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ポスト終末論的気候政策へようこそ

気候政策は急速に新しいフェーズに移行しており、それは良い兆候である


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翻訳:キヤノングローバル戦略研究所 研究主幹 杉山大志 

本稿はロジャー・ピールキー・ジュニア記事を許可を得て翻訳したものです。

この数週間、私は、ある共通の傾向を示す重要な以下の出来事に気づいた。

  • BMW の最高経営責任者が、同社は電気自動車のみの生産に移行する際、一人の雇用も削減しないことを発表したこと。
  • インド政府が、10基の原子力発電所を一斉に建設し、着工から完成まで5年を目標にすると発表したこと。
  • 米国において、一部の州や公益事業者が、石炭発電所跡にモジュール型原子炉を設置することを主張していること。
  • また、米国ではバイデン大統領が、連邦所有地での石油・ガス掘削を禁止するという2020年の選挙公約を撤回し、今後は化石燃料掘削のための土地を追加開放すると発表したこと。

 世界中で起きている一見バラバラなこれらの出来事に、どんな共通点があるのだろうか。
 それは2つあり、どちらも重要である。第一に、世界的なエネルギー転換が順調に進んでいること、そしてそれが今後も続くことを反映した個々のデータであることがある。第二に、カーボンフリーのエネルギー生産・消費技術は、世界経済においてその役割を増しているが、その展開が遅れると、地政学的あるいは経済的な影響が生じ、化石燃料がすぐにそのギャップを埋めるということだ。これはまさしく鉄則と言える。

 これはほんの数個のデータに過ぎないとはいうものの、世界のエネルギーシステムの進化をモデル化する様々なアプローチによって、完全な線画を描き予想することができるだろう。以下に示す、大気中の二酸化炭素を回収・貯蔵する企業Stripeに勤める気候科学者Zeke Hausfatherのツイートでは、2100年までの気候予測に関する最近の膨大で増え続ける文献を有用に要約している。現在の政策と公約に基づいた世界のエネルギーシステムの現状と方向性についての最新の推定に基づいて予測している。図では、最近の研究を発表日順に紹介しているが、2100年の地球気温が3℃近くから2℃未満に低下するというトレンドを容易に見ることができる。少し前までは、この中心的なトレンドとしては3℃を超える気温上昇が考えられており、IPCCをはじめとする多くの人々は、「いつものように」気温上昇が4℃や5℃に向かって進んでいると信じていたのだ。このニュースレターの読者の皆さんにとっては、このような極端な未来が訪れる可能性について、認識が変わってきたという朗報は、驚くにはあたらないでだろう。IPCCでさえも、このような見方をするようになってきたのである。

 気候に関する最近の朗報を誰もが受け入れる準備ができているわけではないが、世界は今、「ポスト終末論的気候政策」とでも言うべきものに移行していることは事実である。それはつまり、千年王国的な時代の終わりへの予想ではなく、より現実的で実用的な、現在進行中のエネルギーシステムの前向きな流れを維持する方法とその流れを加速する方法を前提とした気候政策への移行である。

 もちろん、視点の変更はなかなか受け入れがたいものである。私たちはすでに、ポスト終末論的気候政策の必要性を新たに理解する際のさまざまな反応を見てきました。 私が見てきたいくつかの事例は次のようなものである。

終末論の保持

 気候変動擁護運動の中核にあった終末論を手放すことは、その上にキャリア、政治、人間形成を築いてきた人々にとっては難しいことだろう。未来の不確実性を強調することで、終末論の可能性を持ち続ける人もいる(これは疑心暗鬼の商人か)。終末論的な未来は「除外」できないと主張する人々がいる。だが彼らは、そのような未来を「除外」するとはどういうことなのかについては語ってくれないので、気をつけたいものである。終末論的な未来が我々の進むべき道であると考える人はほとんどいないが、終末論的な未来を一見もっともらしいものとして保持することは、より可能性の高い未来に焦点を当てたより有意義な政策議論から注意を逸らしてしまう、よくある修辞的戦術なのである。

ゴールポストの移動

 終末論を存続させるもう一つの戦略は、単に終末がいつ起こるかを再定義することである。4℃や5℃の上昇が温暖化の「いつもどおり」の未来として宣伝されたとき、2~3℃の温暖化の未来は政策の成功例として強調されていた。最新の米国気候評価(NCA)では、2100年までに5.5℃も温暖化するという極端な気候シナリオ(RCP8.5)を政策の失敗として提示したが、これはまさにこの枠組みの明確な例として見ることができる。しかし、NCAはいわゆる「緩和シナリオ」(RCP4.5)を定義し、このシナリオがそもそも2℃を「超える可能性が高い」と予測しているにもかかわらず、政策の成功例として提示したのだ。

 今日、現在の政策と誓約は、2℃から3℃の間の下限(あるいはそれ以下)の気温上昇に留まるという未来に向かっている。そして、それと並行して、終末論の境界も低く定義されるようになった。一部の人々は、破滅的な未来は3℃で発生すると考え、2℃あるいは1.5℃を破滅の境界値として推進する人々さえいる。例えば、先月、IPCCの最新報告書が発表された後、国連事務総長のアントニオ・グテレスは、破局の境界を2℃と定義し次のように述べた:「もし、同じことをさらに続けるなら、1.5℃に別れのキスができるだろう。これ以上同じことを続ければ、1.5℃にさよならを告げることができる。2℃でさえ、手が届かなくなるかもしれない。そしてそれが終末となる。」終末論とは、かつてのようなものでなくなっているのだ。

政策の失敗の支持

 未来の終末論という考えを維持するための第三のアプローチは、未来の政策の失敗という考えを支持する(あるいは少なくとも推進する)ことである。もちろん、将来の政策実施を前提にした希望的な気候の未来予測は、その政策が実施される必要があるという前提のもとに行われるものである。それがシナリオの本質であり、政策目標を達成するために何をすべきかを理解する助けとなる。しかし、もちろん、このような条件付のシナリオは、常に存在する。例えば、気候の終末という概念を裏付けるために使われた最も極端な気候シナリオ(RCP8.5など)も、政策の実施を条件としていた。この場合、政策立案者が意図的に世界のエネルギーをすべて石炭に転換しようとするという想定であった。しかし、そのようなことは決して起こらず、世界経済の脱炭素化が進む可能性の方がはるかに高いと思われる。

 では、終末論に思いを馳せる代わりに、我々は何をすべきなのか。私は次の3つの提案をしたいと思う。

 第一に、私たちは気候の破局という表現を超えなければならない。過去にどのような役割を果たしたにせよ、今やそのような表現は障害となる。じつのところ、時間が経ち、破局の境界値が低く定義されるにつれて、終末論者は自分たちの権威を失墜させる舞台を整えつつある。現在、世界はすでに約1.2℃にある。もし1.5℃が破局の境界値であるなら、そのような未来が現実の世界となるのは、今のところそう遠くない時期といえるであろう。IPCCは1.5℃(あるいは2℃)上昇の場合でも終末論的な未来を予測していない。そこで、ある日、人々が目を覚ましたとき、予想されていた終末が訪れていないことを知れば、何らかの疑問を持ち始めるかもしれない。もちろん、将来の気候変動は真剣なリスクをもたらす。パンデミック、地政学、農業、人口など、グローバルな問題におけるあらゆる種類のリスクに、社会は、役に立たない千年王国的な戯画に変えることなく、対処している。気候変動も、もちろん、不真面目に扱うには程遠い、あまりにも重要な問題である。

 第二に、私や同僚が「迂回的な気候政策」と呼んでいるものをさらに推し進める必要がある。世界のエネルギーシステムの脱炭素化を加速することは、気候以外の多くの理由からも意味があることを認識することである。例えば、次のようなことである。

 欧州は、ロシアからの化石燃料への依存が、経済的、地政学的に大きなリスクをもたらすことを最近悟った。化石燃料への依存を減らし、国内またはパートナーからのカーボンフリーのエネルギーに依存することで、これらのリスクは劇的に減少する。

 価格変動(およびエネルギー価格の上昇)が経済的・政治的混乱につながることは、世界各地で確認されていることである。食料価格の上昇による不安定化であれ、燃料価格の上昇による政治的影響であれ、信頼できる安価なエネルギーがより大きな政治的安定を促進することは明らかである。

 しかし、私たちが毎日享受しているエネルギーサービスを、世界中の膨大な数の人々が利用できないでいることも忘れてはならない。エネルギーの供給拡大への要求は、世界の地政学と国政の課題として継続する。新たな地政学的リスクや経済的変動、国内政治的紛争を引き起こすことなく、エネルギーサービスへのアクセスを拡大するには、信頼性が高く、手頃な価格の供給へのアクセスを拡大することが必要である。その供給源は、実行可能な代替エネルギーが許容可能なコストで容易に入手できない限り、化石燃料となるのだ。
 
 もちろん、エネルギー政策への現実的なアプローチを支えるこれらの理由のそれぞれが、世界経済の脱炭素化を加速させるというノックオン(相乗的な)効果をもたらすのであれば、それに越したことはない。かかるポスト終末論的気候政策はまた、より頑強な政策になる。なぜなら、それは行動を正当化する複数の理由に支えられているからであり、「恐ろしい気候の未来」が単独ですべての重荷を背負う必要はなくなるからだ。ゆがみの伴う政策の複雑化により、政策の選択肢を理解し、開発するために必要な関連専門知識の多様化も必要になってきている。気候の終末論のイメージを維持することは、単に未来をどう見るかということだけに関係するのではない。未来を形作るための知識を提供する権力の座に、いったい誰が座っているかということにも関係する。

 全体として、気候政策がポスト終末論的な方向へ向かうことは良いことである。脱炭素社会を実現するためには、単一問題から複合問題への転換が必要である。1960年代と1970年代に認識された世界的な「人口危機」が、「人口過剰」に焦点を当てた問題から、女性の権利、教育、農業生産性、民主主義など、一見「斜め」に視点を当てた、迂回的ないくつかの問題に変化したという枠組みの先例がある。人口に関する問題は、終末論的な枠組みは置き去りになったとはいえ、2022年においても極めて重要な問題である。気候変動も同じような道をたどっているように思える。