語る資格もないと自分で思いこみ、もどかしさを感じながらも、結局は言葉を飲み込んでしまう。
 原子力をこれまで政策的に推進してきた立場にいた人は、「贖罪」の意識を常に持ち、「反省」を表情や態度に出し、地元の住民の人たちからの怨嗟の声には「傾聴」の姿勢をとらなければならない、と反原発の人たちから迫られることを覚悟しなければならない。そして、その一つでも欠けると怒号を浴びせられることを覚悟しなければならない。
 1F事故による被害の広がりはチェルノブイリとは違う、懸念された放射線の健康への影響は大きくない、除染は効率的・重点的に行うことが望ましい・・・などと一言でも言おうものなら、原子力容認・推進の立場に近い人であればあるほど、その発言内容の真偽よりも、発言したこと自体の是非を倫理的観点から咎められるのである。
 「原子力発電事故に遭った人の気持ちは理解できないだろう」と非難まじりに言われることは多いが、私が「原子力発電事故の後に、(上記のような罵詈雑言の中)エネルギー政策上の原子力の必要性を言い続けてきた人の気持ちもできないだろう」と反撃することは許されていない。

 「おまえのような原子力を容認・推進してきた人たちが福島県民を犠牲にしたのだ」という命題が前提となっている間は、私は福島の復興問題に口を出せないのだろうか。福島の現実を「フクシマ」とわざわざカタカナにして象徴的な意味をもたせ、反原発運動や反体制運動の旗印にする人たちに対しても、何も言えないのだろうか。実際、福島を「フクシマ」と呼んで人質に取っているのはいったいどっちなのだ、という心の中の呟きを口に出してはいけないのだろうか。

 こうした心の葛藤をどう処理していいものか踠いてきた4年間だったが、最近その胸のつかえを下ろしてくれる本に出会った。それが開沼博氏の「はじめての福島学」(イーストプレス)だ。その本を巡って上野千鶴子氏との師弟対談が行われているのもネット上で見つけたが、この本を書いた動機を語る開沼博氏には、学者特有の「社会の現実を上から観察」的な姿勢はみじんも感じられず、今の福島の現状、日常を、データを使って丁寧に解説する意義をむしろ淡々と語る姿に、逆に凄まじい迫力を感じるのである。
 この本の最後の方に、福島の実情を先入観で勝手に思い込んでいないかを自己確認できるデータのクイズがまとめられている。実は、このクイズを使って、ある別の県の小学校教師の研修会で福島の実情への理解程度を試してみたところ、開沼氏が本書の中で語っているとおりの反応だった。つまり、全く実情とかけ離れたイメージの固着化である。このクイズの正答を紹介するたびに、「ほぉー」という驚きとも自嘲ともとれるような言葉にならない息が漏れるのだ。
 原子力推進派も反原発派も、一度このクイズを自分でやってみるとよい。多分、自分がいかに福島の現状に関する情報を集めたり、資料に当たらずに先入観でものを考えていたりしたことが確認できるだろう。
 また最後に「福島ありがた迷惑12箇条」という警告もまとめられている。例えば、「勝手に福島は危険だということにする」というような手合いが多いということに対する批判だ。「ありがた迷惑」ではなく「よけいなお世話」の方がニュアンスが合う項目もあるが、いずれにせよ、自分はそのうちの一つも当てはまらないと胸を張れる人は少ないだろう。

 しかし、この本が出たからといって、「ほら、ここに書いてあるとおり、福島はそんなにひどい状態じゃないじゃないか」ということが原子力容認・推進の人たちに許されたわけではない。原子力容認・推進の人たちは、これからも続く福島の復興への協力する責任を免れない。さらに、これから再稼働する原子力発電所の安全を脅かすような問題が少しでもあれば、それらを除去していくことも自らの任務だ。「原子力は必要だ」と評論しているだけで、背負っていかなければならない責任や仕事を回避しているような原子力容認・推進の人たちは不要だ。むしろ、原子力への信頼回復や将来の再活用にとって有害でさえある。
 私を含む原子力容認・推進の人たちにとって本書が世に出たことの真の意義は、福島の復興にとって今何が必要なのか、復興のための資源や投資は有効に行われているのか、賠償の内容や方法などのあり方は適切なのか、そうでなければ代替案としてどのような政策が必要なのかなどの重要な論点について、立場の違う人と冷静に議論できるための共通基礎情報が提供されたことにあるのだ。その点を肝に銘じなければ、開沼氏にありがた迷惑の第13箇条目を追加させてしまうことになるだろう。

20150623_book「はじめての福島学」 
著者:開沼 博(出版社: イースト・プレス )
ISBN-10: 478161311X
ISBN-13: 978-4781613116



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