「風評加害」と説明責任の作動不全
―15年目の情報環境を問い直す
林 智裕
福島県出身・在住 フリーランスジャーナリスト/ライター
東日本大震災・原子力災害から15年が経つ。この15年間、原子力災害に関する議論では、「風評被害」が行政からも住民からも繰り返し問題視され続けてきた。しかしながら、その発生構造や原因、それを取り巻く情報環境の問題については、必ずしも十分な分析が行われてきたとは言い難い。
とりわけ重要でありながら見落とされてきた視点がある。それは、風評の「受け手」ではなく「送り手」を含めた情報流通の構造的分析である。誰がどのような情報をいつ発信し、それがどのように社会に拡散・持続したのか。この問いへの応答なしに、風評問題の本質的解決は難しい。
本稿では、福島の原子力災害をめぐる言説環境を手がかりに、風評の持続を可能にする構造的要因の仮説として、説明責任(アカウンタビリティ)の作動不全に注目する。特定の主体を批判することが目的ではない。むしろ、公共的言説がどのような制度的条件の下で形成され、どのような場合に修正されにくくなるのかを検討することで、今後の政策と情報環境の改善に資する知見を提示したい。
風評被害と「送り手」の問題
一般に風評被害とは、事故や災害が大きく報道されることによって、本来安全とされる商品や地域が危険視され、消費や観光が減少することで生じる経済的損失を指す(関谷直也、2003)。関谷はこの現象を、リスク認知と情報環境の相互作用として分析し、「事実ではないが、人々がそう信じることで経済的損失が現実化する」メカニズムを明らかにした。
ただし福島の原子力災害では、「風評被害」の概念は論者によって曖昧、かつ広い意味に拡張され用いられてきた。経済的損失にとどまらず、差別・偏見・人権侵害をも含む社会問題として語られるケースも見られ、法務省や自治体など行政といった公的機関による人権啓発においても同様の用語拡張が見られる。
ところが、被害分析と対策も連動したとは言い難い。風評被害は「受け手側」の被害、特に本来の経済的影響については販売データ推移などの量的記録と分析などが進んだ一方で、「人権侵害」など拡張された概念に付帯する質的分析と原因──すなわち、具体的にいつ、いかなる言説がどのように形成・流通されるかという「送り手側」の分析には課題が残されたままだ。たとえば、以下5つの問いに対し、どこまで具体的に答えられるだろうか。
(1)どのような言動があったのか?
いつ、どこで、誰から、何に対し、どんな言動があり、どの程度影響があった? どこに記録・検証・公開されている? 無いならば何故やらない(できない)?
(2)誰が風評を起こしている?
消費者の素朴な不安とそれに忖度した流通?その根拠は? 偏見や誤解している人がそう思うに至った情報源は? 何に影響されて誤解している? 発生流通の調査分析・公開はどこまで進んでいる? 進んでいないならば、何故やらない(できない)?
(3)風評が続く原因は?
「正しい情報や丁寧な説明が足りない」からなのか? だとすれば誰に向け、どの程度、どのような内容が、なぜ足りないのか? その根拠は?
(4)「正しい情報」がなぜ伝わらない?
「正しい情報さえ伝われば風評は解消される」前提は正しいのか? そもそも受け手は「正しい情報」「風評の解消」を求めているのか? 聞く耳を持たず情報伝達を歪める勢力、デマには何も対策できない(しない)のか?
(5)従来の「風評対策」の妥当性に対する根拠・検証は?
何を根拠に決定されてきた? どれだけ効果があった? いつ誰が検証する?
これら5つの問いは、15年を経た今も十分に答えられていない。その背景には、送り手側の検証を可能にする制度的条件そのものが十分に機能してこなかった構造的問題があるのではないか。誤解や不正確な情報が特定の言説によって生じているのであれば、その発信過程を検証することは本来不可欠なはずである。
つまり、「送り手側」の分析という課題が残されている。その一因として、かつては現代のようなSNSなどの情報通信手段が充分に発達しておらず、情報の発生や流通といった送り手側の可視化手段が限定されていた、研究手法の困難さがあった事情も考えられる。いずれにせよ、風評被害に対する行政の対策も、「正確な情報を発信する広報活動や産品の販売促進」など、受け手側への対応ばかりに集中してきた。
こうした「風評対策」に対しては、既に5年前に福島原発事故10年検証委員会(民間事故調、2021年)から明確に問題提起が為されていた。事故調はこれまでの風評対策に対し、「風評という曖昧な概念を場当たり的に捉え、対策を打ち出してきた」「販売促進であっても、風評被害対策ではない」と指摘し、送り手を含む問題構造の分析欠如と「事なかれ主義」の体質を問題視した。しかしながら、この指摘から5年を経た今も、「何を根拠に風評対策が決定され、どれだけ効果があったのか」という検証は行われていない。福島県が昨年、2025年8月に「ALPS処理水の海洋放出や廃炉作業における新たなトラブルの発生等による風評のリスクがあり、粘り強く継続した風評払拭の取組が必要」として掲げた「福島県風評・風化対策強化戦略」を見ても、事故調の問題提起が全く反映されていない状況は明らかと言えよう。(図1)
風評によって原子力災害で情報環境に多大な混乱がもたらされ、そうした言説の発生や拡散に少なからぬ政治家、マスメディア、知識人、著名人なども積極的に関わった。ところが、それらには体系的な記録も残されず、発信者が謝罪や訂正をした例も極めて限定的に見える。
なぜ、記録は残されず誰も責任を問われないのか。そこには、発信者個人の資質だけではなく、構造的な問題があるのではないか。
説明責任という分析枠組み
この問題を検討するため、著者は2026年3月19~20日に開催される東日本大震災・原子力災害第四回学術研究集会において、政治学者マーク・ボーヴェンスの説明責任論を参照した仮説を口頭発表する予定となっている。以下に、その問題意識と簡単な概要を記す。
ボーヴェンスは説明責任を「行為主体が、自らの行動についてフォーラム(審査主体)に説明し、その評価を受ける制度的関係」と定義し、①行為主体、②説明を求めるフォーラム、③説明義務、④評価・制裁可能性、⑤情報アクセス条件の五要素から成る枠組みを提示している(Bovens, 2007)。
この枠組みに従えば、報道機関や政治家など公共的影響力を持つ主体は、社会からの検証に応答する構造的義務を負う。説明責任は単なる倫理規範ではなく、民主主義の情報環境を維持する制度的メカニズムである。フォーラムが十分に機能するとき、行為主体には誤情報の発信を抑制し、誤りを訂正するインセンティブが生じる。逆に、フォーラムが機能不全に陥るとき、そのインセンティブは失われる。
この枠組みを援用し、過去に著者が行った政治家・行政機関・報道機関への公開質問および取材対応の記録を整理した結果、説明責任回避には一定のパターンが見られた。なお、本研究における「風評加害」とは、(1)事実誤認を促す表現、(2)科学的知見の無視、(3)不適切な因果関係の示唆、(4)正確な情報伝達を妨げる言動、の四類型として定義する(林、2022・2024)。
分析の結果、説明責任回避のパターンとして、(A)具体的な質問に対して長期にわたり回答が行われない「応答不作動」、(B)事実の一部のみを訂正し核心的論点には答えない「選択的応答」、(C)制度的手続きによって問題提起そのものを審査対象外とする「制度的遮断」、の三類型が確認された。これらは単独でも複合的にも機能し、説明責任を求める経路を実質的に閉ざす。
この検討から導かれたのは、風評問題を単なる「誤解の問題」として扱うだけでは説明できない現象である。また、風評の送り手側にアカウンタビリティ構造が十分に作動しない環境において持続・増幅される言説現象である可能性も示唆された。行為主体が評価に晒されず、フォーラム側も十分な情報条件を欠くとき、誤情報の発信抑制および訂正のインセンティブは構造的に生じない。すなわち、「風評加害」とは単純な虚偽情報の流通現象ではなく、公共的環境における説明責任がどのように機能しているかという、より広い制度的問題として捉え直す必要がある。
福島で可視化されたこの問題は、特定の地域や原子力固有の事象ではない。気候変動・感染症対策・安全保障など、あらゆる社会的リスクに関わる言説空間に通底する課題であり、今日ではSNSや生成AIによって情報生成・拡散の速度が飛躍的に高まっている。こうした環境では、誤情報の訂正よりも拡散の方が早く進む傾向があり、送り手の説明責任が機能する制度的条件の重要性はむしろ高まっている。
震災から15年。誰がどのような情報を発信し、それがどのように社会に影響したのかを記録・分析・公開する作業は、出来事そのものを記録することと同じ重みを持つ。風評をめぐる議論はその出発点として、今こそ本格的に問い直されるべき重要なテーマである。なお3つの類型の詳細な事例分析については、学術研究集会での発表を経た後に、機会が許されれば改めて論じたい。
参考文献
Bovens, M. (2007). Analyzing and Assessing Accountability: A Conceptual Framework. European Law Journal, 13(4), 447–468.
関谷直也(2003)「『風評被害』の社会心理――『風評被害』の実態とそのメカニズム」『災害情報』No.1, pp.78–89.
福島原発事故10年検証委員会(2021)『民間事故調最終報告書』
林智裕(2022)『「正しさ」の商人 情報災害を広める「風評加害者」は誰か』徳間書店.
林智裕(2024)『「やさしさ」の免罪符 暴走する被害者意識と「社会正義」』徳間書店.














