泥沼化した風評問題、3つの理由と教訓無き「対策」


福島県出身・在住 フリーランスジャーナリスト/ライター

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 IAEAは、放射性物質の大半を多核種除去設備(ALPS)で除去した後、タンクに貯蔵されていた処理水を昨年3月に採取。IAEAが持つ複数の研究所のほか、フランス、韓国、スイス、米国の独立した研究施設がそれぞれサンプルを分析し、東電の分析と比較した。その結果、東電による測定の精度は高く、サンプルの採取手順や分析方法も適切と判断した。

 共同通信が5月31日に伝えた注1)

 東京電力福島第一原子力発電所からのALPS処理水(以下処理水)海洋放出が間もなく本格化する。この作業は廃炉に不可欠である一方、強硬な反対運動や妨害、風評拡大の懸念によって先延ばしにされてきた。
 処理水の安全性と妥当性は実測データの他、IAEA査察からも十分に示されている。先日行われた広島サミットでは主要7ヶ国(G7)も海洋放出の支持を明言し、日本の国内世論も地元を含め賛成と容認が多数となった。具体的には昨年12月の調査注2)で処理水海洋放出に賛成する意見は福島県在住者(50.9%)、岩手県・宮城県・茨城県在住者(49.3%)、全国(46%)となり、インターネットメディアが5月25〜26日にかけて全国10〜60代男女1000人を対象に行った別の調査注3)でも「積極的に行うべき」「仕方ない」が合わせて77.5%となっている。反対意見が圧倒的多数であった数年前を思えば、「やっとここまで来た」状況と言えるだろう。理解浸透に尽力した全ての関係者に深い敬意を表したい。

処理水が泥沼の社会問題化した原因の本質は何か

 ただし、海洋放出の目途が立ったことを以て問題の解決と見做すべきではない。そもそも何故、安全性に全く問題ない処理水が泥沼の社会問題化したのか。原因の本質を解明して広く共有・対策しない限り、同様の被害は今後も繰り返されるだろう。

 「被害」があるからには、それを引き起こす「加害」も当然存在する。この問題の背景には、前回の記事注4)で言及した「風評加害」、すなわち客観的に示された事実や標準的な科学知見を一方的に無視あるいは否定した流言飛語や陰謀論、仄めかしによる印象操作などの不安煽動活動がある。それらは多くの人に事実やリスクを誤認させ、処理水や被災地への忌避感情を広め、当事者に無用なハレーションと風評や偏見差別などの不利益をもたらし、対策のための莫大な追加コストとリソースの空費を社会に強いて復興を妨害した。
 これら「風評加害」の原因は、安全に関わる情報の不確実性や発信不足といった事実関係の是非が本質ではない。それは数々の「風評加害」実例の分析からも明らかだ。彼らは「当事者の不安や怒り」「予防原則」などを盛んに強調して風評加害を正当化した一方、不安払拭に繋がる正確な情報発信や科学的事実の周知を全く歓迎しなかった。それどころか、事あるごとにそれらを叩き潰して無力化しようとさえした。
 この記事注5)でも幾つかの実例を示した通り、情報の伝達や放送をのらりくらりと拒否したり、発信された情報や発信者に対し不当な言いがかりやレッテルを付けたり、些末な揚げ足を取って炎上させ、まるで「情報発信側に深刻かつ致命的な問題がある」かのような印象を与える喧伝などを繰り返した。あるいは事実や科学知見など客観性を前提とする議論から逃げて論点を逸らし、少数派の迷信や陰謀論、「お気持ち」印象論などに過度な焦点を当て続けた。

 さらに深刻なのは、第三者然としながらそれら風評加害を陰に日向にサポートし続けた「風評温存勢力」だ。一見して「冷静」「中立」を装いつつ、その実は福島に対する風評、偏見差別や人権侵害に苦しむ当事者と問題解決に極めて冷淡かつ他人事であった。
 仔細は拙著『「正しさ」の商人』注6)に記したが、彼らは被害者と情報発信側にばかり片務的な努力と忍耐、コスト、完璧な礼儀、加害側への配慮と批判の抑制を一方的に求め続けた反面、被害者を踏み躙る流言飛語や不安煽動を無視あるいは軽視・免罪し、とうに決着が着いた議論さえ何度も蒸し返した。「素朴な不安」「被害者の心情」「両論併記」「全ては事故を起こした国と東電の責任」「言論や表現の自由」などもっともらしい理由を掲げては加害者側の迷信や暴力を科学的事実や被害者の苦しみと等価、あるいは上位に並べて相対化した。
 挙句、それら「風評加害・温存」活動への抗議や反論、被害を訴える声には「分断を助長する」「科学や知識の一方的な押し付け」「理解が得られない」「かえってデマを宣伝するだけ」「原発を誘致した自業自得」「福島に関わろうとする人を遠ざける」に類した詭弁、政治経済学者のアルバート・O・ハーシュマン(Albert Otto Hirschman)が言う「反動のレトリック」注7)や心理学者のウィリアム・ライアン(William Ryan)が指摘した被害者非難(Victim Blaming)
注8)を弄して批判者や被害者側に不当な罪を着せて悪魔化し、事実上の加害者擁護と風評偏見差別の拡大・温存を図った。

「風評加害」が拡大・温存された背景

 なぜ、一部の勢力から「風評加害」の拡大・温存がこれほど執拗に望まれたのか。結論を言えば、背景にある利害関係に他ならない。知っての通り、あらゆる社会問題には「問題の拡大・温存こそが利益に繋がる」利害関係者も少なからず存在する。特に原発事故においては、

1.
反原発や政権批判などの政局、体制の破壊や脆弱化目的の情報工作(政治闘争)
2.
災害と社会不安に便乗した売名、金銭や地位などを得る詐欺ビジネス(悪徳商法)
3.
自己顕示欲や逆転願望の発露、偏向した権威・派閥・コミュニティ内での保身的な踏み絵やポジショントーク、陰謀論等(承認欲求)

 上記3点を目的とした場合、風評払拭やそれに協力する行為が不利益に繋がることに留意する必要がある。風評を減らすためには、これらの目的を達成する手段としての風評加害を「割に合わない」状況に追い込むことが不可欠だ。

 ところが、国や福島県など行政がこれまで行ってきた「風評対策」にはこうした実情が全く考慮されていない。「消費者と流通業者に正確な情報が届いていない」「正確な情報さえ伝われば誤解や偏見が解ける」かのような震災直後と変わらぬ想定の基、受け手の善性に依存しきった情報発信ばかりを繰り返した。
 その一方、「風評加害」の存在はまるでタブーであるかのように言及すら避けて野放しにした。法的措置どころか毅然とした抗議や反論さえ無きまま、現場を悪意と誹謗の矢面に立たせ続けてきた。2016年の熊本地震では「動物園からライオンが逃げた」とのデマ発信者が速やかに逮捕されている。同じ災害時のデマ対応でありながら、あまりにも対照的と言えよう。
 令和4年9月の福島県議会定例会注9)も象徴的な一例だ。渡辺康平県議が「(数々の風評加害に対し)知事からは残念だという言葉はあれども断固抗議するという強い答弁はありません」「本県のリーダーたる知事自ら風評加害と戦うという強い意志を示すことです」と訴えた質問に対し、内堀雅雄福島県知事は「国に対し(中略)さらなる理解促進に全力で取り組むよう強く訴えております」「県民の皆さんや共感してくださる方々と今後も力を合わせ風評の克服に力を尽くしてまいります」と答えるに留まっている。
 これら一連の対応は風評加害側に「低リスク、低コスト、高リターン」の状況を生み出し、事実上のインセンティブを与えてきたに等しい。言うならば、振り込め詐欺の予防啓蒙を一般人に呼びかける一方で、犯人グループに対しては検挙どころか捜査すら放棄してきたようなものだ。

 ALPS処理水は間もなく海洋放出される。実際には汚染リスクなど無い以上、かつての豊洲市場「汚染」問題がそうであったのと同様「何事も無かったかのように」、この問題はやがて人々から忘れ去られることだろう。
 しかし、日本社会ではこの問題から「風評加害」防止の教訓を得るどころか、泥沼化した要因と背景の分析すらほぼ進んでいない。必然的に、これまで処理水を「汚染水」呼ばわりして利益を得た勢力は何ら責任すら問われぬまま、すでに除染で出た土壌を処理しての再利用を「汚染土」呼ばわりしながら次のターゲットへと移行を始めている。このままでは処理土も処理水と同様、あるいはそれ以上の泥沼化によって社会はさらなる犠牲と負担を強いられる未来が目に見えている注10)

 「風評加害」の負の連鎖を断ち切るものは何か。誰がその役割を担うべきか。
 次稿では、それらにより深く踏み込んでいきたいと思う。

 なお本稿で言及した「風評加害」については、拙著『「正しさ」の商人 情報災害を広める風評加害者は誰か』でより具体的事例と共に詳細に記しているので、ぜひ併せてご参照頂きたい。

注1)
https://nordot.app/1036643843412378529?c=39550187727945729
注2)
https://www.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/563661.pdf
注3)
https://sirabee.com/2023/05/31/20163086634/?fbclid=IwAR04XCxIEEutl6puyYbMGY4UryKUHh0be-aQurfhaga0Bg5Q5jCpetcEcdY
注4)
https://ieei.or.jp/2023/03/special201706050/
注5)
https://gendai.media/articles/-/103215?page=4
注6)
https://ieei.or.jp/2022/05/takeuchi220525/
注7)
https://www.h-up.com/books/isbn978-4-588-00554-1.html
注8)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A2%AB%E5%AE%B3%E8%80%85%E9%9D%9E%E9%9B%A3
注9)
https://www.youtube.com/watch?v=Q-9yKJsq0-Y
注10)
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/29682

「正しさ」の商人 情報災害を広める風評加害者は誰か
林 智裕 著(出版社:徳間書店
ISBN-13:978-4198654412