コロナプライシングのススメ ~カーボンプライスの寓話~(1)

コロナ禍の気候変動対策への影響~続編


国際環境経済研究所主席研究員、JFEスチール 専門主監(地球環境)

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はじめに

 2020年の6月、日本のみならず世界がコロナ緊急事態に見舞われ、社会・経済活動がストップする中、それがもたらす気候変動対策への影響と教訓について、拙稿「コロナ危機と温暖化対策」4部作を本研究所サイトに寄稿させていただいた注1) 。そこではコロナ危機とそれに対して苦闘する政府の対策が、温暖化対策やグリーンリカバリー政策にもたらす影響や教訓について、コロナ危機の初期段階での筆者の所見を述べさせていただいた。
 その後21年に入ってワクチン接種は始まったものの、コロナ危機は未だに収束を見せず、依然として世界中で混乱は続いている。一方で、気候変動対策の前線では、国内で2020年9月に発足した菅政権が2050年カーボンニュートラル宣言を打ち出し、さらに11月の米国大統領選挙でバイデン政権への移行が決まると、世界中で一気に気候変動対策強化の機運が高まり、2050年ネットゼロをめぐるフィーバーが始まっている。
 そうした中で2021年に入ると、日本国内で2050年ネットゼロ排出を実現するための政策手段のひとつとして、化石燃料消費に由来する炭素排出に、価格をつけて抑制をはかる「カーボンプライシング政策」が注目されるようになり、経済産業省、環境省が並行して設置した2つのカーボンプライシングに関する検討委員会で、温暖化対策に有効で、かつ「経済成長に資するカーボンプライシング」といったものはありうるのか、あるとしたらどのようなものであるか、というお題についての議論が開始された。筆者は、18年7月に環境省が中央環境審議会のもとに設置した「カーボンプライシング小委員会」と、21年2月に経済産業省が新たに設置した「世界全体でのカーボンニュートラル実現のための経済的手法等のあり方に関する研究会(カーボンプライシング研究会)」の両方の委員会の委員を拝命しており、今春から議論に参加させていただいている。
 筆者自身は、社会・経済活動を支える基礎投入資源であるエネルギー、中でもその85%を供給している化石燃料に注2) 、より低コストな代替手段がない中で、人為的にコストペナルティを課そうというカーボンプライシング政策が、本質的に「経済成長に資する」ことはないと考えており、それによってもたらされる環境便益を上回る規模の損害を国民生活や産業活動にもたらすと考えている。そのあたりの詳細については、過去に本サイトで何度も論考を発表させていただいているが注3) 、今回あらためて政府が検討を始めたカーボンプライシング政策について論じるにあたり、少し嗜好を変えて、コロナ対策の教訓をふまえた架空の物語を使って、論考を進めていくことを試みようと思う。全体で3回シリーズにわたる長編になってしまったが、お付き合いいただければ幸いである。

【ここから⒋.までは筆者が創作した架空の未来ストーリーである】

1.パワーアップした変異種に見舞われるEU

 2021年夏、コロナパンデミックがはじまってからすでに1年半がたっているが、世界は新たな混乱に直面し落胆のどん底に瀕していた。5月ごろから新たに感染が確認され始めたパワーアップした変異株新型コロナウィルスによる世界的な感染の再拡大によって、夏の東京オリンピックは中止を余儀なくされてしまった。中でもいち早く感染の再拡大が顕著となったEUでは、加盟各国が厳しい外出規制や店舗の営業禁止を含む、従来型のロックダウン政策を続けるだけでは、域内市民の反発が限界点に達してきており、政府の規制を無視して勝手な行動を始める人々まで出始めるなど、各国政府も対応に苦慮しはじめている。さらにEU域内の各国間での規制の厳しさや、国民の受け取り方の温度差も顕在化してきたため、従来加盟各国がそれぞれ実施してきた対策を超え、EU全体をカバーする「EU共通コロナ対策」を導入することの是非が欧州委員会(EC)の中で議論される状況となっている。ここに至るまでのことの顛末は以下のとおりである。

 2020年に始まった新型コロナウィルスによるパンデミックは、20年春先から初夏にかけてのロックダウン政策や、緊急事態宣言による厳しい感染抑制が成果を上げていたが、世界各国は夏のバカンスシーズンにむけてそれらが徐々に解除されたことに伴う、第二波、第三波の襲来に見舞われ、年末にかけて再度厳しいロックダウンを余儀なくされ、日本でも21年の年明けから、いったんは解除されていた緊急事態宣言の再発動を余儀なくされた。その一方で医薬品開発の分野では、異例の速さでコロナ対応ワクチンの開発がすすめられ、複数のワクチンの有効性が確認されたため、21年の年明けとともに、世界各地で待望のワクチン接種が始まり、これが世界に広がることでようやく終息するかに思われた。日本でも感染対策2年目に入った21年3月には、年明けから続けられてきた緊急事態宣言が順次解除され、社会は一定の不安と警戒を共有しながらも「コロナ慣れ」ともいえる日常生活がもどりつつあった。

 しかし大規模なワクチン接種が一部の国で進められる中、5月に入って北アフリカ地域で突然変異を起こした複数の新型のウィルスの変異株が確認された。それら変異株ウィルスは、従来のコロナウィルスに比べて数倍の感染力を持ち、感染者の重症化率も有意に高く、さらに悪いことに大規模接種が始まっていた既存のワクチンの有効性についても、大幅に低くなることが判明したのである。6月になると地理的にも交易上も近接している上に、英国や米国と比べてワクチン接種が遅れていた南欧地域に、このパワーアップした異変株ウィルスが広がり始めた。欧州で日照時間が長くなり、ワクチン接種を済ませた人々が初夏の気候を楽しむために外出、外食を再開しはじめた6月には、比較的ワクチン接種が進んでいた北部欧州地域でも変異株ウィルスの感染拡大が始まり、20年のピーク感染時を大きく超える感染者、死者数に拡大していった。

 この変異型コロナウイルスのタチが悪いのは、従来のコロナウィルスに比べて突然変異による変性の頻度が高く、発見されて以来、既に瞬く間にタイプAからタイプFまで6種類もの変異株が生まれていている。対応するワクチン開発も、それぞれに対して新たに取り組みが始まっているものの、インフルエンザウィルスと同様、すべてのタイプに有効なワクチンは期待できないとされている。また仮にそれぞれのタイプに対するワクチン開発に早期に成功したとしても、いったいどのワクチンを接種すべきかについては、地域ごとの流行度合いから判断したタイプに適応したワクチンを接種することになるが、変異株ウィルスの感染力の強さを考えると、その時点で流行しているタイプのウィルスに限った免疫獲得では感染全体を抑える効果は限定的で、ワクチン接種計画自体がロシアンルーレットのような博打とならざるをえないことが専門家によって指摘されている。さらに悪いことに、インフルエンザワクチンのように複数のワクチンを混合して接種した場合の副作用がどうなるかということに関する治験は、今後各タイプのウィルス向けワクチン開発に成功した後の、更なる課題となっており、組み合わせの多さと限られた治験者データを考えると、今後数年以上にわたり大規模かつ世界的な治験を行わないと判断できないといわれている。コロナパンデミック開始から約1年半で、何とか収束することが期待された新型コロナ禍であるが、変異株の出現により数年以上、へたをすると5年から10年もの長期戦を強いられるという、実にやっかいな事態に人類は直面している。
 
 こうした事態にいち早く直面したEUでは、加盟各国が個別バラバラに行うロックダウンや往来制限などの従来の対策では、対策が遅れて変異株による感染拡大の抑制に失敗した国や地域があると、そこを発火点として、陸続きのEU域内全体での感染爆発が避けられないため、ECを中心としたEU共通のコロナ対策を実施すべきとの声が高まっている。一方で国境封鎖や地域封鎖などにより、人の往来を完全に止めて、各国が独自の対策を強化するといった個別国家型アプローチでは、感染拡大を一部地域に封じ込める効果は期待できるものの、国境封鎖を長期にわたって継続することは、人や物の行き来を自由化するというEU設立の基本理念から真っ向から対立することになる。そうした多国間連合独自のジレンマを抱えたEU内部では、2020年の英国のEU離脱の先例もあることから、相対的に貧しくEU加盟歴の短い中東欧諸国や、コロナ被害が甚大で経済損失も深刻なイタリアやスペインといった南欧諸国の間で、ブリュッセル(欧州委員会本部がある)による理念先行型のEU共通政策への反発の声が高まりつつあり、EU崩壊を招きかねない深刻な空気がくすぶり始めてきた。

 これに対してEU統合をリードしてきたフランスとドイツでは、EUの結束強化を図り、「科学的知見に基づく」合理的な政策ツールによって、EUが世界のコロナ対策の成功モデルとなりうることを示すべきとの政治的な声が高まり、高度な統合理念と合理性に基づく「EU統合型コロナ対策政策」を、ECと協力して導入することが模索されるようになった。

注1)
コロナ危機と温暖化対策の行方(1)」 https://ieei.or.jp/2020/06/opinion20060202/
注2)
エネルギー白書2020によると、日本の2018年の一次エネルギー供給のうち化石エネルギー比率は85.6%であり、カーボンプライシングとはこれに政策として人為的なペナルティを課す政策に他ならない。
注3)
「日本でカーボンプライシングの導入は有効か」 https://ieei.or.jp/2017/10/opinion171020/
「カーボンプライシングをめぐる議論の行方」 https://ieei.or.jp/2018/05/expl180514/

次回:「コロナプライシングのススメ ~カーボンプライスの寓話~(2)」へ続く