テクノロジー楽観主義 VS テクノクラート(官僚)楽観主義【1】

インフレ抑制法成立一周年にあたって


Founder and Executive Director of Breakthrough Institute/ キヤノングローバル戦略研究所 International Research Fellow


Deputy Director at Breakthrough Institute

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監訳:キヤノングローバル戦略研究所 研究主幹 杉山大志  邦訳:木村史子

本稿は「On the Difference Between Techno and Technocratic Optimism: The Inflation Reduction Act at one」を許可を得て邦訳したものである。

 インフレ抑制法(IRA)の成立から1年が経とうとしており、その実施内容に注目が集まっている。0.5兆ドルの予算がテーブルの上にあるこの法案であるが、税制調整パッケージのさまざまな条項における税額控除の幅広い範囲に関するいくつかの分析によれば、インフラ・イノベーションと雇用に関する法律(IIJA)のクリーン・テクノロジーの要素を考慮するならば、その金額はさらに膨らむという。

 昨年のインフレ抑制法(IRA)の採択は、ブレイクスルー・インスティテュートが長年提唱してきた、技術と投資主導の気候変動イノベーション政策を、多くの点で受け入れたものであった。クリーンエネルギー技術とインフラへの公共投資は有効であり、米国がここ数十年で化石燃料の排出から経済を切り離す方向へと前進した主な原因である。また、この政策は依然として根強い支持を得ている(訳注:著者らは再生可能エネルギーだけではなく天然ガスや原子力等もクリーンエネルギー技術と呼んでいる)。過去の中間選挙の際の大失敗とは異なり、民主党は昨年11月の選挙で、気候変動政策のために大きな代償を払うことはなかった。その主な理由は、1994年と2010年の選挙に向けて実施したような、化石燃料消費に対する価格づけや規制を提案しなかったからである。

 しかしながら、インフレ抑制法(IRA)の採択自体は、今になって思えば、じつは簡単なステップに過ぎなかったように思われる。なぜなら、クリーン・テクノロジーとインフラへの世代を超えた投資がもたらす可能性を現実のものにするのは、それよりはるかに難しいことなのだ。

 インフレ抑制法(IRA)の支持者たちは、立法過程では過去の努力を頓挫させた過ちの多くを回避することができたが、今またその多くは、法律の実施を通して同じ過ちを繰り返そうとしているように見える。エネルギー・システム・モデルへの過度な依存、産業政策に対する無批判なフェティシズム(愛好)、そして政治的二極化と分断政府の影響を十分に考慮しようとしない進歩的官僚(テクノクラート)の傲慢さは、インフレ抑制法(IRA)が達成できることの多くを台無しにしてしまう危険性がある。

 短期的には、最高裁や議会からの法的・政治的な申し立てが、政権の実施戦略を頓挫させる危険性がある。それ以上に、サプライチェーン、現在における主要技術の限界、消費者の期待、制度的能力に関連する社会的・経済的・技術的課題が、排出削減努力を弱体化させ、広く普及してきた公共イノベーション政策を二極化させ、国家主導の経済・産業政策の信用を失墜させる恐れがある。

 このような理由から、気候変動対策への熱意は、必ずしも対策の進展をもたらすとは限らず、むしろその進展を弱めてしまう可能性がある。多くのインフレ抑制法(IRA)支持者の絶対に勝利するとの主張にもかかわらず、今後10年間で脱炭素経済への急速な前進が保証されるとは言い難い。インフレ抑制法(IRA)とその関連法案、そしてジョー・バイデン政権が提案した規制案が、大胆で新しい「産業政策」に相当するとすれば、それは政策実験でもある。つまりそれは、米国経済のさまざまな部門にまたがる複数の技術を、その移行に伴う社会的・経済的混乱を最小限に抑えつつ、広く普及させるための、非常に複雑で反復的な努力そのものと言えるのである。

 さらに、大統領令と法的規制権限を行使して、この実験を政権の排出削減目標に縛り付けようとすることは、技術開発の成功によって気候変動対策への熱意が高まってゆくというボトムアップ型の技術重視のアプローチを、気候変動対策への過剰な野心が技術能力・国家能力・国民の受容能力をはるかに上回ってしまうようなトップダウン型の規制の枠組みに変えてしまう恐れがある。それは非常に残念なことであり、インフレ抑制法(IRA)が与えてくれた機会を著しく無駄にするものである。

 だからといって、政権が法的規制を見送るべきだというのではない。法的規制は、技術をより高い環境基準へと押し上げる重要な役割を果たすことができるのである。また、初期段階の商業的グリーン技術に対する連邦政府の実質的な支援も正当化されないものではない。しかし、技術の普及とコスト低下に関する当て推量的なモデルや、強引な排出規制を前提とした遠大な産業政策は、急速な普及を阻む現実世界の深刻な障害を考慮できないため、政権としてはその採用を避けるべきだろう。

 良い知らせとしては、持続可能な気候変動政策に必要な政策と公共投資の多くが現在整っているということだ。しかし、バイデン政権が成功するためには、法的規制の確実性という甘い誘惑に負けず、米国経済の脱炭素化に必要な無数の技術のコスト削減と性能向上に根本的に注力することが賢明と言える。長期的には、より優れた、よりクリーンな技術が、政策の助けも借りながら勝利を勝ち取るだろう。しかしそれは、多くの進歩的官僚が思い描くような道筋や、環境コミュニティが求めるスケジュール通りに実現するとは限らない。

モデル上のインフレ抑制法

 定義上、技術主導の気候緩和策で特定の排出量を保証することはできない。市場経済においては、公共投資は、技術が特定の割合で採用されることを保証するものではなく、CO2等を排出する活動を完全に置き換えることを保証するものでもない。

 それにもかかわらず、インフレ抑制法(IRA)の最終案がまとまるや否や、学会、シンクタンク、コンサルタント会社などの気候変動対策アドボカシー(推進主義者)たちは、その政策が今後10年間で米国の排出量を大幅に削減することを示すモデルを矢継ぎ早に作成した。そのモデルの結果は、インフレ抑制法(IRA)によってアメリカのエネルギー経済が急速に変革されるという意見に、一見正確な答えを与えるものであった。しかし、技術的、経済的、政治的に非常に不確実な仮定を含んでいた。たとえば、インフレ抑制法(IRA)のモデルのほとんどにおいて、予測された排出削減量の多くは、長距離送電容量を、ここ数十年間の米国の送電網の実質成長率の2倍以上のペースで拡大することを前提としていた。

 インフレ抑制法(IRA)の実施には、これと同様の不確実性と課題が幾つもつきまとう。風力発電と太陽光発電の急速な拡大は、これらの電源のコストが持続的に低下できるかにかかっている。しかし現実には、サプライチェーン、立地、導入量拡大に伴う価値の低下、その他の要因によって、製造効率の継続的な向上が相殺されてしまい、コストの改善の速さは近年止まってしまっている。電気自動車の急速な普及にも、さまざまな課題を克服する必要がある。それには、充電インフラの制限、走行距離への不安などがある。バッテリー材料費の上昇によって、バッテリー製造と車両性能の継続的な改善が打ち消される可能性もある。

 モデル上では、これらの課題は効率良く働く官僚たち(テクノクラート)によって解決される。しかし現実の世界では、アメリカ政府はまだ、モデルで想定されている時間内にこれらの課題のほとんどを解決できるだけの、十分な社会的授権や行政能力を有しているとは証明できていない。このような事態は、「またあのインテリぶったモデラ―たちが……」と一笑に付すこともできるかもしれない。だがそうも言っていられない。モデルは現在まだ実施されていない法律に関連した、極めて推測的な主張を推進しているだけではない。モデルは環境保護庁(EPA)が提案する新たな排出規制を行政的に正当化するためにも使われているのである。EPAは現在、インフレ抑制法(IRA)が米国のエネルギーシステムに与える影響について、楽観的なモデリングを標準ケース(reference case)に組み込んでおり、このシナリオは、新たな排出規制の技術的な実施可能性とコストを評価する際の根拠となっている。

 たとえば、新規発電所の排出基準についての標準ケースでは、2030年代半ばまでに石炭火力発電のほとんどが姿を消し、風力発電と太陽光発電がアメリカの電力の半分近くを供給するようになる。2050年までには、化石燃料による発電は現在の約60%から14%に減少し、電力システムは変動性の再生可能エネルギー電源が中心となるため、そのバックアップに必要な電力は、殆どの時間において待機状態にある巨大な天然ガスインフラにより供給される、となっている。

 この「楽観的な」標準ケースにより、EPAは、「本規制によって、提案されている排出基準の下で高コストの汚染防止技術を導入する必要がある発電所はほとんどない」と予測することができる、としている。このモデリングと標準ケースはまた、炭素回収と水素混焼技術のコストが急激に低下すると予測している。これらの技術は、新規則が、運転を継続する石炭・ガス発電所に対して、「利用可能な最善の汚染防止技術」として指定するものだ。同様に、EPAの新車に対する排出基準は、2030年代初頭までにEVが米国の年間新車販売台数の60%以上を占めるようになって初めて、技術的に達成可能となる。昨年の新車販売台数に占めるEVの割合は6%で、主に高級車市場においてであった。

 これらの標準ケースは、必ずしも不可能なことでも、ありえないことでもない。再生可能エネルギー発電は過去10年間で劇的に成長し、プラグイン・ハイブリッド車や電気自動車の製造・販売も、この10年間で同様の成長を遂げる可能性がある。しかし、多くの課題や不確実性が、これらの予測を容易に狂わせる可能性もある。

 そこに問題がある。もしモデルや標準ケースが正しいならば、新しい規制の結果として、排出量は他の方法で削減されるよりもわずかに速く削減されるに過ぎず、なぜこのような大々的な新しい規制が必要なのか、という疑問が生じる。一方、この規制が大幅な排出削減を達成するために必要なものなのであれば、そのコストは規制支持者たちが言うよりもはるかに高いものになるはずだ。

 インフレ抑制法(IRA)後のモデリングは、このように、気候変動対策推進主義者にとっては一種の政治的錬金術である。公共政策が技術的変化を加速させるという技術楽観的(テクノロジー・オプティミスティック)な見方を、「政府全体」のコミットメントが10年以内にエネルギー経済全体を変革するという官僚的(テクノクラティック)な確信に変えるのである。

次回:「テクノロジー楽観主義 VS テクノクラート(官僚)楽観主義【2】」へ続く