イデオロギー偏向に沈んだ「情報災害」対策(3)


福島県出身・在住 フリーランスジャーナリスト/ライター

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前回:イデオロギー偏向に沈んだ「情報災害」対策(2)

世論にも事実にも背を向けた独善

 少なからぬマスメディアが偏向したイデオロギーによって客観性・中立性を逸脱し、自分達の独善を「疑いようのない正しさ」であるかのように既成事実化させようとしてきた。その実態を更に裏付ける一例として、昨年の処理水放出の前日、2023年8月23日付けの全国各紙の社説を挙げよう。

 この時、すでに科学的安全性の周知は進み、世論は地元福島県も含め海洋放出容認あるいは賛成が多数となっていた。
 その一方で、新聞業界では「海洋放出反対」の主張が相次いだ。具体的には北海道新聞、中国新聞、信濃毎日新聞、神戸新聞、琉球新報、共同通信、東京新聞、しんぶん赤旗、京都新聞、新潟日報、西日本新聞、高知新聞、朝日新聞、毎日新聞、河北新報、沖縄タイムス、日本農業新聞の17社が「反対」の立場を明確にし、中には「井戸に毒」を彷彿とさせる科学的なリスクをほのめかすものまであった。それに対し、賛成は日本経済新聞、読売新聞、産経新聞、そして地元紙の福島民友新聞、たった4紙のみだった。

 世論との乖離は原子力政策への賛否にも顕れている。2022年8月24日、岸田文雄首相は首相官邸で開いた「GX(グリーントランスフォーメーション)実行会議」(議長・首相)において、次世代型原発の開発・建設や原発の運転期間延長について「年末に具体的な結論を出せるよう検討を加速してほしい」と指示した。同じ日に読売新聞が報じた世論調査(全国の有権者3000人を対象とした郵送方式。回答率69%)注1)によれば、原発再稼働に「賛成」が58%、「反対」が39%となり、2017年の調査開始以来初めて賛成と反対が逆転している。
 ところが、この状況でも新聞業界の多数派は「脱原発こそ疑う余地無き正しさ」であるかのような主張を繰り返した。以下、24日の岸田総理の指示を受けた翌25~翌々26日にかけて賛否を明らかにした新聞各社の社説や記事を提示する注2)

【反対】

『電力「危機」あおり政治決断、一気に原発回帰 福島事故の教訓どこへ/考え直すべきだ(朝日新聞)』
『福島の反省を忘れたのか(毎日新聞)』
『国民に一層の危険 許されない(しんぶん赤旗)』
『唐突な政策転換、被災者らに十分な説明なく(東京新聞)』
『反省なき回帰 認められぬ(京都新聞)』
『福島事故の教訓どこに(北海道新聞)』
『議論の形跡なき方針転換(西日本新聞)』
『唐突な政府方針に違和感(新潟日報)』
『立地地域、国策不信は消えぬ(河北新報)』
『福島県の教訓忘れるな(福島民報)』
『唐突な表明に疑問募る(中国新聞)』
『新増設は認められない(信濃毎日新聞)』
『事故の教訓を忘れたのか(神戸新聞)』
『乱暴な方針転換だ(高知新聞)』
『不信感は置き去りだ(南日本新聞)』
『なし崩しは許されない(沖縄タイムス)』

【賛成】

『方針の大転換を歓迎する(産経新聞)』
『安全重視で着実に進めよ(日経新聞)』
『脱炭素・エネ安保、両立に期待(日刊工業新聞)』

 我が国の主権者は国民である。首相は民主主義的選挙を経て国民から選出された議員の代表であり、正しく国民の代表と言える。ところが、国の将来を左右する首相の方針や国策判断に対し、多くの新聞社が示し合わせたかのように「考え直すべき」「認められない」「許されない」などと一方的に断じ、干渉しようとする。しかも、今や「反原発」は主権者たる国民の、多数派の民意に反している状況であるにもかかわらずだ。彼ら彼女らが掲げる「正しさ」は、何に担保されているというのか。

日本のジャーナリズムが事実より優先するもの

 WJSA(Worlds of Journalism Study Association)が発表している、世界67か国・27500人以上のジャーナリストへのインタビュー調査結果注3)が参考になる。アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、ロシア、中国、日本のジャーナリストたちが、どういった姿勢で報道に携わっているのかの回答比較を見てみたい。

 「事実をありのままに伝えることが重要」と回答した比率は、欧米各国がすべて90%以上であるのに対し、日本は65.1%に留まった。これは中国83.8%、ロシア78.7%よりも低く、7か国で最低のスコアだ。
 また、「人々が意見を表明できるようにする」についても、米76.6%、独72.1%、露59.2%、中59.8%に対し、日本だけが24.3%と極端に低い結果となった。
 逆に日本のジャーナリストたちが最も重視するのは、「政治リーダーを監視・精査する」(90.8%)、「時事問題の分析を提供する」(84.7%)、「人々の政治的意思決定に必要な情報を提供する」(83%)の3つとなっていた。
 さらに特筆すべき点がある。米11.3%、英15.1%、仏15%、独9.8%、露18.2%、中29%に過ぎない「政治的アジェンダを設定する」が、日本だけ60.5%と突出し、「事実をありのままに伝える」(65.1%)に迫る勢いとなった。
 これらの傾向から、日本のジャーナリズムはこう見做すことが可能だ。

権力の監視と時事問題の分析、人々の政治的意思決定に必要な情報提供こそがジャーナリズムと捉え、それは事実をありのままに伝える責務以上に優先される。
民意を軽んじ、人々が意見を表明できるようにすることへの関心は極端に低い。
政治的アジェンダ設定も人々に代わりジャーナリズムが主導するべきで、それは事実をありのままに伝える責務に比肩するほど重要な役割と考えている。

 
 無論、この調査自体の信頼性や妥当性に議論の余地は残る。しかし、これらの傾向こそ、まさに前回の終段に示した<「何が被害か」「誰が救われるべき弱者か」「問題の優先順位」「どのような振舞いが在るべき正しさか」など、社会における「正しさ」や「免罪符」を創作・支配・独占できる、指導的権力を志向した顕れ>が可視化されていると言えるのではないか。
 だからこそ、福島の原子力災害においても「日本のジャーナリズムは政治リーダーを監視・精査することに拘泥して、恣意的なアジェンダ設定を繰り返しては世論を誘導し続けた。それらに不都合な事実は伝えず、それに伴う被害や当事者も蔑ろにされ、深刻な風評加害や人権侵害が問題視すらされず放置されてきた」実態に繋がったと見做すこともできるだろう。

 「公正と中立性を逸脱し、事実からも国民世論からも背を向けた独善で政治的主張を繰り返す」──。これまで示したマスメディアの実態は、本連載記事に通底する主題『社会に強い影響力を持つ地位と役割を任された人々が、偏向したイデオロギーによって社会的責務を放棄したことで、「情報災害」対策が機能不全に陥った』との仮説に強い説得力を与えるものだ。
 彼ら彼女らが「疑いようのない正しさ」であるかのように掲げる主張の出所や正当性、妥当性、専門性は、必ずしも事実や客観性が担保されない。むしろ、ときに事実以上に「正しさ」が優先される。それら独善に付帯して起こる不利益に責任を取ることは一切無い。
 反原発運動一つを挙げても、彼ら彼女らは電力や資源確保が危ぶまれる喫緊の課題には全く関心も責任も持たない。原子力への恐怖と忌避感情を煽るため、運動の一部が用いた被災地を貶める虚構やスティグマ(負の烙印)に苦しめられた当事者には見向きもしない。それどころか、当事者からの不都合な告発を貶めて無力化しようとさえする。

 このような不公正かつ独善的な権力に、いわば「報治主義」に、社会の舵取りを任せてはならない。しかし残念ながら、彼ら彼女らが広めた何ら正当性を担保しない「正しさ」の影響は、確実に社会を蝕み続けている。これまで国や民意は少なからず不合理な選択を取り、多大なリソースの空費を強いられてきた。
 その代償は被災地への偏見差別のみならず、昨今の電力不足や電気代高騰、莫大な国富の海外流出、地方で乱開発され放置されるメガソーラー、日本の原子力産業や技術の衰退など、次世代も含めた多くの一般国民にのしかかっている。

注1)
https://www.yomiuri.co.jp/election/yoron-chosa/20220824-OYT1T50195/
注2)
https://seisenudoku.seesaa.net/article/editorial_20220825.html
https://seisenudoku.seesaa.net/article/editorial_20220826.html
注3)
https://worldsofjournalism.org/country-reports/