テクノロジー楽観主義 VS テクノクラート(官僚)楽観主義【3】

インフレ抑制法成立一周年にあたって


Founder and Executive Director of Breakthrough Institute/ キヤノングローバル戦略研究所 International Research Fellow


Deputy Director at Breakthrough Institute

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監訳:キヤノングローバル戦略研究所 研究主幹 杉山大志  邦訳:木村史子

本稿は「On the Difference Between Techno and Technocratic Optimism: The Inflation Reduction Act at one」を許可を得て邦訳したものである。

前回:テクノロジー楽観主義 VS テクノクラート(官僚)楽観主義【2】

急がば回れ

 進歩的な気候変動戦略の推進者たちが、いったいどの程度うまくいくと想像しているのか、これは定かではない。結局のところ、彼らの戦略は、バイデンが2期目に勝利すること、EPA規制が最高裁で生き残ること、そして、新たな重要鉱物資源の開発、新たなサプライチェーンの急速な拡大、有利な地政学的条件、消費者行動の大幅な変化、州および連邦レベルでの国内立地と許認可の改革、さまざまな技術における大規模な技術革新とコスト改善(その多くは商業的に実証されていない)など、数十の不確定要素が10年の間に順調に解決されることにかかっている。

 もしこれが気候変動に対処する最後の、そして最良のチャンスだとしたら、その成功率は決して高くない。

 だが、もちろんこれが最後のチャンスというわけではない。もし最新の進歩的な気候変動への政策が、その政治的、経済的、技術的な重圧によって崩壊したとしても、気候変動の問題を救済する重要なチャンスは残されている。これは「最後のチャンス」の後の「次善(next best)のチャンス」だ。

 このチャンスを活かすためには、まず、あらんかぎりの最大限を要求する進歩的な熱意こそが、じつは気候変動対策の進展を損なう可能性があることを、冷静に見極める必要がある。そして、米国経済の長期的な脱炭素化には巨大な不確実性が伴い。米国の二大政党制においては連邦政府が党派支配され絶えず入れ替わる。この二点に関して頑健性のある気候変動政策を追求する決意が必要である。

気候政策の原則

 気候政策を進めるにあたっては、5つの原則を指針とすべきである。

1.
規制改革は、新たな温室効果ガス排出規制よりもはるかに大きく米国の脱炭素化を加速させるだろう

 環境保護庁(EPA)の新しい発電所排出規制案の分析を注意深く見るだけで、今日エネルギー転換の大きな障害となっている連邦環境規制法の変更が、新たな排出規制よりも米国の脱炭素化の促進に関してはるかに大きな可能性をもっていることがわかる。EPAは、提案されている新しい発電所規制によって、2035年には年間約3,600万トン、2045年には年間1,900万トンの排出量が削減されると見積もっている。これとは対照的に、連邦政府の許認可・立地政策を改革し、更に、EPAの標準ケースで想定されている新たな送電容量の追加を実現するべく送電網政策の改革を進めるならば、2030年代初頭までに年間10倍以上の排出削減をもたらす可能性が高いのである。

 それにもかかわらず、EPAの発電所規制と自動車排出規制は、バイデン政権と全米の環境保護団体にとって明らかに優先事項となっている。とくに環境保護団体は、おそらく連邦エネルギー規制委員会(FERC)による送電規則の変更に加えて、連邦環境規制政策のあらゆる有意義な改革に一枚岩になって反対している。

2.
イノベーションが温室効果ガス規制をリードすべきである

 気候変動にどう対処すべきか、30年にわたる取り組みの中で繰り返し学んだ教訓があるとすれば、それは、米国であれ世界全体であれ、低炭素の未来への手段を「規制」で実現することはできないということだ。炭素排出削減は、大気汚染物質の規制とは異なる。化石エネルギーの燃焼は、現代生活のあらゆる場面に絡み合っている。つまり、経済的、行動的、技術的な変化は、予測することが難しい形で排出の状況に影響を及ぼすのである。

 このような複雑さと不確実性に直面したとき、規制は謙虚な姿勢で臨むことが、気候政策立案の際には有効である。規制が成功するのは、単に技術が実用化されていると想定するのではなく、技術開発を加速させることに重点を置くときである。よく練られた性能基準と導入基準は、研究開発活動の意欲を高め、業界全体の知識の波及を調整し、新興技術の導入を加速させることができる。最高裁の判断がどうであれ、フェンスの内側にとどまるという命令を単に文字通りにではなく真摯に受け止めることで、排出規制を、今後の技術開発に関しての極めて憶測的な仮定ではなく、商用化された技術の漸進的な改善に結びつけることができる。そうすることで、経済的に合理的な競争力があれば、よりクリーンな技術に移行するための経済的インセンティブを適度に確立しながら、既存の化石燃料ベースの技術をクリーン化してゆくことができるだろう。

 これは、エネルギー経済の変革(トランスフォーム)を強制的に引き起こす大規模な外力ではない。だがそのようなものは必要ない。政府の役割は、イノベーションへの投資を支援することである。これは過去70年間、米国経済のさまざまな分野で繰り返されてきた。

3.
補助金はイノベーションのためであり、温室効果ガス削減のためではない

 公共投資と補助金の目的は、クリーンエネルギーを実質的に助成金なしで安くすることであるべきで、炭素の買い取りに使うことではない。

 優れた設計の補助金は、配分的効率ではなく、動的効率を最大化し、長期的にはそれ自体が不要となるものである。原子力発電所の商用化につながった連邦政府による700億ドルの投資や、シェールガスへの300億ドルから400億ドルの投資は、その時間断面での経済分析であれば、排出量を削減するための極めて非効率的な方法と見なされただろう。しかし今日では、数年前にわたしたちが行った計算では、排出量1トン当たり5ドル以下という、歴史的に見ても非常に安い脱炭素化投資となっている。

 そして、こうした補助金は、原子力やシェールガスの商用化のごく初期段階で、数十年の間に打ち切られた。このような形ではなく、補助金を、比較的成熟した技術を広く普及させるための強制的なメカニズムとして利用するならば、技術革新と脱炭素化の両方を損なう可能性がある。

 例えば、今日、風力や太陽光発電の継続的拡大のための補助金の継続よりも、はるかに重要なことが幾つもある。それは許認可や原子力規制委員会(NRC)の改革、送電インフラの整備、より良いエネルギー貯蔵技術や、変動する再生可能エネルギー発電をバックアップするクリーン発電技術の技術開発への投資などだ。このような、技術の受容を可能にする政策や技術が不在な状態で、再生可能エネルギーに対する補助金を続けると、どうなるか。「コスト病環境主義(cost-disease environmentalism)」を引き起こす可能性がある。風力発電や太陽光発電の過剰な建設にインセンティブを与え、その販売する電力の価値を低下させると同時に、風力発電や太陽光発電を電力網に統合するコストを電力会社や料金支払者に転嫁することになりかねない。

 EV補助金についても同様に、自動車メーカーが、現在のEV需要の中心である高所得世帯ではなく、アメリカの自動車市場で最も広い中間層をターゲットにして、手頃な価格と走行距離の電気自動車を技術開発するようなインセンティブを与える政策を用いた方がよいかもしれない。より積極的に、車が一台しかない世帯、公共および商業フリート、および自動車の利用時間の長いドライバーをターゲットにするのだ。

 補助金は、技術コストと性能の接点に的を絞れば、クリーンエネルギー技術の革新と初期段階の商用化を促進するうえで重要な手段となる。しかし、新技術への全面的な移行を奨励することによって温室効果ガスの排出削減を達成する目的で補助金を使用する場合、コストが高くつき、非常に非効率的である。

4.
産業政策と温室効果ガス政策は同じではない

 インフレ抑制法(IRA)の可決後、温室効果ガス排出量を迅速に減らすためにクリーン・エネルギーを拡大することを目的とした条項の多くが、他の、産業政策の目的を持った条項によって、その効果が損なわれてゆくことがすぐに明らかになった。サプライチェーンや製造業のインショア化、高賃金・労働組合雇用の促進などである。加えて、限界的な地域社会がクリーン・テクノロジーへの公共投資から恩恵を受けるようにするという規定、クリーン・テクノロジー産業で圧倒的な強さを誇る中国に対して米国の依存度を下げることを目的とした規定もある。

 中国のサプライチェーンや重要鉱物を使わないことは、短期的には多結晶シリコンソーラーパネル、バッテリー、電気自動車のコストを必然的に上昇させる。 労働組合の労働力を使用し、限界的なコミュニティに直接的な利益をもたらすことが要求されるとなると、低炭素の重要なインフラの導入に関連する時間と取引コストは増加する。

 これらの目標はすべて、産業政策としては正当な目標である。だがそのどれもが、政権が設定した排出削減やクリーン技術導入の目標やタイムフレームとの整合性は無いように見える。つまり、短期的・中期的な脱炭素化に対して最大限の要求をするというコミットメントは、「クリーンエネルギー投資によって雇用と製造業をオンショア化し、電力部門を超えて脱炭素化の可能性を広げることが出来る」という約束を損なうものだ。そしてその逆もまた然りである。

5.
静かな温暖化対策は大胆な目標に勝る

 インフレ抑制法(IRA)の投資規模の大きさを前にして、多くの人々が、公共支出の大幅な量的増加に基づいて、気候変動への取り組みにおけるアメリカの質的転換を示すものだと結論づけたことは無理もない。しかし、この0.5兆ドルという予想される支出は、主に税額控除によって補助されるクリーン技術が、今後10年間でどの程度普及するかという仮定に基づいた、将来的な推定であることに注目すべきである。

 言い換えれば、公的支出の規模は、IRA税額控除がその後の政権や議会を乗り切れるかどうか、また、企業がIRA税額控除を十分に活用できるような、必要とされる技術開発、サプライチェーン、インフラ、市場需要が今後10年間で実現するかどうかに完全に左右される。

 もしもバイデン政権の気候変動対策への投資が政治指導者の交代を乗り切るならば、両党の議員に支持された要素、すなわち超党派のIIJAや、2020年12月の第117議会臨時国会で超党派の賛成多数で成立したCHIPS法やエネルギー投資などの関連政策が採用される可能性が高い。そしてもしも排出量の大幅削減を可能にするインフラの多くを今後10年間で整備するというならば、超党派の連携が必要となる可能性が高い。それによって、許認可や原子力規制委員会(NRC)改革サプライチェーンの課題への対応、大規模な新インフラの構築に対する種々の障害に対処するためだ。

 議会と行政府の両方における民主党の支配が持続しない限り、今後10年間のインフレ抑制法(IRA)実施と排出量の削減の正否を決めるものは、規制当局の独断や党派的な予算調整措置によって気候変動対策へ声高に取り組むことではないだろう。むしろIIJAやCHIPS法、そして先進原子力や炭素除去技術を支援するトランプ時代の法案に反映されているような静かな政策に大きく依存する可能性が高い。

 バイデンと民主党が、良くも悪くも党派的な調整措置に詰め込めるだけ詰め込もうとした決断は、取り消すことはできない。インフレ抑制法(IRA)は、その期待、不完全さ、矛盾をすべて含めた上で、今や国の法律となったのだ。しかし政権は、それをどのように実施し、行政や規制の力をどのように行使して投資を拡大するかについて、まだ選択を迫られている。その際には、テクノクラート(官僚)的な傲慢さよりも、謙虚な認識・政治の方が、政権にとっても気候変動対策にとってもはるかに有益であろう。