再エネ殺すのは「再エネムラ」自身


国際環境経済研究所理事・主席研究員

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(「産経新聞【正論】」より転載:2023年10月23日付)

課題指摘に耳閉ざす

 「原子力を殺すのは、原子力ムラ自身である」。これはエネルギー・気候変動政策論の第一人者であり、東京電力福島第1原発事故直後にも原発の必要性を冷静に説いた、故澤昭裕・国際環境経済研究所所長の言葉である。

 遺稿となった原稿の冒頭に書かれたこの言葉は「将来のリスクに備えた安全装置」として原子力は必要だと考えるからこその強い警鐘である。関係者が当事者意識を強く持ち、技術も政策も関係者の思考パターンも進化させていくべきであり、それが果たされなかったときの結果責任は国民が負うことになると憂えたこの文章を筆者は暗唱できるほど繰り返し読んだし、原子力技術に関わる方には全員そうしてほしいと願っている。

 しかし、筆者は「再生可能エネルギーを殺すのは、再エネムラ自身」となりかねないと危惧している。再エネのメリットばかりを声高に叫び、コスト低減や安定供給への貢献、環境や地域との調和に真摯に取り組むよりも、政策的支援を求めるばかりの事業者や、再エネ導入に向けた政策的支援を政治活動の成果としてアピールし、課題を指摘する声には耳を閉ざす政治家を多く見たからだ。

 筆者は特定の技術の関係者を「ムラ」と呼んで貶めるような風潮は卑怯だと批判的に見ている。しかし、その技術でいかに国民に貢献するかではなく、自らの利益の最大化しか考えていない関係者に対して限定的にこの言葉を使うことをご容赦いただきたい。

地方ほど高まっていた反発

 10年ほど前、エネルギー・環境政策の講演会で全国を回ると、参加者のほとんどが再エネに高い期待を寄せていると感じた。地産地消、雇用創出、環境貢献、あらゆる切り口から再エネは「善」とされ、そのメリットとデメリット両方を説明すると「もっとメリットについて話してほしい」と要望されることもあった。

 今は様相が一変している。メガソーラー(大規模太陽光発電)は地域にほとんど雇用を生まなかった。その電気は大手電力会社に固定価格で買い取られるため再エネ事業者は高い利益を確保できるが「地産地消」では全くない。環境や景観を損なうことに文句を言おうにも事業者の顔すら見えない。地価が安く大量の再エネが導入された地域では、感謝より怨嗟の声の方が大きくなっている。

 本年8月末、福島市が「ノーモアメガソーラー宣言」で話題となったが、いまや再エネに対する規制条例は全国で269を数える(本年9月時点)。原発事故の被害を受け、2040年頃をめどに「県内エネルギー需要量の100%以上に相当する量のエネルギーを再エネで生み出す」目標を掲げる福島県の県庁所在地たる福島市が、ノーモア宣言を出さざるを得なかったのだ。その深刻さは、再エネといえば屋根上太陽光くらいしかない都市部の住民にどれほど伝わっているか。

洋上風力汚職機に全体像議論

 このままでは持続的に再エネを増やしていくことは難しいと危機感を募らせていたところ、洋上風力発電の入札ルール変更を巡る受託収賄の容疑で国会議員が逮捕され、国民の信頼は地に堕ちた。

 問題とされたルール変更は既に公募の始まった入札を中断して行われた。このような力業を、当選4回の政務官クラスの議員が独力でできるとは考えにくい。どのような経緯だったのか徹底的な捜査が行われるべきだ。

 そして、金銭の動きがなかったとしても政界、学界、メディアを含め、「再エネ一神教」に陥り、結果として国民の利益を毀損しなかったかを問い直す必要がある。

 わが国の再エネ普及策の柱である全量固定価格買取制度(通称FIT法)は、2011年、国会を全会一致で通過した。しかし、当時定められた太陽光発電の買取価格はドイツの2倍という高額で、「一世帯あたりの負担は、制度導入10年後で月額150円程度」という想定を上回るであろうことは指摘されていた。再エネ産業育成も謳われたが、安価な中国や台湾の製品を使用した方が再エネ発電事業者の利幅は大きくなる。

 そもそも、過剰な補助はバブルしか生まない。バブルに終わることが最初から明らかな普及策のもとでは産業は育たないのだ。FITによる再エネ買い取りの総額は累積で24兆7000億円にもなり、その大部分が国民負担となるが、その投資が国民にもたらしたものは限定的である。

 再エネは極めて重要なエネルギー供給の手段であるが、他の技術と同様、強みもあれば弱みもある。導入を目的化すべきではないだろう。世界的にもこれまで、再エネの普及拡大を目的化した議論が多く見られたが、それではカーボンニュートラルを実現するのは不可能であることに気づき、原子力や水素を含めた多様な技術への投資や、移行期間に必要な化石燃料利用に関する技術の価値が見直されている。わが国もこの汚職事件を機に、エネルギーの全体像を議論すべきだ。