炭素会計革命の落とし穴-「E-ledgers/E-liability」は本当に機能するのか


素材メーカー(環境・CSR担当)

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前回、「E-ledgers/E-liability」の概要について確認しました。今回はその課題や実効性について検証します。

実務面から浮き彫りになる致命的な欠陥の数々

このE-ledgersの理論と仕組みはとても美しいのですが、実務面では数多くの欠陥が思い浮かびます。まず、当該製品のグローバルサプライチェーンに属する全ての(製品によっては数万社に及ぶ)企業群が完璧な炭素簿記システムを導入し、1グラムの狂いもなく一次データを提供し続けなければ、炭素の積み上げが完成しません。

この欠陥を補うため、E-ledgers InstituteのFAQ では、一次データが得られない場合には信頼できる二次データ(credible secondary data)の利用を認める一方、その使用には時間の経過とともにペナルティを課す考え方が示されています。つまり、一次データを提出しない企業ほど不利になる制度設計をめざしているようです。

こうしたペナルティによって一次データの提出を促す設計は理想的にみえますが、サプライチェーンの最上流まで膨大な中小・零細企業が存在する現実を踏まえると、100%一次データに置き換えられる可能性は極めて低いと言わざるをえません。皮肉なことに、E-ledgers自身も「時代遅れの排出係数や平均値へ依存」し続けることになります。

また、炭素価格を積み上げるという市場メカニズムを成立させるための実務にも欠陥があります。炭素排出量の一次データを算定できないサプライヤーは必ず存在します。当然、炭素税額の申告も、顧客へ上乗せする炭素価格も設定できません。

E-ledgersもこの課題を認識しており、日々の商取引の時点で全ての炭素価格が一次データで揃うことは前提としていないようです。ハーバード大のカプラン教授らは論文「 E-ledgers Carbon Accounting」の中で、期中は暫定値や推計値によって台帳を運用し、期末決算のタイミングで実際の炭素排出量との差異を調整・確定させるという設計を示しています。また、E-ledgers InstituteのFAQでも、移行期間中は二次データを利用しつつ、段階的に一次データへ移行する考え方が説明されています(つまり、炭素価格に関しても会計年度内の一時的措置とはいえ二次データに依存することが前提となっている)。

期末に一括清算する方式であっても、「炭素の確定値」を出すためには、零細企業や町工場を含むすべてのサプライチェーン上の企業がE-ledgers制度開始初年度から炭素簿記を完成させ、監査法人の認証を受けなければなりません。通常の決算だけでも大きな負担となる中、正解のない炭素重量まで証明させることは、実務の現実を踏まえた制度設計とは言い難いでしょう。これが実現するのは、階層がとても浅いサプライチェーンに限定されます。

さらに、このE-ledgersは世界中のすべての国のあらゆる企業が「同時かつ一斉」に開始しなければ成立しません。もちろんそんなことは現実には起こり得ません。仮にE-ledgersが一部の国・地域から導入する場合の目的として、EUの炭素国境調整措置(CBAM)やEU-ETS(排出量取引)のようにカーボンプライシング導入済みの国から未導入の国に対して輸入製品へ『炭素関税』を課されるための回避策だ、とのロジックはあり得ます。すなわち、炭素会計を整備した地域から国際取引へ適用範囲を広げるという構想です。このロジックを前提とすれば、「日本もEUに高い関税を支払わなくてもいいように、国内企業を守るためのインフラとしてE-ledgersが必要だ」といった主張が出てくる可能性があります。

しかしながら、欧州の現実をみれば国をまたぐ炭素関税など機能しないことは明らかです。EU-ETSは2005年の開始当初から産業界への配慮として莫大な「無償排出枠」を配り続け、EU委員会側が縮小しようとするたびに産業界からの猛反発に遭って延期や緩和を繰り返すという「骨抜き」の歴史を歩んできました。2026年から本格稼働したCBAMについても、インフレを懸念するEU域内の産業界から不満が噴出しており、特に域内の農家からは肥料代が高騰するためCBAMの対象品目から除外してほしいとの請願も出ています。

EU域内の企業や農家に対してすら高負担を強いることができない炭素価格の仕組みが、国境を越えた強制力など発揮するはずがありません。案の定、2025年11月にブラジルで開催されたCOP30でCBAMは各国から袋叩きにあっていました。CBAMのために全世界がカーボンプライシングを導入するなどありえないのです。

財務会計は各国で制度が異なっていても成立します。しかし、E-ledgersはサプライチェーン全体で電子伝票が完璧につながらなければならないため一部の国・地域だけでは機能しません。「世界一斉同時開始」という非現実的な前提なしには炭素会計の連鎖など成立し得ないのです。

もしも局所的にE-ledgers導入を強行した場合、自国の産業が衰退します。膨大な手間暇がかかる炭素集計や価格転嫁の作業を事業者に課し、炭素税の徴収といった行政手続きを増やすなど社会コストの増大にしかならず、しかも炭素価格が積みあがった結果として物価が高騰し消費マインドは冷え込みます。現状の欧州CBAMがまさにこの未来を体現してくれています。

もうひとつ付け加えるならば、E-ledgersはカーボン・オフセットを認めています。この時点で筆者はグリーンウォッシングを確信しました。FAQでは「ただし本物の炭素除去が認められる場合に限る」「オフセットは実質的で耐久性のある除去を反映し、二重にカウントされてはならない」などの注釈があります。おそらく、 IC-VCM (Integrity Council for the Voluntary Carbon Market) が策定した Core Carbon Principles (CCPs) などを満たすいわゆる「高品質クレジット」を指していると思われますが、高品質クレジットであっても本質的にはすべてグリーンウォッシングなのです

せっかく測定も管理も可能なスコープ1に限定しているのに、カーボン・オフセットを認めてしまっては制度全体が台無しと言えます。

優越的地位の濫用や新たな下請けいじめに発展する可能性

万が一E-ledgersが取引条件の一つとして採用された場合、炭素伝票を提出できないサプライヤーに対し、取引減をチラつかせて対応を求める欧米の顧客や国内の川下企業が現れる可能性があります。この場合、零細企業であっても高額な専用ITツールの導入や排出量を集計・管理する力量を持つ実務担当者の養成、第三者による監査・保証対応などが必要となります。涙ぐましい努力の結果、炭素価格は上乗せできたとしても、炭素を集計するために投じた莫大なコストを製品価格に転嫁することは、現在の日本の下請け構造においては極めて難しいと言わざるをえません。

ただでさえエネルギー価格高騰や人手不足に苦しむ日本の中小・零細事業者にとって、炭素会計の強制は利益圧迫以外の何ものでもないのです。これは独禁法が禁じる「優越的地位の濫用」や下請法における「買いたたき」に抵触する可能性が極めて高く、新たな下請けいじめに発展する可能性があります(※)。さらに、大手企業であれば必ず開示しているサプライヤー倫理規定や企業行動指針、ESG憲章などで世の中に対して約束している「公正な取引慣行」を自ら破る行為にもなりえます。

実際に、現在でもサプライヤーに対して(強制・任意はともかく)スコープ1・2の算定や削減計画を求める企業は少なくありません。E-ledgers導入によって、こうした要求が製品単位の一次データ提出へ発展する可能性は十分に考えられます。

(※)米国ではこうしたネットゼロ、ESGの強制を「気候カルテル」「独占禁止法違反」「消費者保護法違反」の疑いがあるとして、複数州の司法長官が調査、召喚を実施しています。2024年頃から始まったGFANZ(Glasgow Financial Alliance for Net Zero)、NZBA(Net-Zero Banking Alliance)などの金融機関による脱炭素アライアンスへの取り締まりの結果、2025年にはほとんどのアライアンスが解散や活動停止に追い込まれました。金融機関に続き、2025年からはCDP、SBTiといった民間の脱炭素イニシアチブに対する取り締まりも始まっています。

第3回では、学術界における評価としてハーバード大学、エディンバラ大学、GHGプロトコルを運営する世界資源研究所(WRI)という三者の主張を整理するとともに、日本の産業界への影響について考察します。

第1回 スコープ3の次を狙う新たな環境ビジネス「E-ledgers/ E-liability」はこちら