反原子力運動の本当の担い手は誰なのか


Founder and Executive Director of Breakthrough Institute/ キヤノングローバル戦略研究所 International Research Fellow

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翻訳:キヤノングローバル戦略研究所 研究主幹 杉山大志 

原文は Breakthrough Institute 掲載記事で、許可を得て翻訳掲載する。
https://thebreakthrough.org/blog/the-true-face-of-the-anti-nuclear-movement

 原子力反対運動の担い手として、ふつうに想像されるのは、「原子力は要らない」の看板を掲げた市民やヒッピーたちであった。
 そのような戯画は、原子力推進派が、原子力反対派を「進歩を拒否する反対屋」と決めつける意図で利用された。また逆に、多くの「真面目な」原子力懐疑派が原子力推進派を「ヒッピーに暴力を振るう原子力利権団体」だと非難するのにも利用された。また同時に、その「真面目な原子力懐疑派」が、反原子力運動が長年にわたって行ってきた極端な主張や荒唐無稽な誇張から、世間の常識に従って、距離を置くためにも利用されてきた。

 しかしながら、実際には、今日における反核運動の真の姿は、弁護士や学者、ジャーナリストなど、高い資格を持つ「進歩的な」政策決定者である。そして、彼らはしばしば原子力には全く反対していないと主張している。そして、原発の問題点は、映画「チャイナ・シンドローム」に描かれているようなメルトダウンのリスクではなく、原発の建設費があまりにも高すぎることだと主張している。

 このことを思い出したのは、アリソン・マクファーレンがフォーリン・アフェアーズ誌に寄稿した原子力エネルギーと気候変動に関するエッセイへの返答を書いた後のことだ。
 マクファーレンは、オバマ大統領の2期目の原子力規制委員会の委員長で、上院院内総務のハリー・リードがオバマ大統領を説得して、明らかな反原発のイデオロギーを持つグレゴリー・ジャスコを委員長に任命した後、混乱した広報活動の後始末をするために、すぐさま任命された。マクファーレンは、1970年代半ば以降、原子力の将来に対して、良くても無関心、悪くすれば敵対的な態度をとってきた進歩的なエスタブリッシュメントにとって、より優しく、穏やかで、合理的な人物に思えた。

 原子力への敵意は、ほとんどの人、環境保護主義者でさえもが地球温暖化を知らなかった時代にさかのぼる。冷戦時代、アメリカとロシアが何千発もの核弾頭を互いに向けていたため、放射線が人体に与える影響は十分に理解されていなかったにもかかわらず、進歩主義者や環境保護主義者は、原子力エネルギーは化石燃料よりもはるかに悪いものだと考えていた。

 今日においては、環境保護主義者や進歩主義者は、その焦点を気候変動に移し、その解決策として、完全ではないまでも、風力や太陽エネルギーを主な動力源とする未来を推進している。しかし、このビジョンの原点は、気候変動が大きな問題となるよりもずっと前からあった。1970年代半ばにエイモリー・ロビンスが提唱した「ソフト・エネルギー・パス」は、化石燃料の代替ではなく、原子力エネルギーの代替として提案されたものだった。
 ロビンズは、ソフトエネルギー政策を推進するために自身が設立したロッキーマウンテン研究所とともに、実際に1980年代までの長い間、原子力や大規模な集中型電力網に代わる分散型電力システムの一部として、家庭用の小型「石炭」火力発電機を提唱していた。

 残念ながら、政治的・イデオロギー的なコミットメントは、エネルギーシステムと同様に経路依存性がある。70年代の原子力反対運動を支えた背景や事実のほとんどは劇的に変化したにもかかわらず、多くの進歩的・環境的エリートの間では、原子力に対する敵意は変わっていない。

 今日、生物圏と人類の繁栄に対する環境上の脅威は、原子力ではなく化石燃料であることが明らかになっている。一方、60年以上にわたり、原子力発電は安全な運用が行われてきたという素晴らしい実績がある。そして民間用の原子力発電の開発が核兵器の拡散につながるという証拠はほとんどない。他方で、何十年にもわたって公的な支援や補助金が提供され、太陽電池パネルや風力発電機の製造コストが大幅に改善されたにもかかわらず、電力網を風力や太陽エネルギーだけでまかなうことがすぐにできるとは依然として考えられない。その一方で、過去10年間に何十もの原子力発電所が閉鎖されたが、原子力反対派の主張とは異なり、クリーンなエネルギーである原子力の大宗を再生可能エネルギーで代替することはできないことが明らかになった。

 しかし、進歩主義者や環境保護主義者は、他のクリーンエネルギー、特に風力や太陽光を補完するという位置づけであってすら、いまなお原子力を否定する理由を繰り返し述べている。ここでマクファーレンの話に戻ろう。

 フォーリン・アフェアーズ誌に掲載された彼女の最初のエッセイは、誤解を招く議論を含んでいた。私や他の著者のいくつかのエッセイに対して、彼女はそれらの主張の多くを否定した。しかし、もっと大事な事は、マクファーレンは、長年にわたって行われてきた原子力に敵対的な政策を、原子力技術そのものに内在する課題への対応として表現する一方で、彼女を含めた「進歩的な」専門家や官僚がその政策形成に果たしてきた能動的な役割を隠蔽していた。

 彼女をNRCに据えた民主党員の間では、マクファーレンがNRC委員長になるための第一の資格は、ユッカマウンテン核廃棄物処分場の規制への適合性について批判的な論文を発表したことだった。長きにわたって、ユッカマウンテンに反対することは、民主党がNRC委員長に指名するか否かを決める主要な「リトマス試験」であった。上院の民主党議員だったハリー・リードは、ユッカマウンテン計画が中止になるまで、先進的な原子力技術の開発に関するすべての真剣な提案を阻止することを主張した。このため、先進的な原子力の実証と商業化に対する連邦政府の政策支援は20年以上にわたって停滞した。

 ユッカマウンテンについての賛否はともかく、私が言いたいのは、ごく最近まで、進歩主義者や環境保護主義者にとって、気候変動やクリーンエネルギー技術の解決策としての原子力は非常に遠い存在だったため、民主党の原子力に関するあらゆるアジェンダは、ユッカマウンテンの建設を阻止するための努力に終始してきた、ということである。マクファーレンは、学者としてだけでなく、NRCの議長としても、1世代以上にわたって原子力の革新と普及を阻む活動に参加してきた。この延長上で、今でも、気候変動から「十分な速さ」で私たちを救うためという理由があったとしても、原子力を建設すべきではない、と主張している。マクファーレンが言う「十分な速さ」とは、温暖化を産業革命以前のレベルから1.5℃に抑えるために十分な早さで排出量を削減する、ということだ。冷静に考えれば、これは原子力があろうとなかろうと実現不可能であるのに、それでもなお原子力を否定するというのは、おそろしく不誠実な行為である。

 さらに言えば、マクファーレンが一時的に座っていた規制機構全体が、何十年にもわたって原子力の革新を妨げる、主要な障害物となっている。NRCの使命が70年代半ばに定義され、委員会がその使命を解釈し、その解釈に基づいて構築された規制と官僚主義のブラックホールのようなプロセスにより、1975年の委員会発足以来、新型原子炉を商業化することは、先進的なものであれ、そうでないものであれ、事実上ほぼ不可能となっているのだ。

 これらの政策は、原子力や軽水炉といった技術の特性に内在するようなものではなかった。議会が定めたNRCの使命は、原子炉の「安全性のみを考慮し、コストや実用性は考慮しない」というものだったが、これは意図的な選択だった。これにより、NRCは、どんなに僅かな放射線であっても、すべての被曝リスクを規制することになり、事業者は対処を余儀なくされることになった。
 限りなくゼロに近い潜在的な被ばく量を規制することは、実際の人間の集団では観測されないような限りなく小さい理論的なレベルのリスクを規制することを意味するにもかかわらず、それを選択したのだった。化石燃料であれ、風力や太陽光であれ、代替技術によるエネルギー供給に関連するリスクを明示的に考慮することなく、原子力についてだけはあらゆるリスクを考慮するという決定が選ばれたのだ。

 マクファーレンは、こういった意図的な選択の中にじつはどっぷりと漬かっているからこそ、NRCが最近進めている許認可プロセスの簡素化を真顔で称賛することができるのだ。実際には、ウェスチングハウス社とサザンカンパニー社は、ジョージア州にあるボグル発電所のAP1000型原子炉2基の設計認証と運転ライセンスを取得するために、10億ドルの費用と10年近くの時間を費やした。これだけの大金と長い時間が、既存の大型軽水炉を改善するだけの為に必要だった。

 最新技術だと手続きは更に面倒になる。NuScale社は、NRCへの小型モジュール軽水炉の許認可申請を開始してから10年以上が経過し、12,000ページに及ぶ設計申請書を提出してからも5年と5億ドルを費やしたにもかかわらず、ようやく設計認証を受けたばかりであり、最良の状況下でも運転ライセンスの取得にはさらに数年を費やすことになる。これは馬鹿げている。なぜなら、物理学的に言って、この新しい小型の軽水炉は、核分裂性物質の使用量が大幅に少なく、大型の軽水炉よりも破局的な事故のリスクがはるかに少ないからだ。
 
 原子力の時代が始まった当初から明らかだったのは、各国が原子力を必要と判断した場合、安全かつ合理的なコストで原子力を利用できるようなプログラムや規制を導入することができるということであり、それはこれまでも繰り返し行われてきた。これは、フランス、韓国、日本、さらにはドイツ、そして今日では中国でも同じである。だがアメリカは常にある程度、例外的な存在であった。1960年代と70年代に行われた大規模な原子力開発は、他国の様にエネルギー安定供給のためではなく、冷戦の目玉として行われたものだった。米国には、常に豊富な化石燃料が存在していた。やがて環境保護者たちの原子力に敵対的な意見が、徐々にエリート全体の意見になって広がると、石炭、そして80年代後半からは石油とガスという、CO2の観点から見れば汚いとはいえ、安くて豊富な代替手段が使われるようになった。

 原子力への敵対的な意見は、いままた変わりつつある。中道左派の人々は、気候変動への懸念から原子力が必要だと考え始めている。また天然ガス価格の大幅な上昇や、再生可能エネルギーの不安定な供給の現実を目の当たりにして、エネルギー価格への懸念が一般的に高まっていることも、原子力への好意的な意見を増やしている。いま原子力が直面している敵対的な規制や政治的環境の中においてすら、原子力無しでゼロカーボン電力供給網を整備することは、原子力を使う場合に比べて、はるかにコストがかかるからだ。

 だが問題は、気候変動への取り組みに最も熱心な人々が、じつは原子力に対して最も敵対的な人々だ、ということだ。そしてもう1つの問題は、原子力が広範な商業化のために直面している障害を克服できるか、という点について、最も懐疑的な高級官僚や専門家こそが、実際にはそれらの障害のほとんどを構築した人々でもあることだ。この原子力に敵対的な政治エリートこそが、多くの中道左派の一般人が従う理屈を提供し、大学、環境NGO、民主党の政治、そしてNRCにも深く浸透している。米国において、原子力発電所を存続させ、米国経済の大幅な脱炭素化に向けた取り組みにおいて、ほぼ確実に役割を果たすためには、彼らに立ち向かう必要があるのだ。