東京電力法的整理論の穴


国際環境経済研究所前所長


 10月最終週に「朝まで生テレビ」に出た(その日は直前収録だったが)。原発政策がそのテーマだったが、自分の印象では、そのほとんどの時間が東京電力の法的整理論に関する議論に費やされたような気がする。出演者の方々のほとんどが法的整理に賛成で、私一人が消極的意見を述べ、周りから集中砲火を浴びた。
 そのときは例の「朝生」論戦なので落ち着いて議論する暇はなかったが、それ以降それぞれの出演者の方々が、それぞれのメディアで自論を展開しておられる。私もここに考えを整理しておきたい。どうして法的整理が難しいかだ。以下は既にその要約が11月29日付毎日新聞朝刊「論点」に載っているものである。

 いま東京電力の法的整理に踏み切れば、福島第1原発事故の損害賠償に支障が生じたり、廃炉作業を行っている事業者への支払いが滞ったりして、事故収束が困難になる。事故の直後なら法的整理も検討の対象になったかもしれないが、東京電力には、既に国が1兆円の資金を投入しており、法的整理よってそれを無に帰することはできないだろう。むしろ事態を混乱させるだけであり、当面は東電の再生を目指すべきだ。
 東電は国の支援を受け、損害賠償や除染などすべての事故処理費用を負担する。国から借りた資金は、今後の収益をもとに返済することになっているが、返済が合理的な期間内に完了する見込みを立て、社債市場に復帰して電力の安定供給のための前向きな設備投資を行う体力を回復することが東電の再生には不可欠だ。それには、損害賠償や除染、廃炉費用などの債務を対処可能な範囲に収束させる必要がある。
 損害賠償も期限を区切って決着させ、東電の賠償総額にめどがつくよう早期に債務を確定する必要がある。ただし、原子力損害賠償法による東電から個人への金銭補償だけでは、コミュニティの再生にはつながらない。現在政府で検討している追加賠償で移住のための住宅確保が可能となるが、一方で、帰還者も生活再建の心配なく元の地域に戻れるよう、雇用の場の確保やインフラの整備など、東電の賠償では不可能な事業に対して、国も大規模な復興予算を措置すべきだ。
 特に除染に関して言えば、合理的・効果的に作業を進めるには、どういう基準で、どこを優先してやるかという計画をしっかりと立て、その後の地域再生のための振興策も含めて総合的な対応を考えるべきだ。そのための費用については、東電のみならず国も負担し、現況を性格に把握している地元が、放射線の健康影響に関する国際的・科学的な知見を十分踏まえ、現場の線量水準に応じて、ベストだと考える選択肢を認めるようにすべきだ。費用を官民で分担することで、国側のモラルハザードを避ける効果が期待でき、効率的・合理的な除染事業実施にインセンティブを働かせることができる。
 廃炉に関わる事業を東電から分割して集中的に進めるべきといった組織形態の議論があるが、その前に事故収束のための作業の優先順位を定め、作業を効率的かつ迅速に進めることが先だ。汚染水対策ばかりに人材や資金を取られている今は、咳止めシロップで風邪の症状を和らげているようなものだ。汚染水は末端の症状に過ぎず、その原因を制御しないと病気は治らない。燃料デブリ(溶けた炉心の堆積物)など汚染の「もと」を除去するための作業が可能となるような環境整備が最優先課題である。そのためには、汚染水を環境に影響を及ぼさない程度まで希釈できたら海に流すといったことを決め、より優先される作業に経営資源を振り向ける必要がある。当事者ではこうした方針を決めることは難しく、国が政治的決断を積み重ねるしかない。
 また、廃炉を東電から切り離して別会社にすれば、現場のモチベーションは瓦解し、人材が流出するという現実的な懸念があり、むしろ廃炉作業の継続が困難となるだろう。作業に携わる人は、被曝線量の関係で長期間続けて働けないし、作業時間の累積で極限まで疲弊している。こうした状況に対処していくためには、当分の間、柏崎刈羽原発(新潟県)と福島第2原発とを併せて、人材を相互に異動させつつ最適配置を確保する必要がある。その間に長期的な人材確保策とトレーニングプロセスを構築していくことも検討しなければならない。分離論は、こうした諸点を考慮に入れた丁寧な案だとは思えない。
 さらに、いま東電を法的整理すれば、廃炉等事故収束に携わる事業者の取引債権の支払いがストップし、公的資金で今後の廃炉作業の一切を支えていくことが必要となる。そのうえ、燃料の購入先の海外企業は取引を停止したり渋ったりすることは確実だし、その他の電力安定供給関連設備の更新・修繕投資も不可能となるため、国が緊急融資や保証などで対応するしかなくなるが、そうした追加的な財政負担も覚悟する必要がある。今の枠組みがベストとは言わないが、次善の策として受け止め、この仕組みに沿って出口を探す努力をぎりぎりまで行うべきではないか。


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