EUの農民デモと環境問題


キヤノングローバル戦略研究所 研究主幹

印刷用ページ

EU農民は何に怒っているのか?

 ヨーロッパで農民のデモが多発している。

 2022年オランダで起きたデモは、2030年までに家畜糞尿などから発生するアンモニアガスを半減するというオランダ政府の政策に畜産農家が反発して起きた。これはEU規制を遵守するためにオランダ政府が採った政策だったが、厳しい規制によって廃業させられると主張する農民に同情が集まった。2023年3月には、この反対運動から生まれたオランダのポピュリスト政党、「農民市民運動党」が選挙で大勝し、議会上院の第一党になった。

 2023年末ドイツでは、ディーゼル燃料に対する課税について農業用の優遇措置が地球温暖化対策として廃止されることなどに対して農民が抗議し、ベルリンの主要幹線道路を大型トラクターで封鎖した。これに対してドイツ政府は一定の譲歩を示している。

 2024年に入って、フランス南部トゥールーズで発生したデモがフランス全土に拡大した。フランスでもドイツと同様、農業用ディーゼル燃料の税控除が段階的に廃止されることへの反発がある。また、生物多様性を守るための休耕義務や農薬や肥料の使用制限などのEUの環境規制が農家経営を圧迫していることに反対している。厳しい環境規制を受けないEU域外国からの輸入農産物と同じ土俵で競争することは適切ではないという主張もある。

 しかし、デモに参加した農民の抗議先は環境規制だけではなくさまざまである。フランスの農民は、農産物の大輸出国であるブラジルやアルゼンチンが加盟する南米関税同盟メルコスールとの間でEUが自由貿易協定を締結しようとすることに反対している。

 ロシアによってウクライナの穀物輸出が制約を受けていることから、EUはウクライナ産の農産物を暫定的に関税なしで輸入する道を広げた。フランスだけでなくポーランドなどの農民は、エネルギーなど生産要素の価格が上昇して生産コストが上昇しているのに、ウクライナ産農産物の輸入拡大が農産物価格を押し下げていることに反発している。

環境規制を強めるEU

 このように、各国のデモにはそれぞれの国の事情があって、必ずしもまとまりがあるものではない。ただし、大なり小なり、EUが強力に推進しようとする環境規制に対する反発がある。

 EU(前身のECを含む)は1962年に共通農業政策と関税同盟を完成した。関税同盟とは域内の関税を撤廃するとともに域外には統一した関税を適用するものである。EUはフランスの農業と(西)ドイツの工業との結婚だと言われる。ドイツ産業界はヨーロッパ市場を我が物とできる関税同盟を欲し、農業国フランスは強力な農業政策の確立を望んだ。食料を自給できないドイツは、東西ブロックの成立によって東ヨーロッパからの食料供給を絶たれたため、フランス農業の発展を支持した。共通農業政策と関税同盟はEUのコーナーストーン(礎石)だ。

 1993年に改革が行われるまで、共通農業政策の基本となるものは共通市場と単一の価格支持政策だった。当初、高いドイツの価格水準で域内の農産物価格を統一したうえ、価格支持水準を1970年代から1983年にかけて一貫して引上げた。このため、生産量は大幅に増大して深刻な過剰が発生し、補助金をつけて国際市場でダンピング輸出した。これがアメリカとの間で深刻な補助金競争を巻き起こし、ウルグァイ・ラウンド交渉の原因となった。過剰処理はEU財政にも大きな負担となった。また、価格が高ければ、肥料や農薬をより多く使用する。これらへの対応から、1993年EUは穀物等の支持価格を引き下げ、面積当たりの直接支払いを導入した。今日では農家保護のうち価格支持は2割を切っている(日本は依然として8割程度)。8割以上が直接支払いだ。

 ウクライナについては、EU加盟交渉が認められている同国が実際にEUに加盟すれば、その農産物は関税なしでEU域内に流通する。現実の被害は理解できるが、筋の通った反対ではない。

 フォン・デア・ライエン欧州委員会委員長(行政府の長で日本の首相にあたる)のもと環境対策を積極的に推し進めようとするEUは、2019年地球温暖化対策として2050年までに温室効果ガスの排出ゼロを目指す「欧州グリーンディール」を打ち出した。農業については「農場から食卓まで戦略(Farm to Fork Strategy)」が定められ、2030年までに肥料を20%削減、化学農薬を50%削減、農地の25%を有機農業にするなどの目標が定められた。また、生物多様性のために農地の4%を休耕することが義務付けられた。

 気候変動・環境等の法令順守を農業直接支払いの受給条件とするとともに、気候変動・環境へのさらなる取り組みを行う農業者には上乗せ支援を導入した。共通農業政策予算の4割は気候変動・環境対策に向けられる。また、加盟国は単にEUの規則を遵守しているだけではなく、成果を挙げることが求められている。EUの農民には、これが農業生産コストを上昇しかねないという不満がある。
 

EU農民と環境問題

 しかし、EUの農民が地球温暖化ガス削減や環境保護に反対していると決めつけるのは間違いだ。欧米では、近代農業は、肥料、農薬や糞尿をばらまき、それが地下水を汚染し、温暖化ガスの発生の原因にもなることから、環境に悪い影響を与えるとする見かたが一般的である。農地当たりアメリカの10倍ほどの農薬を散布していても、多くの人が農業は環境に良いと根拠もなく信じている日本とは異なる。

 過去には、硝酸性窒素によるヘモグロビンの酸化により血液が酸素を運べなくなって生後6ヶ月位の乳児が死亡するというブルーベビー現象が生じている。日本と異なり、降雨量が少なく、かつ川が広大な地域をゆったりと流れるヨーロッパでは、家畜糞尿、農薬や化学肥料などが土地、河川、地下水等に残留しやすい。EUの窒素規制を守らないオランダで農民に同情が集まったのは、ライン川が同国ロッテルダムで海に注ぐという地理的な条件にあり、内陸の国と違い、海に流せば地下水は汚染されないという特別な状況があったのだろう。

 アメリカでもEUでも、農業は地球温暖化の加害者であると同時に被害者であり、必要な対策を講じなければ、農業生産自体を継続できなくなるかもしれないという認識がある。多くの農家が共和党を支持しているアメリカで、炭素隔離に役立つ非耕法や被覆作物が自発的に取り組まれている。EUで農民デモが起きるのは、その規制が急進的かつ押付け的すぎて彼らの経営を圧迫しかねないことに懸念を表明しているからだろう。

 しかし、少し環境対策に前のめりになっている感はあるものの、フォン・デア・ライエンとしては、農民デモは心外だろう。共通農業政策の改革は各国政府や欧州議会と協議の上実施しているものであって、彼女が独断で行ったものではないからだ。

なぜEU市民は農民の主張に寛容なのか?

 1990年代以降、EUの加盟国が増加し、かつ共通通貨ユーロ導入などEUの権限が拡大するにつれ、市民の間で、選挙で選ばれていないブラッセルのEU官僚に支配されることは問題だとする意見が大きくなった。このため、まず各国で政策を行い、それで十分でない場合にEUが対策を講じるという“補完性の原則”が確認された。

 それでも、移民対策などでイギリス独自の法律や政策を講じられないことによる不満がブレグジットにつながった。フランスなどでも、難民の受け入れ問題などから極右政党はEUから離脱すべきだという主張を行うようになっている。農民の主張にEU市民が寛容なのは、ブラッセルで決められた政策を押し付けられることに対する反発が背景にある。

 共通農業政策は域内単一の市場を原則とするので、各国が独自に補助等を行えば競争力に差が出てきてしまう。各国独自の政策を禁止するのが共通農業政策だった。しかし、農業についても、補完性の原則に従い、基本原則を崩さない範囲で、できる限り各国政府の裁量を認めるようになった。EUは農業環境対策でも各国独自の政策を奨励している。しかし、行き過ぎると共通農業政策の基本原則を崩す恐れがある。ある程度はEUによる押しつけにならざるを得ない。

 他方で、共通農業政策の恩恵を受けてきたことをよくわきまえている農民も、デモが行き過ぎとなることは控えるだろう。特に、財政的に豊かなドイツ等からのEUへの拠出金の恩恵を受けている東欧などの農民にとって、共通農業政策がダメージを受ければ大幅な保護の削減につながる。これは農業に限らない。所得の低いこれらの国にとっては、イギリスと違い、EU離脱という選択肢はない。