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コロナプライシングのススメ ~カーボンプライスの寓話~(3)

コロナ禍の気候変動対策への影響~続編


国際環境経済研究所主席研究員、JFEスチール 専門主監(地球環境)


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前回:コロナプライシングのススメ ~カーボンプライスの寓話~(2)

【前回までは架空の未来ストーリーを綴ってきたが、以下現実の世界に移行していく】

5.日本の対応と教訓

 日本の場合、コロナ対策は2020年から一貫して、政府や自治体のリーダーが国民の「自主的な」行動変容をよびかける形の対策を中心に据えてきており、2021年春までに2回発出された緊急事態宣言下においても、大規模イベントの「自粛」や飲食店等に営業「自粛」を呼びかけ、協力した店舗には協力金を支払うという形で「自主行動+補助金型」の対策を進めてきた。その結果、欧州で変異株の流行が本格化する前の21年3月30日の時点で、人口百万人当たりの累積感染者数は日本の場合3730人であり、世界平均の16442人と比べて5分の1にとどまり、先進国の中では米国、仏、独のそれぞれ25分の1、19分の1、9分の1と、ほぼ一桁以上小さくとどまっている(ちなみに百万人あたりの累積死者数でも、日本は72人であり、米、仏、独のそれぞれ1665人、1463人、912人に比べて10分の一以下にとどまっている注4) )。この国民の「自主的」な対策に基づく、強制力を伴わないコロナ対策が、なぜこのように他国、特に欧米諸国と比べて顕著な成果を上げてきたのかについては諸説があり、今後の専門家による科学的な分析、研究が待たれるところである。

 こうした日本流の対策が今後も十分に機能するかどうか、あるいは今まで述べてきた架空のストーリーの中で仮定したような、新たな変異株にも有効かどうかについては何ともいえない。しかし仮に今まで同様、こうした国民の自主行動と協力による対策が、変異株流行の中でも機能していくと想定した場合、果たして日本はECが主張、提唱する「コロナプライシング」に基づく外出・外食規制と、「外出権・外食権取引制度」といった形での、強制的な割り当てと市場取引制度を導入するべきだろうか?

 あるいはこれをEUの側から見た場合、EUのような強制力を伴う厳しいコロナ対策を実施せず、国民の自主性に任せた対策にとどまる「コロナプライス」を明示的に負担しない日本人がEUに入国しようとした場合、どのような状況に直面するだろうか。よくわからない理由で比較的感染の抑制に成功しているとはいえ、日本人はEU市民のような高い「コロナプライス」を負担していないのだから、より厳しい国境調整措置を課して入国を制限するか、高価な「外出権」、「外食権」購入を迫るべきだという声が出てくるかもしれない。そもそもEUサイドから見れば、EU市民に「コロナプライシング」に基づく厳しい外出、外食制限をかけて域内の感染拡大を収束させることができたとしても、日本のようにあいまいな国民の自主性に任せた、EUから見れば「緩い」と見える対策しかとっていない国が存在することで、世界からのウィルスの駆逐は不可能となり、そこから再度世界的な感染拡大がおきれば、いつまでもコロナプライシング制度を終結させることができなくなってしまうという疑念が湧いてくる。従ってECとしては、何としても日本の自主規制のような緩い対策をとってきた国にも、厳しいコロナプライシング制度に基づく強制的な感染対策を実施させ、コロナウィルスを世界から駆逐するべきという強い動機があるので、日本に対してもコロナプライシング制度の導入を強く迫ってくる可能性が高い(これは国境調整措置を梃に、厳しいカーボンプライシング政策を迫る現在のECの姿勢と共通するものである)。

 一方日本国内でも、気候変動対策をめぐる「カーボンプライシング」議論でもみられるように、EUのアプローチを「世界で最も進んだ」「科学的知見に基づく」政策として賞賛し、かたや国民の自主性に任せた日本国内の温暖化対策(産業界が自主的に掲げて着実な実績を上げている低炭素社会実行計画など)では、「科学が要請する」大幅な排出削減が確実に担保できないように、コロナ対策でもいつまでたっても収束させることができないので、変異株コロナ対策には、日本も一刻も早くEUにならって「コロナプライシング」に基づく「外出権・外食権取引制度」を導入しないと、世界の趨勢に乗り遅れて国際的な非難を浴びることになりかねないと主張する向きもでてくるだろう。さらにはEUや世界から厳しい国境調整措置を課されることで、日本人が損をすることになると主張する論調もでてくることは容易に想像される。「コロナプライシング」はパンデミックという世界的な課題を解決するために有効な、先端的な取り組みなのだから、日本も乗り遅れてはいけないという「黒船便乗論」である。

 あるいは日本政府は、前回の4.で既述した中国や米国のように、各国は国ごとに異なる事情や国内実態に適したコロナ対策を行っていて、それぞれが実効性を上げているのであるから、日本は日本の国情にあった国民の自主性を信じて任せる対策を続けるとして、ECが主張するようなコロナプライシング政策に与することを拒否すべきなのだろうか?

 この物語はコロナパンデミックという、気候変動問題と共通する、国境を越えたグローバルな外部不経済への対策について、コロナウィルスの変異株流行という架空のストーリーに基づいた未来シナリオを寓話として想定することで、気候変動対策にどのような教訓が得られるかと考えて綴ってきたものである。温室効果ガスもコロナウィルスも国境をまたいで伝播してしまう以上、水際対策をとりつつも、グローバルな対策を合わせて行わないと、他国や他地域で蔓延したウィルスや温室効果ガスが自国民に対して害悪を及ぼすことになるため、根本的な解決には向かわない点で共通している。

 一方でコロナ対策に見られるように、世界では、自然環境、地政学、政治体制、民族性、歴史的背景、発展段階など、実に様々な理由から、世界各国、各地域では多種多様なコロナ対策が試行錯誤されており、うまくいっていると思われた国も、次のラウンドでは思うように成果が上げられないといった、一進一退を繰り返している。それは我が国も例外ではない。そしてコロナパンデミックの究極的な解決策は、米国の対応例に記述したように、変異を繰り返すコロナウィルスにも十分有効な免疫を確保できるスーパーワクチンの開発と国民全員への供給の実現に加え、コロナ罹患後にも重症化を防ぎ、後遺症を残さないような特効薬の開発という、究極の科学的解決策しかないように思われる。これは気候変動対策の究極の解決策が、温室効果ガス排出を伴わず、安価・安定供給可能な化石燃料に代わる一次エネルギー供給技術の開発、実用化、普及にかかっているのと共通する点である。

 日本政府が昨年12月に掲げたグリーン成長戦略に記載されているイノベーションによる気候変動対策について、対策を先送りにするまやかしの政策だと批判するむきもあるようだが、それはコロナパンデミック対策におけるワクチン開発や治療薬開発などあてにできないので、人々の行動変容を強制執行するような政策をとるべきと主張しているのに等しいのではないだろうか。

 あるいは過去に人類が歴史的な疫病流行とその克服を通じて経験してきたように、人口の一定数までがウィルスに罹患した結果、一定の自己免疫を持った遺伝子が形成され、種として「適応」することによって自然抵抗力を獲得するというプロセスも、この問題への根本的な解決策の一つなのかもしれない。これは長い歴史の中で繰り返し人類を襲ってきた気候変動危機に対して、何とか適応して今日の繁栄に繋げてきた人類の歴史にもつながる解決策である。

6.コロナプライシング寓話の教訓

 気候変動対策は、時間軸は異なるものの、大筋でコロナパンデミックへの対応と同じような議論の経路をたどって取り組んでいくことになるのではないだろうか、というのがこの架空の物語に基づく筆者の仮説である。まず、コロナ対策という点だけを考え、他の制約条件を無視することが許されるのであれば、「人の接触機会を8割以上減らさなければ、早期に感染を収束できない」というのが「科学の要請」であり、ロックダウンやコロナプライシングなどの「強い」政策手段により、それを強制的に実施できれば、感染はたちまち収まっていくのだろう。中国による国家統制的なアプローチがそれを部分的に証明しているように見える。気候変動対策も、世界中の国々が、その対策コストや人々の生活への影響を鑑みずに、温室効果ガス排出を2030年半減、2050年ネットゼロにできれば、気温上昇を1.5℃以内に抑えることができ、地球環境は守られる(はず)ということになっている注5)

 問題はそうした対策が、社会や人々にとって受け入れられるようなものであるかどうかという点である。自分の生死にかかわるコロナ対策の場合ですら、ペナルティや罰金を伴うような、日本に比べて厳しい外出制限をかけてきた欧米諸国でも、そうした対策で定常的かつ長期間にわたる感染収束に成功した例はなく、社会は度重なるリバウンドの波に翻弄されている。楽観的に見る向きは、今やインターネットやIT技術の普及により、オンライン会議やオンライン飲み会も可能であり、様々なネットショップの普及で、実際に買い物に行く必要性もなくなっているので、コロナによる外出規制もそれほど苦にならないとしている。旅行や移動の機会がなくなっても、オンラインでほとんど対応できるので、コロナ克服後にもわざわざお金や時間をかけて出張して対面会議をやる必要はないという声も聞く。それは、人の移動や外出に伴うエネルギー消費を低減させ、実際、化石燃料の利用減少により温室効果ガス排出削減にも寄与している。スウェーデンの少女活動家、グレタ・トゥーンベリが主張する「飛恥じ=CO2排出を伴う航空機による移動は恥」は、皮肉にもコロナパンデミックによって現実のものとなっている。しかし世界各国がコロナ対策で度重なるリバウンドを繰り返している現実をみると、社会の人々の趨勢は、そうしたIT技術によるヴァーチャルな接触や移動制限に本音では満足しておらず、できることなら外出して様々な人と接触したい、各地で外食や旅行をしたいという人間の自然な欲望が抑圧されているにすぎないと思われる。コロナ収束後には移動、消費需要の爆発(それは必然的にエネルギー消費の拡大も伴う)を招く、巨大な欲求のマグマが溜まっているのが実情なのではないだろうか。そのような中で、架空のストーリーに提示したような「コロナプライシング」制度に基づく、政府による外出、外食欲求の規制を長期にわたり継続的に導入し、さらに高額所得者は「外出権」、「外食権」を購入することでそうした抑圧を回避して、リゾートでのバカンスを楽しめるといった市場メカニズム政策が、長期的にサステイナブルなものになるとは到底思えない。

 グリーンリカバリーと称して、コロナ収束に成功した後に、多くの化石エネルギー消費を伴うことになる人の移動や外出、外食などの欲求を満たす機会に対して、今度は「カーボンプライシング」による何らかの行動抑制や消費抑制を課し、コロナ前の活動再開に制限をかけて、継続的に社会の欲求を抑圧していくというのは、民主的な社会において、どう見ても無理筋の政策なのではないだろうか。オンライン会議の継続やヴァーチャルな旅行や飲み会も、社会活動の様々な選択肢の一つとしては残るだろうが、現在行われているような人々に我慢を強いるロックダウン型のコロナ対策に対する不満や反発、リバウンドといった社会現象が世界中でみられる中で、そうした抑制的政策を温暖化対策でも社会全体が受け入れて、しかもそれを長期的に主流化していくというのは、現実社会では難しいというのがコロナ対策から得られる教訓なのではないだろうか。

 コロナパンデミックへの真の解決策は、「コロナプライシング」による我慢を強いる政策ではありえず、有効なワクチンや治療薬の開発と、その世界的普及という科学技術による根本治癒策しかなく、各国は連携して全精力をそこに集中して一刻も早くそれが実現するように資源をつぎ込むべきなのである。それが実現するまでは、それぞれの国や社会が容認できる水準での「適応策」(それには期間限定のロックダウンや自主的な外出制限、営業自粛など様々な強度の政策が含まれる)で何とか凌いでいくということである。気候変動対策の場合も、その根本対策は、化石エネルギーよりも安価、安定供給可能で、温室効果ガスを排出しない一次エネルギー供給技術開発にあらゆる資源を投じることであり、それが実現するまでの間は、無理な規制措置やコストペナルティで国民負担を強いるカーボンプライシング政策を長期にわたって課するのではなく、国民が社会生活を維持、継続できる範囲で実行可能な地道な温室効果ガス排出削減対策について、着実に実施しながら、気候変動による災害や被害の発生を最小限にとどめるための適応策を併用していくという、バランスアプローチをとっていくことこそが肝要ではないだろうか。

 2030年までのたった9年で、人々が慣れ親しみ、日々の生活で必需品として依存している化石燃料の使用を大幅に制限し、2050年までの30年間でそれをゼロにするということを、カーボンプライシングのようなペナルティ措置で強制的に進めるような政策を実施に移せば、早晩、コロナ対策でみられたように人々の反発や離反、対策疲れを招き、リバウンドや社会の分断を誘発するのは必定だろう。なによりもそうした社会の混乱や疲弊を招くような対策の強要は、気候変動対策という、長期にわたり粘り強く低炭素技術の開発、実装を図るといった、手間暇やコストのかかる対策を着実に進めなければならない政策課題において、世界各地で混乱や離反をもたらすことになる注6) 。そしてそれは世界が団結して長期にわたり気候変動に着実に取り組むという、パリ協定で合意された精神そのものを壊しかねない。今世界でおきているカーボンニュートラルに向けて加熱するブームと、それにむけて数字の多寡を競うような政治的に拙速な動きは、トップダウンで目標を掲げて取り組みを始めたものの、結局は機能しなかった京都議定書のレジームへの逆戻りを想起させる。温暖化対策の着実な進展を考える向きにとっては、かえって危険な兆候と見るべきなのかもしれない。

注4)
データ出典:札幌医科大学医学部 附属フロンティア医学研究所 ゲノム医科学部門
https://web.sapmed.ac.jp/canmol/coronavirus/death.html
注5)
IPCCの報告書に見られる不確実性の幅を考えると、いわゆる「科学の要請」とされる2050年排出ゼロシナリオを実現した時に、気温上昇が1.5℃以内に収まり安定化するか、あるいは仮に安定化できたとして、それによって今世界が不安視しているような激甚災害や異常気象が抑制されることになるのかどうか、つまり期待されている対策のメリットが発現するかどうかについては、大きな不確実性が残っていることは考えておく必要がある。
注6)
トランプ政権からバイデン政権に政権交代した結果、気候変動政策が180度変更された米国だが、これはバイデン政権による気候変動政策に対する国民の支持如何で、将来再反転するリスクをはらんでいることを示唆するものである。